劉智

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劉智(りゅうち、Liu Zhi1660年頃 - 1730年頃)、字は介廉、号は一斎代のイスラム教の学者である。

江蘇省南京の人。ムスリムの代々の名門に生まれ、幼時から父の劉三杰にイスラム教の教えを受け、12歳から南京のモスク(現存しない)で袁汝契から『コーラン』の教えを受けアラビア語ペルシア語ラテン語を習得した。15歳の時から儒教仏教道教を学ぶようになった。そして彼は孔子孟子を「東方の聖人」、ムハンマドを「西方の聖人」とみなし、東西の聖人の教え、すなわち儒教とイスラム教は、古代は同一のものであったと確信した。30歳から清涼山のふもとに居を構え、儒教を『コーラン』の解釈に援用した研究をつづけた。

著作

  • 『天方性理』
  • 『天方典礼』
  • 『天方至聖実録』