前田桂子

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獲得メダル
日本の旗 日本
柔道
世界柔道選手権
1999 バーミンガム 63kg級
アジア柔道選手権
2000 大阪 63kg級

前田 桂子(まえだ けいこ、1980年3月25日 - )は、兵庫県出身の元オリンピック柔道選手。身長161cm。得意技は背負投[1][2][3]

人物[編集]

大学2年の時、1999年12月に同じ柔道選手の父を病気で亡くしている。最初はソフトボールの選手だったが、小6の時にアニメのYAWARA!に影響されて柔道を始めた[1]鹿島中学3年時に全国中学校柔道大会56kg級で3位となった。湊川女子高校に入学後は1年の時に全国高校選手権の61kg級決勝で福岡工大付属高校2年の日下部基栄に注意で敗れ、2位だった。2年の時には金鷲旗で同級生の古賀幸恵とともに活躍して決勝まで進んで福岡工大付属高校と対戦するが、日下部に払腰で敗れるなどして2位に終わった。インターハイの決勝でも土浦日大高校と対戦すると、アトランタオリンピック66kg級代表の一見理沙大内刈で敗れて2位にとどまった。全国高校選手権の決勝では常磐高校2年の吉澤穂波を豪快な内股で破って優勝を飾った。3年の時にはフランスジュニア国際で優勝するが、金鷲旗決勝では柳川高校に敗れた。インターハイでも3位だった[1]

筑波大学に入学すると、1年の時には全日本柔道選手権大会の準々決勝で2階級上の78kg級の世界チャンピオンでもある阿武教子と対戦して背負投で一本勝ちを収め、3位に入って一躍注目されるようになった[1]。また、全日本ジュニア世界ジュニアでは優勝を飾った[1][4]。さらに大学2年の時には世界選手権の63kg級で背負投を次々ときめてオール一本勝ちでの優勝を果たして、19歳にして世界チャンピオンになった。この時はマスコミから前田のことを女三四郎と形容されることになった[5]。しかしながら、大学3年の時に出場したシドニーオリンピックでは初戦であっけなく敗れた[3]

その後、高校時代の同級生だった埼玉大学の古賀とともにミキハウスに入社するが、大学の2年後輩である谷本歩実三井住友海上上野順恵の台頭により、以前のような活躍をすることはなかった。2005年には元ジュニア強化指定選手の手島信孝と結婚して手島姓となった。翌年に地元兵庫で開催された国体成年女子の部で2位になったのを以って、現役を引退した[6]

主な戦績[編集]

63kgでの戦績

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 「ZOOM IN 素顔 前田桂子」近代柔道 ベースボールマガジン社、1998年12月号、59-61頁
  2. ^ 「平成14年度男女強化選手名鑑」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年2月号
  3. ^ a b Biography and Olympic Results[リンク切れ]Archived 2020年4月17日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 「1998年世界ジュニア柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1998年12月号
  5. ^ 金メダルの重み - 新兵庫人 輝く
  6. ^ 「第61回国民体育大会柔道競技」近代柔道 ベースボールマガジン社、2006年11月号

外部リンク[編集]