冨士大石寺顕正会

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冨士大石寺顕正会
顕正会本部
前身 妙信講(みょうしんこう)
設立 1957年
設立者 浅井甚兵衞
種類 宗教法人
法人番号 5011405000447 ウィキデータを編集
本部 日本の旗 日本 埼玉県さいたま市大宮区寿能町1-72-1
日本の旗 日本 東京都板橋区常盤台1-14-1(登記上)
会長 浅井昭衞
理事長 代表役員 浅井城衞
ウェブサイト 冨士大石寺顕正会
かつての呼び名
日蓮正宗妙信講、日蓮正宗顕正会
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冨士大石寺顕正会(ふじたいせきじけんしょうかい)は、日本仏教宗教団体である。埼玉県さいたま市大宮区寿能町に本部を置き、公称会員数約242万人[official 1]を擁する。 単立宗教法人であり、宗教法人法に基づく届出名は宗教法人「顕正会」(けんしょうかい)。日蓮正宗の信徒団体として1957年(昭和32年)に発足した「妙信講」が前身。機関紙『顕正新聞』(旬刊)がある。

歴史

第二次世界大戦下の1942年4月、日蓮正宗妙光寺東京都品川区)の総代だった浅井甚兵衞が初代講頭となり、妙光寺所属の法華講の一講中として東京妙信講が結成(認証)[1][2]。当時は戦時下のため折伏弘通は困難であったが、甚兵衞は事業経営と並行して講員を励ましながら弘通を進めたという[official 2]

浅井親子らは妙光寺から豊島教会の妙国寺(板橋区)へと所属変えを行い、その後に法道会(現:法道院豊島区南池袋)へと所属を変えたが、住職の申入れを受けて法道会法華講と合併するため発展的に解散した。その後は法道会から離脱し妙信講を再建するが[official 3]創価学会が中心となって寄進・建立した正本堂の教義上の位置づけをめぐり日蓮正宗・創価学会と激しく対立するようになる。

