内閣官房長官

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日本の旗 日本
内閣官房長官
Chief Cabinet Secretary
日本国政府桐紋
加藤勝信
現職者
加藤勝信(第84代)

就任日 2020年令和2年)9月16日
地位内閣官房の長官
種類国務大臣
所属機関内閣
担当機関内閣官房
内閣府
任命内閣総理大臣
菅義偉
根拠法令内閣法
前身内閣書記官長
創設1947年昭和22年)5月3日
初代林讓治(非認証官)
黒金泰美(認証官)
橋本登美三郎(国務大臣)
略称官房長官
職務代行者内閣官房副長官
坂井学岡田直樹杉田和博
ウェブサイト内閣官房
内閣官房の入居する内閣府庁舎

内閣官房長官(ないかくかんぼうちょうかん、: Chief Cabinet Secretary[1])は、日本内閣官房長官[2]

内閣官房の事務を統括し、職員の服務につきこれを統督する(内閣法第13条第3項)。国務大臣をもって充てる(同法第13条第2項)。現職は、加藤勝信(第84代)。

職務

内閣官房長官は、内閣官房の事務を統轄し、所部の職員の服務につき、これを統督する(内閣法13条)。

内閣官房の事務は行政府のほとんどすべての領域に及びうる為、それを統括する官房長官の職務も極めて広範に渡りうる。今日の官房長官が果たしている特に重要な機能として、以下のようなものが挙げられる。

  1. 内閣の諸案件について行政各部の調整役。
  2. 同じく諸案件について、国会会派(特に与党)との調整役。
  3. 内閣の取り扱う重要事項や、様々な事態に対する政府としての公式見解などを発表する「政府報道官」(スポークスパーソン)としての役割。

執務室は総理大臣官邸5階にあり、特別職国家公務員である国務大臣秘書官1人[注釈 1]が割り当てられている。また希望に応じて特別職の大臣補佐官1人を補佐に当たらせることが出来る。閣議では進行係を務める。

このほか、内閣府大臣委員会及び特命担当大臣の所掌部署を除く)の事務の総括整理も担当することとされており(内閣府設置法8条)、具体的には大臣官房賞勲局迎賓館官民人材交流センター再就職等監視委員会国際平和協力本部宮内庁公正取引委員会などを所管する。

総理大臣官邸の敷地内に官房長官公邸2002年平成14年)3月から設置されており、緊急事態が発生した場合に官房長官が宿泊して迅速に対応する場合等に活用してきた例はあるが、常住施設としては使われたことがない[3]

概説

マスコミ報道等では内閣総理大臣と並んで国民に対する露出度(認知度)が高い重要ポストであり、実務的にも、中央省庁の再編や、その後逐次進んでいった官邸機能の強化によって、権限がその都度強まっている。重大な懸案の解決に当たっては官房長官の調整能力が成否を分けるとされ、内閣の要といわれる。

現憲法下では当初、天皇の認証対象とならない非認証官であったが、1963年昭和38年)に当時の池田勇人首相が、首相の意を受けて大臣に指示するには、大臣と同格にする必要があると判断し[4]第2次池田内閣 (第2次改造)時代の同年6月11日から認証官となった[4]。それまでは形式上は大臣より格下ポストだったのが、ようやくここで完全な大臣待遇となった。以降、テレビを通じて露出が顕著になり、毎日の記者会見がテレビを通じて伝えられ、「政権」の顔として話題となっていく[4]。近年はかつてに比べ、中堅よりも重量級の党重鎮が就任するケースが増え、現在では実質的内閣ナンバー2と見なされる事も多い。

将来の首相候補者の登龍門的なポストとして、また小回りのきく実務能力を重視して比較的年若い有望株を充てることもあれば、国会や官庁に睨みのきく政策調整能力を重視してベテランの大物政治家が就任することもある。いずれにせよ、首相と近い政治家が就任するのが通例である。自由民主党政権の場合は総裁派閥(首相の出身派閥)から任命される事例が多い。

報道において、「政府首脳」という言葉は慣例的に内閣官房長官を指す。これは取材記者との懇談など公式ではない発言(オフレコ)などについて用いられる表現である。また、国政の運営上必要な場合、内閣官房報償費を内閣官房長官の判断で支出できる。

2000年平成12年)4月以降は内閣総理大臣臨時代理予定者を5名指定する慣例があるが、内閣官房長官は第1位もしくは第2位に指定されている。内閣官房長官以外の国務大臣が第1位に指定された場合、その国務大臣は副総理と呼ばれるが、内閣官房長官の場合は特に副総理とは呼ばれない。なおそれ以前の内閣総理大臣臨時代理予定者を必ずしも指定しなかった時代において指定された者は、内閣官房長官であっても副総理と呼ばれていた。

海外を含めた出張の多い首相に代わり危機管理を担当するため、呼び出しを受けてから1時間以内に官邸入りできる体制が望ましいとされており、国外への出張がほとんどできない[注釈 2]。また、内閣官房長官が東京から離れる場合には、行政府の最高責任者である内閣総理大臣が東京にいることが望ましいとされている。内閣総理大臣と内閣官房長官が同時に東京を離れる事態は異例と報道されることがあるが、その場合は内閣官房副長官などが東京にいて危機管理等にあたることになる。

