八景山橋
八景山橋(やけやまばし)は、長野県の梓川に架かる松本市梓川八景山と波田赤松を結ぶ渡河施設(沈下橋)である。正式名称ではなく、「沈下橋」「もぐり橋」「堰堤(えんてい)」とも呼ばれるが、いずれも固有名詞ではなく、普通名詞である。かつては「(赤松の)堰堤」などと呼ばれた。
概要
もともとは1931年に築造された「赤松頭首工」という梓川を堰止めて、堰に河川水を導くための施設であった。これが1977年に代替施設等により役割を終え、頭首工は撤去された。しかし、堰止めるための「堰堤」設備は残された。これが、八景山集落から対岸へ渡る渡河施設として集落にとっては貴重なものであったところから、2回にわたる改修・補修を受けて、現在の形態になっている。
橋げたはあまり高くない。このため、増水すると、橋の面を流れが覆うので、橋は使用できない。
梓川左岸の八景山側からは、二輪車が入ることができる。しかし、右岸の赤松側では堤防が階段状になっており、二輪車の通り抜けは不可能。
赤松頭首工
梓川の水を灌漑用水として堰(人工河川)に導くために、14の取水口があった。しかし、洪水による取水施設の破壊が頻繁であり、また水量不足からの水争いも多かった。これらを解消するため、1931年に、県営農業水利事業として、14の取水口を統合した頭首工と左岸・右岸各堰に連絡する幹線水路が完成した。これが「赤松頭首工」である[1]。この赤松頭首工施設の堰堤を、歩道橋として使い始めた[2]。しかし、この頭首工には砂礫の流入が激しく、十分に機能を発揮することができなかった。そのため、約3km上流に新たな頭首工が計画され、1943年に国営梓川農業水利事業として工事が始まった。しかし、大戦と敗戦の物資不足・混乱のために、その完成は1950年に遅れた。こうして完成したのが梓川頭首工であるが、その完成後も、赤松頭首工は補給水取入れのために使用された。しかし、奈川渡ダム等の築造に伴う国営中信平農業水利事業が1977年に完工したことから、赤松頭首工はその役割を果たし終えて撤去された[1]。
渡河施設としての活用
堰堤部分が撤去されてしまうと、八景山集落にとっては、対岸のアルピコ交通上高地線新島々駅に行くことができなくなる。八景山集落から対岸へ渡る渡河施設として集落にとっては貴重なものであったのだ。その住民の要望にこたえる形で、事業費430万円で、渡河専用施設として改修された。さらに、一部が老朽化したことから、2009年度には市が予算1200万円で補修した[3]。
代替橋計画
八景山集落は、梓川沿いに東西に長い。その中央を、長野県道278号大野田梓橋停車場線が走る。県道ではあるが交通量は多くない。八景山橋の西側約1600mが西端であり、西端は国道158号に接続する。八景山集落と、その接続地の間には集落はない。この部分に、落石や土砂崩落が発生する通称崖の下という危険個所があり、現在も通行止めのままである。県は、この抜本対策としてバイパスを建設する方針を固めた。バイパスは、梓川・波田両地区を結ぶ新しい橋を梓川に架け、道路も新設して国道158号へつなげるものになる。県は2014年度にルートを選ぶ調査を始める[4]。
なお、この県道バイパス計画の右岸側には、まったく別な渋滞対策道路(県道で、国道158号のバイパスとしての位置づけ)計画があり、すでに着工している。渋滞対策道路は、松本波田道路とその出口波田ICを前提にしたプロジェクトである。新たに計画が浮上した県道バイパスは、この渋滞対策道路と合流してから、国道158号に合流する。
画像
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八景山橋を、右岸下流から見た近景
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橋下流から右岸方。バイクで来た若者がいた
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左岸上流から見たところ
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上流から見た橋げた。濁流の岩石から橋げたを守る形状と作り
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右岸は階段状
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左岸の小さな池の開花前の水芭蕉
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右岸の赤松頭首工跡碑
周辺
脚注
参考文献
- 『信濃の橋百選』信濃毎日新聞社、2011年(この本は「はっけいやまばし」と誤読している)