  • 1957年(昭和32年)8月3日 妙信講発足[official 4]
  • 1958年(昭和33年)1月15日 妙信講認可。大石寺第65世法主堀米日淳の配慮により宗門内極めて異例の認証式が行われ[3]妙縁寺墨田区吾妻橋)所属となった。講頭に甚兵衞、青年部長に甚兵衞の長男である昭衞、松本日仁と早瀬道応(後の日慈、大石寺第68世法主早瀬日如の実父)が指導教師に就任。本部は当時、東京都文京区にあった甚兵衞の自宅に置かれた[official 3]
  • 1963年(昭和38年)10月31日 機関紙「顕正新聞」が日蓮正宗と創価学会からの圧力を受けて廃刊。これに代わる機関誌として月刊『富士』が創刊され、その編集長に昭衞が就任。
  • 1967年(昭和42年) 10月 正本堂発願式。席上、池田大作・創価学会会長は「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又仏教三千余年、史上空前の偉業なり」と宣言[official 5]
  • 1968年(昭和43年)1月 大石寺第66世法主細井日達が、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と発言[soka 1]
  • 1970年(昭和45年)
    • 3月25日 日蓮正宗の宗務役僧、および創価学会首脳に対し、「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を送付[official 6]
    • 4月3日 浅井父子が大石寺大奥の対面所で細井日達と対面。日達は、正本堂が日蓮大聖人の御遺命の戒壇ではないこと、御遺命の戒壇とは国立戒壇であることを認め、正本堂の誤りを訂正することを約束[official 7]
    • 5月29日 浅井父子が大石寺対面所で和泉覚・創価学会理事長および秋谷栄之助副会長、森田一哉副会長と正本堂の意義につき論判。数日後、森田らは細井日達に対し、今後学会は「正本堂は御遺命の戒壇」「広布はすでに達成」とは言わない旨を誓約[official 8]
    • 9月11日 妙信講と創価学会との間で、「一、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない」等と記載された「御報告」と題する書面を作成[official 9][4]
  • 1971年(昭和46年)11月15日 池田大作・創価学会会長に対し、「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」と題する書面を送付[official 10]
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月28日 細井日達が、「日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証となす。正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」との訓諭を発布[4]。妙信講は同日、池田会長に対し、正本堂の意義につき公場対決を申し入れる書状を送付[official 11]
    • 7月6日 浅井父子が妙縁寺で細井日達と対談。妙信講の申入れにより、日達は訓諭の内容を打ち消す解釈文を宗門機関誌「大日蓮」に掲載することを約束[official 12][5][4]
    • 7月19日 細井日達が大石寺において浅井父子に訓諭の訂正文を交付。日達は昭衞の指摘を受けて文言を数ヵ所修正し、「大日蓮」8月号に掲載することを約束。しかし、日達は後日、学会の働きかけを受け、この約束を取り消した[5][official 13][6]
    • 9月13日 浅井父子(主に昭衞)が学会代表の秋谷、教学部長・原島嵩、山崎との間で、宗門末寺常泉寺において、同月28日まで計7回にわたり、正本堂の意義につき論判。その結果、秋谷らは正本堂の意義を訂正する文を聖教新聞に掲載することを約束[5][official 14][4]
    • 10月1日 正本堂完工式。宗門・学会はこの席にキリスト教神父数名(バチカン市国の大使)を来賓として参列させた[official 15]
    • 10月3日 創価学会が聖教新聞(同日付)紙上に正本堂の意義を訂正する文を掲載。「現在は広宣流布の一歩にすぎない。したがって正本堂は、なお未だ三大秘法抄・一期弘法抄の戒壇の完結ではない。ゆえに正本堂建立をもって、なにもかも完成したように思い、ご遺命は達成してしまったとか、広宣流布は達成されたなどということは誤りである」等[5][official 16]
    • 10月12日 正本堂落慶法要。池田は聖教新聞(10月3日付)掲載の訂正文に反し、参列した全学会員に対し、副会長・福島源次郎を通して、「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」とのメッセージを伝えさせた[5][official 17]
  • 1973年(昭和48年)
    • 5月 久々に総本山大石寺への登山を願い出たところ、宗務院の早瀬総監より、「国立戒壇を捨てなければ登山は許されない。これは猊下の御意向である」との返事があった[official 18]
    • 7月15日 顕正新聞が復刊。
    • 12月22日 東京都板橋区常盤台に会館が完成。本部も甚兵衞宅から移転。
  • 1974年(昭和49年)
    • 5月19日 妙信講第16回総会を開催。席上、昭衞は、「御遺命守護のご奉公未だ終わらず。徹底してその悪を断ち、法のため、国のため、国立戒壇を宗門の公論とせねばならぬ。師子王の心を取り出し、国立戒壇への怨嫉をこの際徹底して打ち砕き、さらに政府への詐わりの回答も断じて訂正せしめる」等と述べた[official 18]
    • 5月24日 学会の秋谷副会長に「公開討論申し入れ書」を手渡す。秋谷は10日後、公開討論を許否する旨を書面で返答。以後、「国立戒壇の正義を全学会員に教える以外にない」として、「御遺命守護」を特集した顕正新聞(第18号)を全国で配布[official 18]
    • 7月28日 明治公園で「立正安国野外集会」開催。3,000人が参加[要出典]し、「八月十五日までに、国立戒壇を否定した政府への欺瞞回答[official 19]を撤回せよ。さもなければ妙信講が政府に対し訂正をする」旨の池田宛ての「決議文」を決議。理事を通じて学会本部に直接届けた[official 18]
    • 8月12日 宗門管長の日達より講中解散処分を受ける。宣告書の処分理由には、「右妙信講は数年来、『国立戒壇の名称を使用しない』旨の公式決定に違反し、更にまた昭和四十七年四月二十八日付『訓諭』に対して異議を唱え・・・」と記載されていた[official 20]
    • 10月4日 妙信講の青年部員約70名が創価学会本部へ押しかけ「牙城会」のメンバーと乱闘したとして、うち12人が暴力行為、不法侵入、器物損壊の罪で警視庁機動隊現行犯逮捕された。翌日10月5日の朝日新聞(23ページ目)と読売新聞(23ページ目)の朝刊によると、同日午後6時頃宣伝カーを先頭に妙信講側が「幹部に抗議に来た」といったところ、創価学会側は「責任者はもう帰ったのでいない」と答えると、「実力で会うぞ」と叫んで宣伝カーを創価学会本部の正門にぶつけ、青年部員約70名は乱入した。この報を聞きつけた四谷署員の機動隊員約100名が出動し、建造物侵入の疑いで同署に連行。この騒ぎで、門の一部は壊れ、掲示板のガラスは割れ、周辺は深夜まで混乱した。
    • 11月4日、講頭・甚兵衞、理事長・昭衞(いずれも当時の役職名)、幹部と男子部員ら33名が日蓮正宗から信徒除名処分にされる。
  • 1975年(昭和50年)
    • 8月20日 甚兵衞が講頭を退き、第2代講頭に昭衞が就任。
  • 1977年(昭和52年)