補佐職

内閣官房長官が執務を執る総理大臣官邸

内閣官房長官を補佐する職として次のような官職が置かれている。括弧内は根拠条文、内閣法を法と略称。

沿革

  • 1879年3月12日 - 太政官の「内閣」に内閣官房長官の前身である内閣書記官長が初めて設置され、下僚として大書記官、少書記官が置かれる。
  • 1885年12月22日 - 内閣制度の発足とともに正式の常設職となる。
  • 1890年6月30日 - 内閣所属職員官制の公布により、内閣所属の勅任官とされ、職掌が定められる。当時の職掌は「命ヲ内閣総理大臣ニ承ケ機密ノ文書ヲ管掌シ閣内ノ庶務ヲ統理シ及属以下ノ任免ヲ専行ス(内閣総理大臣の命令により機密文書を管理し、内閣の事務を監督し、内閣所属の判任以下の職員の人事権を執行する)」ものとされた。
  • 1898年10月22日 - 内閣所属各局の局長に対する書記官長の指揮権が命令権に改められる。
  • 1924年12月20日 - 内閣所属職員官制が全面改正され、書記官長直属の部局が内閣官房に改組。また、職掌に「内閣総理大臣ヲ佐ケ」が加わり、内閣総理大臣の補佐が明文化される。
  • 1947年5月3日 - 日本国憲法の施行に伴い、それまでの内閣書記官長を廃し、後継の職として、行政官庁法に基づく内閣官房長官が設置される。国務大臣の補職ではなかったため、国務大臣である者を内閣官房長官とする場合は「内閣官房長官に兼ねて任命する」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合の辞令は「内閣官房長官に任命する」。
  • 1949年6月1日 - 行政官庁法の失効に伴い、内閣法に基づく職となる。国務大臣をもって充てることができる旨が同法に明記されたため、その場合は「内閣官房長官を命ずる」との辞令表記となる。国務大臣でない者の場合は以前と同様「内閣官房長官に任命する」。
  • 1963年6月11日 - 当時の池田勇人首相の指示により[4]、内閣法が一部改正され、条件付きの認証官となる[4]。国務大臣である者が内閣官房長官となる場合は国務大臣としての認証を受け、国務大臣でない者が内閣官房長官となる場合は内閣官房長官としての認証を受ける。
  • 1966年6月28日 - 内閣法の一部改正により、内閣官房長官は国務大臣をもって充てることとなる(単独の認証官ではなくなった)。
  • 1984年7月1日 - 総務庁の設置に伴い、内閣官房に加えて総理府(大臣庁等を除く)の総括整理をも担当することとなる。
  • 2000年4月5日 - 複数の発令方法があり不備が指摘されていた内閣総理大臣臨時代理予定者の指定が、組閣時に第5順位まであらかじめ発令する方式に改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣がその第1順位に指定されることとなる。
  • 2001年1月6日 - 中央省庁再編に伴い、総理府に引き続き内閣府(大臣庁等を除く)の総括整理を担当することとなる。

内閣官房長官の一覧

歴代の内閣官房長官」を参照。

内閣官房長官表彰

内閣官房長官は、内閣官房の所管する業務に対する国民の功労に対して、「内閣官房長官表彰」((内閣官房長官、内閣官房長官感謝状を含む))を行っている。これは「内閣総理大臣表彰」に準ずるもので男女共同参画や青少年健全育成に関する功労者などに授与されている。また、交通安全協会の標語やコンテストなどで内閣官房が共催、後援しているものについては内閣官房長官賞を授与している。また、これ以外に世界で活躍したオリンピック選手などに「内閣官房長官感謝状」を贈呈するなどの例もある。

記録

  • 最年少就任記録:42歳 - 石田博英
  • 連続最長在任記録:2,822日(7年8か月) - 菅義偉
  • 通算最長在任記録:2,822日(7年8か月) - 菅義偉

脚注

注釈

  1. ^ このほか、各省庁からの出向者が秘書官事務取扱として複数名割り当てられる。
  2. ^ 内閣官房長官の外遊の例としては五十嵐広三1994年(平成6年)10月の外遊、野坂浩賢1995年(平成7年)9月の外遊、福田康夫2003年(平成15年)9月の外遊、菅義偉の2015年(平成27年)10月の外遊と2019年(令和元年)5月の外遊の例がある。

出典

  1. ^ 内閣官房組織等英文名称一覧”. 内閣官房. 2020年10月18日閲覧。
  2. ^ コトバンクブリタニカ国際大百科事典日本大百科全書(ニッポニカ)、デジタル大辞泉、精選版 日本国語大辞典)
  3. ^ 衆議院議員浅野貴博君提出内閣官房長官公邸の必要性に関する質問に対する答弁書
  4. ^ a b c d e 星浩『官房長官 側近の政治学』朝日新聞出版朝日選書921〉、2014年、16–18頁頁。ISBN 9784022630216 

関連項目

外部リンク