前田長皓

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前田長皓
時代 江戸時代後期
生誕 安永9年5月28日1780年6月30日
死没 文政7年12月12日1825年1月30日
別名 繁之助(通称)
戒名 信樂院得生寶利大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自證院
幕府 江戸幕府
氏族 前田家
父母 父:前田清長、養父:前田珍長
兄弟 珍長神尾元喬室、牧義珍室、松平康英玄享玄好長皓松平康保
正室:松平忠命の娘)
継室:菅沼定候の娘)
長義
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前田 長皓(まえだ ながあきら)は、江戸時代後期の高家旗本。高家前田家第5代当主。侍従隠岐守前田清長の七男。

長兄珍長に嗣子が無かったため、寛政10年(1798年)7月5日、珍長の養子となる。同年11月29日に珍長の隠居により家督を相続し、表高家となった。12月22日将軍徳川家斉御目見し、家督の御礼を申し上げる。文政7年(1824年)12月12日病死、享年45。