    • 4月14日 創価学会との法廷闘争で、東京地方裁判所において和解が成立。和解の内容は、①今後、妙信講の本部会館の御本尊の返還を求めないこと、②今後、「日蓮正宗妙信講」と書かれた本部会館の看板撤去を求めないこと、③新しい寺院(顕正寺)を妙信講のために立てること、の3つを条件として、創価学会からの訴え取下げに同意する、というもの。昭衞は同月26日の総幹部会において「まさに事実上の全面勝利である」と述べた[official 21]
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月5日 埼玉県和光市に顕正寺を建立、落慶入仏式を行う。住職に八木直道が就き、昭衞が導師を務める。
    • 9月14日 東京都生活文化局管理法人課の認証を受け、宗教法人「顕正寺顕正新聞社」(けんしょうじけんしょうしんぶんしゃ)設立。昭衞が会長に就任[7]
  • 1982年(昭和57年)
    • 10月9日 日本武道館で1万人の総会を開き、名称を「日蓮正宗顕正会」に変更。
  • 1985年(昭和60年)
    • 四者体制(男子部、女子部、婦人部、壮年部)となる。
  • 1990年(平成2年)
    • 4月27日 顕正会20万達成を背景として、大石寺第67世法主・阿部日顕に対し、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する一書を送付[official 22]
    • 7月8日 横浜アリーナで2万人の大総会を開催。席上、昭衞は、「もし池田大作が本門寺改称を強行するならば、そのとき全顕正会員はこぞって大石寺に総登山しよう。二十万顕正会の全員が戒壇の大後本尊様の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て本門寺改称を断固粉砕しようではないか」と述べた[official 23]
    • 10月12日 大石寺開創七百年慶讃大法要。席上、阿部日顕は、「大本門寺の寺号公称は、事の戒法の本義更に未来に於て一天四海に光被せらるべき妙法流布の力作因縁に依るべし」と発言[official 24]
  • 1992年(平成4年)
    • 11月 阿部日顕に対し、「直ちに戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉るべし。御遷座こそ誑惑の完全なる清算である」等と記した諌暁書を送付[official 25]
  • 1996年(平成8年)
    • 11月18日 文部省から認証を受け、改めて「宗教法人顕正会」が発足。登記簿上は、「顕正寺顕正新聞社」が名称変更した形となる。
    • 12月22日 総幹部会で「日蓮正宗顕正会」の名称を「冨士大石寺顕正会」に改めると発表。
  • 1997年(平成9年)
    • 7月16日 第1回一国諌暁開始。諫暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」を発行。この書籍は、顕正会員によって広く全国に配布された[official 26]
  • 1998年(平成10年)
    • 4月5日 本門戒壇の大御本尊が正本堂から元の奉安殿に御遷座[official 27]
    • 4月10日 日蓮正宗が正本堂解体を決め、大御本尊を遷座したのを受けて、本部会館で「御遺命守護完結奉告式」を行う。昭衞は御宝前において、「大聖人様-。本門戒壇の大御本尊が恐れ多くも誑惑不浄の正本堂に居えられ奉ってより今日まで、実に二十六年の長き歳月が流れました。しかるところ、嗚呼ついに、本年4月5日の午後四時、大御本尊は、清浄なる奉安殿に還御遊ばされました」と言上[official 27]
    • 6月15日 顕正新聞で「御観念文の改正」を発表。新しい勤行要典が会員に配布される。
    • 7月 正本堂が撤去される[official 28][soka 2]
  • 1999年(平成11年)
    • 12月 埼玉県大宮市(現・さいたま市大宮区)に「青年会館」を開設。
  • 2000年(平成12年)
    • 11月8日 本部をさいたま市大宮区に新築、移転。
  • 2003年(平成15年)
    • 5月 顕正寺を改築し、「冨士大石寺顕正会典礼院」を建立。
    • 11月6日 公称会員数が100万人に達する[official 28]。これをもって2度目の一国諫暁の準備が本格的に始まる。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月28日 第2回一国諌暁開始。諌暁書第2弾「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」を発行。
    • 読売朝日毎日日経 広告の掲載を企図と打とうとするが、全社に拒否される。顕正会側は「学会の圧力があったのであろう」と主張。この書籍は、顕正会員によって全国に約1500万部配布された[official 29]
    • 8月26日 阿部日顕が「全国教師講習会」において、かつて正本堂を御遺命の戒壇と述べたことには「言い過ぎやはみ出し」があったとしつつ、「結局、道理から言っても『国立戒壇』は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて『国立戒壇が間違いだ』と言ったことは正しかった」と発言[8]
  • 2005年(平成17年)
    • 3月25日 昭衞が阿部日顕に対し、公場対決を求める書面を送付。この書面には「勝負決着後の責務」として、「小生が敗れた時は、直ちに顕正会を解散する。貴殿が敗れた時は、直ちに御開扉を中止し、貴殿は猊座を退き謹慎する。」と記されていた[official 30]
    • 4月2日 対決申入書に対し、「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」名義で、「対決など受け入れるべき道理はない」旨の回答書が届いた[official 30]
    • 4月27日 昭衞が阿部日顕に対し、重ねて対決申入書を送付[official 30]
    • 5月4日 「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」名義で、再び対決を拒否する旨の回答書が届いた[official 30]
    • 8月28日 昭衞が阿部日顕に対し、「対決を逃避した阿部日顕管長に『最後に申すべき事』」と題する一書を送付。同書中、「これが小生の最後の諫めである。・・・以上、用捨は貴殿に任す。小生はただ慎んで御本仏日蓮大聖人に言上し奉り、御裁断を仰ぎ奉るのみである」と記し、重ねて不敬の御開扉中止と日顕の退座謹慎を迫る[official 30]
    • 12月15日 阿部日顕、退座。
  • 2008年(平成20年)
    • 5月18日 中華民国台湾)・台北市内に顕正会初の海外拠点となる「台北会館」を開設。
    • 12月23日 本部西隣に新青年会館を建設。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
    • 1月 総幹部会で城衞が理事長に就任[9]
    • 4月 横浜市港北区に神奈川会館を建設。
    • 9月 代表役員が浅井昭衞から次男の浅井城衞に変更される。
  • 2011年(平成23年)
    • 1月25日 総幹部会で壮年部が男子部に統合される。四者体制から三者体制となる。
  • 2014年(平成26年)
    • 11月7日 第6代創価学会会長・原田稔が全国総県長会議において、学会の会則第2条の「教義条項」改正について説明し、その際、「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはしない」と発言[soka 3]。昭衞は、同月の総幹部会において、この会則変更および原田会長の発言につき、「これぞ極限の大謗法、無間地獄の業因」と述べ、学会員に対し、「早く悪師を捨て、成仏の叶う大道念に立て」と訴えた。
  • 2015年(平成27年)
    • 1月25日 この日付の顕正新聞を「学会を救う特集号」と銘打ち発刊、以後、創価学会員に広く配布[要出典]

