八景
八景(はっけい)とは、ある地域における八つの優れた風景を選ぶ、風景評価の様式[1]。10世紀に北宋で選ばれた瀟湘八景がモデルとなり、影響を受けた台湾、朝鮮、日本など東アジア各地で八景が選定されてきた[2]。なお八景以外にも、四景、十景、十二景などの例も見られる。
内容
八景は瀟湘八景や西湖八景のように対象が固定されているものも多いが、台湾八景のように時代とともに内容が変遷するものもある。また、8つの風景の組み合わせは瀟湘八景をなぞらえている場合と、知名度の高い名所を中心に選出した場合があり、近年では後者が増えている。前者のような伝統的な形式では、八景を構成する個々の項目は、風景の対象地とそこでの事象や事物を組み合わせている[3]。
事象・事物の内容は瀟湘八景をそのまま踏襲し、
- 晴嵐:本来は春または秋の霞。青嵐と混同して強風としたり、嵐の後の凪とする例もある。
- 晩鐘:沈む夕日と山中の寺院の鐘楼の組み合わせ。
- 夜雨:夜中に降る雨の風景。
- 夕照:夕日を反射した赤い水面と、同じく夕日を受けた事物の組み合わせ。
- 帰帆:夕暮れの中を舟が一斉に港に戻る風景。
- 秋月:秋の夜の月と、それが水面に反射する姿の組み合わせ。
- 落雁:広い空間で飛ぶ雁の群れ。
- 暮雪:夕方ないし夜の、雪が積もった山。
の8つ[4]とする場合(例:近江八景)や、一部を同じものにする場合(例:最初の台湾八景)がある。個々の項目の具体例を挙げると、近江八景の「石山の秋月」のように「石山」(対象となる地)と「秋月」(その地で見られる事象)のようになる。この際、瀟湘八景と同様に前2句+後2句の漢字4文字となるように項目名が設定されることが多い(例:金沢八景)。一方で日本新八景などは対象地のみを選び、そこでの事象・事物は指定していない。また、事象を含む項目と地名のみの項目が混在した八景もある。
日本には中世の16世紀頃から、朝鮮では高麗末期の14世紀頃から概念が受容されたという[5]。
日本における八景
瀟湘八景に影響を受けた日本最古の八景は、漢詩集『鈍鉄集』に収められた博多八景とされる[6]。各地には多くの八景があり、全国の400カ所以上に八景が存在する[7][8]。
江戸時代に選定されたものが最も多く、浮世絵の連作のために考案された江戸八景などがある。その他、明治以降の観光地で観光客誘致のために行われた八景選定や、高度成長期以降の郊外都市で住民の愛着を高めるために行われた八景選定もある。
八景の例
- 日本
作品ジャンルとしての八景
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瀟湘八景が書画から始まった事もあり、好んで絵画の題材とされてきた。また、詩歌にうたわれた例も多い。
日本でも多くの作品が作られた。俗に八景物と呼ぶ。 特に広重はくりかえし八景物を手がけており、「近江八景(之内)」「隅田川八景」「金沢八景」「江戸近郊八景(之内)[9]」「東都八景」「江都八景」「東都司馬八景」「名所江戸八景」「東都雪見八景」等の作品がある。いずれもマンネリを避け、作品ごとに新たな画題、構図に腐心した様がうかがえるものである。
なお、近江八景、金沢八景の各項に作品画像があるので参照されたい。
参考文献・注
- ^ 漢字文化圏では、「八」を好字、聖数として尊重する。→8#その他 8 に関すること
- ^ 飛田範夫『大阪府下の八景の特性 (平成14年度 日本造園学会研究発表論文集)』 日本造園学会誌、Vol.65(5)、P.375-378、2002年
- ^ 山中冬彦『景からみた集落景観と亭 : 韓国安東素山里三亀亭とその八景』 日本建築学会計画系論文集、Vol.586、P.193-200、2004年
- ^ 上野訓、他『江戸八景にみる移ろいとその構造 : 近江・金沢八景との比較を通して』 日本建築学会技術報告集、No.4、P.98-102、1997年
- ^ 山中冬彦『集落の亭と景 -韓国安東市素山里三亀亭と八景-』 岐阜女子大学紀要、Vol.32、P.167-176、2003年
- ^ 並木誠士「中近世絵画史における画題の形成と伝達・蓄積-狩野派を中心に-」2009年5月31日、2013年2月14日閲覧。
- ^ 田中誠雄、他『日本における八景の分布について』 日本造園学会誌、Vol.63(3)、P.246-248、2000年
- ^ 社会環境システム研究領域『日本に伝わった景色の見方“八景”』 独立行政法人国立環境研究所 公開シンポジウム2001
- ^ 画中題字にたとえば「江戸近郊八景之内 羽根田落雁」のようにあり、一見、太字で示した部分が主題のようにも見えるので、このシリーズを「江戸近郊八景之内」と呼ぶことも多い。が、これもおかしな話なのであって、本来の題は「江戸近郊八景」である。「近江八景」も同様。