劔神社
劔神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 福井県丹生郡越前町織田113-1 |
位置 | 北緯35度57分28.22秒 東経136度3分19.42秒 / 北緯35.9578389度 東経136.0553944度座標: 北緯35度57分28.22秒 東経136度3分19.42秒 / 北緯35.9578389度 東経136.0553944度 |
主祭神 | 素盞嗚尊 |
社格等 | 式内小社論社・越前国二宮・旧国幣小社・別表神社 |
創建 | 伝仲哀天皇朝 |
本殿の様式 | 八棟造(織田造) |
別名 | 織田明神 |
例祭 | 10月9日 |
劔神社(つるぎじんじゃ)は、福井県丹生郡越前町織田にある神社である。別名織田明神(おたみょうじん)。気比神宮に次ぐ越前国二宮とされる。越前国の式内社、敦賀郡「劔神社」の論社とされる[1]。
祭神
歴史
社伝によれば、御神体となっている剣は垂仁天皇皇子の五十瓊敷入彦命が作らせた神剣で、神功皇后摂政の時代に仲哀天皇皇子の忍熊王が譲り受け、忍熊王が高志国(越国)の賊徒討伐にあたり無事平定した。のち、伊部郷座ヶ岳に祀られていた素盞嗚尊の神霊を伊部臣が現在地に勧請し、この神剣を御霊代とし祀ったことに始まると伝えられる。忍熊王はその後もこの地を開拓したことから、開拓の祖神として父である仲哀天皇(気比大神)とともに配祀されたと伝える。
中世以降、この地の歴代の領主、斯波氏、朝倉氏、織田氏の崇敬を受け保護された。特に織田信長は当社の神官の子孫であるとされ[2]、織田家の氏神とされた。尾張織田家は故郷の名にちなんで織田と名乗ったのが始まりである。柴田勝家の書状にも「殿様、御氏神、粗相仕るべからず」とある。江戸時代には福井藩・大野藩両藩からの崇敬を受け、幕末には伏見宮家の祈願所ともされた。昭和3年に国幣小社に列格した。第二次大戦後は神社本庁の別表神社となった。
文化財
国宝
重要文化財
その他
- 織田信長書状
- 徳川家康書状
- 柴田勝家書状
- 古文書など
脚注
- ^ 他に敦賀市莇生野(あぞの)の劔神社も論社とされる。
- ^ 織田家第18代当主 織田家の400年の伝統を破り、息子の名に「信」をつけず〈週刊朝日〉dot. 11月16日
- ^ “文化遺産データベース「梵鐘」”. 文化庁. 2015年12月2日閲覧。
- ^ “文化遺産データベース「絹本著色八相涅槃図」”. 文化庁. 2015年12月2日閲覧。
関連図書
外部リンク
- 劔神社(公式サイト)