政治的思想

妙信講としての発足以来、創価学会と対立してきた経緯から、創価学会を支持母体とする公明党の存在を認めておらず、公明党と連立を組んだ政党も批判の対象となっている。その一方で、中国北朝鮮といった北東アジア社会主義国家による日本への脅威を主張しており、外交的に極右とみなされることがある。このため一時、公安調査庁の調査対象になっていた。

王仏冥合・国立戒壇建立

「王仏冥合・国立戒壇建立こそが、国家安泰と世界平和をもたらし、人々を真に幸福にする、究極の政治理念である」と説く。これは「日蓮大聖人の『立正安国論』における『汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば即ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰えんや』[soka 4]、および『三大秘法抄』における『王法仏法に冥じ、仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並びに御教書を申し下して、乃至、戒壇を建立すべき者か』との御指南に基づくためである」とする[official 31]

この王仏冥合との対比においては、「民主主義もまた、社会主義共産主義よりは優れているものの、究極の政治理念ではない」とする。それは「民主主義は権力の横暴に対し『民意を尊重せよ』との民衆の自己主張であるが、末法においてはその民衆が三毒強盛であるから、今度は衆愚政治になって国を亡ぼす、また、民主主義は多数決がその原理であるが、人の多さと正しさとは関係がない」、との理由による。「所詮、独裁も民主主義も、正しい仏法を根底にしなければ、国土に三災七難を招き、人民が苦悩することにおいては同じ」との説を唱えている[official 31]

公明党および自公連立政権に対する批判

創価学会を支持母体とする公明党が連立与党として国政を担う側に存在していることに対しては、「国立戒壇建立の御遺命に背き、『本門戒壇の大御本尊』を捨てるという『極限の大謗法』を犯した」との理由により反対との立場を取る[official 32]

公明党が1993年(平成5年)の非自民・非共産連立政権に参加すると、当時連立相手となった社会党(現・社会民主党)や日本新党などの各政党は一斉に本会による批判攻撃の対象となった。その後、1999年(平成11年)に自民党自由党と公明党の自自公連立が誕生したことから、今度は自民党が批判の対象となり、現在に至っている。

2010年代の自公連立政権だった安倍政権に対しては、「与党である自民党が日本会議とその趣旨に賛同する議員連盟日本会議国会議員懇談会神社本庁および傘下の政治組織神道政治連盟と一体になって憲法を改正し国家神道を復活させ、日本を『神の国』にしようとしている」と指摘し、「主君たる日蓮大聖人の存在を無視して『神の国』を作らんとすることが国を亡ぼす『仏法上の失』になる」との理由から、「安倍晋三首相辞任、同政権退陣」を主張してきた。また公明党が連立に参加していることについても「二悪鼻を並べる」凶事だと厳しく非難している[official 33][official 34]2017年(平成29年)10月の第48回衆議院議員総選挙前には、5回に渡って顕正新聞を安倍退陣要求の特集号とした。中でも解散直前の9月5日は『「安倍政権崩壊」特集号』[official 34]公示目前だった10月5日にも『「安倍ペテン政権」特集号』[official 33]と銘打って発行、自民党公認候補者の街頭演説会場などで配布した。

北方脅威論

昭衛は中華人民共和国および中国共産党による中華覇権主義を説き、これに対抗するには広宣流布を完結させるしかなく、それができるのは「御遺命を守護し奉って一筋の忠誠を貫き通した顕正会以外にはない」[10]と主張する。朝鮮民主主義人民共和国の核脅威にも、同様の主張をしてきた。

昭衛によるこれら一連の主張は日蓮が『立正安国論』の中の「他国侵逼難」の部分で説いた元朝による侵略の可能性を、現在の北東アジア共産圏に置き換えることによって正当化される。

その他

活動

勤行
法華経』のうち、方便品の冒頭から十如是までと、如来寿量品の長行と自我偈を読誦ののち、「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。夕方)の毎日2回。特に毎週日曜日は朝の勤行を各会館に集合して一堂に行う「日曜勤行」が開催される。
会合
総幹部会
ビデオ放映
各部班長会(男子部班長会・女子部班長会・婦人部班長会)
各組織部集会
御書講義(浅井昭衞が不定期に開催)
布教活動
顕正会では「折伏(しゃくぶく)」と呼ばれている。
また近年は、「日蓮大聖人とはいかなる御方か」と題する広告文や顕正新聞を街頭で配布するなどしている。
広布御供養
年1回12月に「広布御供養」と称して会員から寄付金を募っている。
教学の研鑽
基礎教学書「日蓮大聖人の仏法」を中心に学んでいる。他に「立正安国論謹厚」「開目抄を拝し奉る」、「六巻抄」等)の拝読等がある。毎年1月に教学試験が実施されており、会員には受験が奨励されている。
年間行事
  • 1月1日 - 元旦勤行
  • 1月 - 教学試験
  • 2月7日 - 日興上人御報恩勤行会
  • 4月28日 - 立宗御報恩勤行会
  • 9月12日 - 竜の口法難御報恩勤行会
  • 10月13日 - 御大会式
  • 11月15日 - 日目上人御報恩勤行会

幹部

主要役員

  • 会長:浅井昭衞
  • 理事長(宗教法人代表役員):浅井城衞

各部部長

  • 総男子部長 :浅井城衞
  • 総合女子部長:高屋敷久美子
  • 総合婦人部長:湯浅悦子

施設

冨士大石寺顕正会札幌会館
公式HPには45ヶ国に組織があると記載されている。これは、1974年(昭和49年)の破門当時、日蓮正宗宗門が創価学会を通じて進出していた国及び地域の数と一致する。しかし、顕正会が自前で保有する海外施設としては2020年現在、台北会館のみとなっている。

顕正会会員による勧誘をめぐるトラブル

  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)
  • 2005年(平成17年)
  • 2009年(平成21年)
    • 12月 この月に「会員数名が女性に入信を強要し、逃げようとした女性に怪我を負わせたとして、千葉県警察が千葉会館を家宅捜索した」と顕正会自らが発表した。顕正会は会員を告訴した女性について「後に虚偽告訴であることを自白し、罰金刑を受けた。更に法廷尋問に於いて、創価学会の幹部と接触したことを認めた」としている[15]
  • 2012年(平成24年)
    • 3月27日 脱会者に怪我を負わせたとして新潟県警察に逮捕された元少年が、不当逮捕だとして賠償を求めていた訴訟が棄却された[16]
  • 2013年(平成25年)
    • 9月11日 信者2名が東京都内に住む男性に「入信しなければ五体満足でいられなくなる」「入信したことを家族に話したら大勢で(男性の自宅に)押しかける」などと言って強引に勧誘したとして、警視庁公安部は、強要暴力行為等処罰ニ関スル法律違反の疑いで信者2名を任意で事情聴取するとともに、顕正会本部や東京会館など5箇所を家宅捜索した。警視庁への顕正会に関する相談件数は、2013年に入って80件超あったという。これに対して顕正会は「違法捜査だ」とコメントした[17][18]
    • 9月25日 この日開催された総幹部会で、「事情聴取を受けた会員の1人」と自称する信者が登壇し、容疑を否認した。また、取り調べの際にマスコミが報道した言葉を言ったか否かの尋問は無く、供述調書にも一切記載は無かったと述べた。昭衞は「創価学会の謀略である」「法的措置を取る」と述べた。顕正会に関する苦情が多数寄せられているという警視庁の発表については「創価学会が『K対策』と称する謀略を実行した結果である」と主張した[official 37]。この総幹部会の模様を伝えた顕正新聞同年10月5日号は『不当捜索特集号』と銘打たれ発行された。
  • 2014年(平成26年)
    • 2月26日 2013年9月11日の家宅捜索の際に取り調べを受けていた男2人が書類送検された。1人は容疑を認め、更に脱会しているという。もう1人は現役会員で、現在も容疑を否認しているほか、家宅捜索を受けてから書類送検されるまでの間に会社を退職している。「人為的な罰もある」と脅していたという[19][20]
  • 2015年(平成27年)
    • 10月5日 会員の男3人が、前日16時半頃に東京都台東区上野公園で、19歳の男子大学生に「東京見物に行かないか」などと嘘を言って車に乗せ、同板橋区常盤台の東京会館の近くまで連れ去ったとして、未成年者誘拐の疑いで警視庁公安部に逮捕された。大学生は、車内で顕正会に入会するよう勧誘され、不安になったためLINEで母親に「何者かに連れ去られている」と連絡し、母親の通報を受けた警視庁の捜査員が、東京会館の近くで4人を確保した。1人は容疑を否認し、残る2人は容疑を認めている。容疑を認めた男の1人は「一緒に会員になり仏法をやってほしかった」などと供述している。教団本部は「事実確認をしている。不当な捜査と考えている」としている[21][22][23][24]
    • 10月8日 会員3人の逮捕を受けて警視庁公安部が本部や東京会館など、複数の教団施設を家宅捜索した。教団側のコメントについては読売新聞は「一切ノーコメント」、日本テレビとFNNニュースは顕正会側の主張を「不当な捜索」と報じている[25][26][27]
    • 10月15日 新たに会員の男2人が同じ容疑で警視庁公安部に逮捕された。1人は「男性を入信させるよう指示した」と容疑を認め、もう1人は「男性と話したことは間違いない」と供述し、5人とも自らを顕正会の会員であると説明している。警視庁公安部によると、教団の強引な勧誘をめぐる相談や通報が、2015年1月から9月末までに約90件あったという。また、教団は逮捕された5人が会員であるとした上で「会の信用を失墜させるための不当逮捕だ」とコメントしている[28][29][30][31][32][33][34]
    • 10月23日 東京地方検察庁が4日の件で逮捕された会員5人のうち28歳の男性ら3人を処分保留で釈放した[35][36]
    • 11月9日 10月5日・15日に逮捕された5人のうち4人が起訴猶予となり、19歳の会員が家庭裁判所に送られた。理由について東京地検は「犯行の態様、被害者の年齢が成人に近いことなどを考慮した」としている。教団は「今回の捜査は顕正会の信用を失墜させるためのものであり強く抗議する」とコメントした[37][38][39][40][41]

脚注

冨士大石寺顕正会側の出典

  1. ^ 2021年11月末現在。
  2. ^ 「顕正会『試練と忍従』の歴史」(冨士大石寺顕正会)13-14頁
  3. ^ a b 「顕正会の歴史と使命」 顕正新聞社
  4. ^ 公式サイト「顕正会とは」。2018年9月配信
  5. ^ 「発誓願文」 - 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)316-317頁
  6. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)48頁
  7. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)48-50頁
  8. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)66-67頁
  9. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)69-70頁
  10. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)72頁
  11. ^ 「顕正会の歴史と使命」P76-77
  12. ^ 「顕正会の歴史と使命」P82-84
  13. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)85-86頁
  14. ^ 「顕正会の歴史と使命」P88-90
  15. ^ 「顕正会の歴史と使命」P92
  16. ^ 「顕正会の歴史と使命」P90-91
  17. ^ 「顕正会の歴史と使命」P92-93
  18. ^ a b c d 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)p408-410
  19. ^ ここでいう「政府への欺瞞回答」とは、創価学会が昭和45年4月23日、文部省(当時)に回答した次の内容を指す(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」p352-353)。 「一、本門戒壇とは、本尊をまつり、信仰の中心とする場所のことで、これは民衆の中に仏法が広まり、一つの時代の潮流となったとき、信者の総意と供養によって建てられるべきものである。二、既に現在、信徒八百万人の参加によって、富士大石寺境内に、正本堂の建設が行われており、昭和四十七年十月十二日には完成の予定である。これが本門戒壇にあたる。三、一時、本門戒壇を“国立戒壇”と呼称したことがあったが、本意は一で述べた通りである。建立の当事者は信徒であり、宗門の事業として行うのであって、国家権力とは無関係である。」
  20. ^ 処分理由中の「昭和四十七年四月二十八日付『訓諭』」とは、細井日達が正本堂を指して「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」と定めた訓諭である。この件について顕正会は、「まさしく妙信講は国立戒壇の御遺命のゆえに、信徒団体として死罪にも等しい解散処分を受けたのである」と主張している(「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」P410-411)。
  21. ^ 「御遺命守護の戦い」(冨士大石寺顕正会)234-235頁
  22. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)126頁
  23. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)127-128頁
  24. ^ 「顕正会の歴史と使命」(日蓮正宗顕正会)129-130頁
  25. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)435頁
  26. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」(冨士大石寺顕正会)438頁
  27. ^ a b 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」P440-441
  28. ^ a b 「弘通の足跡」顕正会公式HP[1]
  29. ^ 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」P445
  30. ^ a b c d e 「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」P448-453
  31. ^ a b 「浅井先生の質問会より」『民主主義は究極の政治理念でしょうか』
  32. ^ 「卑劣『森友・加計疑惑隠し』の解散 『丁寧・謙虚・真摯に説明』の誓い破る 総理は嘘をついてはいけない」 - 顕正新聞 2017年10月5日3面
  33. ^ a b c d 「卑劣『森友加計疑惑隠し』の解散 『丁寧・謙虚・真摯に説明』の誓い破る 総理は嘘をついてはいけない」 - 顕正新聞 2017年10月5日
  34. ^ a b 「森友・加計疑惑の本質は国家の私物化 両学園と安倍首相は日本会議で結ばれている」 - 顕正新聞 2017年9月5日号2面
  35. ^ 『自虐史観を捨て仏法史観に立て』
  36. ^ 浅井会長講演・一月度総幹部会/2012年1月24日 - 顕正会公式ホームページ
  37. ^ 「国立戒壇を堅持し二百万近きゆえに魔障 御本仏の師子王心拝し一筋の御奉公を 顕正会は『正しいから強い』のだ!」 - 顕正新聞2013年10月5日号2面

創価学会側の出典

  1. ^ 大白蓮華201号
  2. ^ 『仏法入門』(聖教新聞社 ISBN 9784412016279)P92
  3. ^ 「第67回総務会を開催 会則・教義条項の改正を議決」 - 聖教新聞 2014年11月8日付1・3面
  4. ^ 「第46章 結論として立正安国を論ずる」 - 『世界広布の翼を広げて 教学研鑽のために「立正安国論」』P230-235

その他の出典

  1. ^ 顕正会とはコトバンク>知恵蔵mini
  2. ^ 迷走する顕正会を斬る(日新報道、櫻川忠著著)p.37
  3. ^ 下山正恕「冨士大石寺顕正会」(76-77頁)によれば、この認証式の際に堀米日淳より「今まで法華講というのは墓檀家のように言われてきたが、法華講とは熱原の法華講衆にその源を発するのです。妙信講は熱原の法華講衆を鑑として、戦う法華講となって御奉公しなさい。まず三千の弘通を成し遂げてごらんなさい」との講話があり、妙信講幹部の一同は感涙したという
  4. ^ a b c d 山崎正友「盗聴教団」(1980年、晩聲社)40-52頁)。
  5. ^ a b c d e 原島嵩「池田大作先生への手紙」(1980年、晩聲社)20-23頁
  6. ^ 元学会顧問弁護士の山崎正友によれば、創価学会側から北条浩副会長(当時)が登山し、細井日達に対し、「解釈文を出されるのは結構だが、その内容によっては大変なことになる」等と圧力をかけ、解釈文を出させないようにしたという「盗聴教団」(1980、晩聲社)49-50頁)。
  7. ^ 「宗教法人顕正会」登記簿履歴事項全部証明書
  8. ^ 「近現代における戒壇問題の経緯と真義」p89,p97
  9. ^ 理事長ポストは旧妙信講時代の1974年に設けられて以来35年ぶりの復活で、現在の顕正会になってからは初めて。引き続き男子部長を兼務。
  10. ^ 「中国『海警法』を施行、東シナ海への侵攻開始 やがて尖閣は奪われ日本も侵略される お救い下さるは日蓮大聖人ただ御一人」 - 顕正新聞 2021年3月5日号3面
  11. ^ 浅井先生 原発大賛成の証拠 青森大会 - YouTube(04/14/2020)
  12. ^ 朝日新聞平成14年7月2日
  13. ^ 中日新聞平成14年5月2日
  14. ^ 朝日新聞2005年7月29日
  15. ^ 顕正新聞平成25年10月5日「不当捜索」特集号
  16. ^ “逮捕は正当、「顕正会」の請求棄却新潟地裁”. 新潟日報 netpark (新潟日報社). (2012年3月27日). オリジナルの2012年5月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120511144223/http://www.niigata-nippo.co.jp/news/pref/33587.html 
  17. ^ “宗教法人「顕正会」に家宅捜索 強引に入信迫った疑い”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月12日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130912013315/http://www.asahi.com/national/update/0911/TKY201309110139.html 
  18. ^ “宗教法人・顕正会本部など捜索…強引に入会迫る”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2013年9月11日). オリジナルの2013年9月13日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/wMSWJ 
  19. ^ 強引に入信勧誘した疑い、「顕正会」会員ら書類送検TBSニュース2014年2月26日16時2分配信(アーカイブ)
  20. ^ 顕正会会員ら2人書類送検=「入信断ればばち」強引勧誘容疑―警視庁ニコニコニュース2014年2月26日(アーカイブ)
  21. ^ 教団勧誘で未成年大学生を誘拐の疑い 「顕正会」関係者3人逮捕FNNニュース2015年10月5日12時34分配信
  22. ^ 「東京見物に行こう」と偽り大学生誘拐 宗教法人の関係者とみられる男ら3人逮捕産経ニュース2015年10月5日12時27分配信
  23. ^ 「東京見物に」と少年誘拐 宗教法人の男2人逮捕(15/10/16)ANNニュース公式YouTube
  24. ^ 安城の19歳誘拐疑いで3人逮捕 宗教勧誘目的か中日新聞2015年10月5日16時13分配信
  25. ^ 大学生誘拐、「顕正会」の本部など捜索…警視庁YOMIURI ONLINE2015年10月8日17時48分配信
  26. ^ 勧誘目的で誘拐 顕正会本部など家宅捜索日テレNEWS242015年10月8日18時58分配信
  27. ^ 大学生誘拐事件受け「顕正会」本部など家宅捜索FNNニュース2015年10月8日19時9分配信
  28. ^ 未成年者連れ回し容疑で新たに2人逮捕 宗教団体に勧誘目的か産経ニュース2015年10月15日14時41分配信
  29. ^ 「顕正会」会員ら 誘拐の疑いNHK首都圏NEWS WEB2015年10月15日18時33分配信
  30. ^ 宗教法人「顕正会」会員2人を大学生誘拐疑いで逮捕日刊スポーツ2015年10月15日19時32分配信
  31. ^ 勧誘目的で学生連れ回した疑い、顕正会会員逮捕TBS News i2015年10月16日0時13分配信
  32. ^ 宗教法人「顕正会」会員逮捕 現場の指示役らを新たに逮捕FNNニュース2015年10月16日1時41分配信
  33. ^ 顕正会:会員を逮捕 学生連れ回し容疑で 警視庁毎日新聞2015年10月15日19時36分配信
  34. ^ 新たに顕正会の2人逮捕 未成年者誘拐容疑日本経済新聞2015年10月16日13時50分配信
  35. ^ 日本経済新聞2015年10月24日朝刊
  36. ^ 誘拐容疑で逮捕の宗教法人の会員3人を釈放テレ朝ニュース公式Twitter2015年10月23日19時30分投稿
  37. ^ 大学生誘拐容疑の宗教団体関係者を起訴猶予産経ニュース2015年11月9日18時16分配信
  38. ^ 「顕正会」会員を起訴猶予NHK首都圏ニュース2015年11月9日18時23分配信
  39. ^ 大学生誘拐容疑の「顕正会」関係者を起訴猶予 東京地検朝日新聞デジタル2015年11月9日21時44分配信
  40. ^ 大学生誘拐容疑の「顕正会」会員1人家裁送致・4人起訴猶予TBSニュースi2015年11月10日2時44分配信
  41. ^ 学生連れ回し、起訴猶予日刊スポーツ2015年11月10日14時18分配信

参考文献

冨士大石寺顕正会の参考文献

  • 浅井昭衞『基礎教学書 日蓮大聖人の仏法』(2015、冨士大石寺顕正会)
  • 淺井昭衞『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』(2004、冨士大石寺顕正会)

その他の参考文献

  • 下山正恕『冨士大石寺顕正会』(1998、株式会社日新報道)
  • 週刊新潮2005年9月29日号(掲載ページ調査中)島田裕巳 「創価学会」も恐れる過激な原理集団 「顕正会」研究(創価学会批判の一部として記載されたもの)
  • 教祖逮捕―「カルト」は人を救うか ISBN 4796617191 月刊現代1999年12月号に掲載された記事の親鸞会関連の記述も含めた加筆版が掲載されている。
  • 「救い」の正体(ISBN 4796694617) 冒頭部を除いて親鸞会関連の記載を削除し、顕正会関連記事に特化した物が掲載されている。

関連項目

外部リンク