全米オープン (テニス)
全米オープン | |
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公式サイト | |
開催国 |
アメリカ合衆国 ニューヨーククイーンズ区 |
開催会場 | USTAビリー・ジーン・キング・ナショナル・テニス・センター |
サーフェス |
グラス - 屋外 (1881–1974) クレイ - 屋外 (1975–1977) デコターフ - 屋外 (1978–現在) |
男子ドロー | 128S / 128Q / 64D |
女子ドロー | 128S / 96Q / 64D |
混合ドロー | 32 |
賞金総額 | US$$34,252,000 |
グランドスラム大会 | |
全米オープン(英語:U.S.Open Championships)は、アメリカ・ニューヨーク市郊外にあるフラッシング・メドウのUSTAナショナル・テニス・センターを会場として、毎年8月の最終月曜日から2週間の日程で行われる4大国際大会の一つである。観客動員数や賞金総額はテニス競技大会で最大である。主催および運営は全米テニス協会(英語:United States Tennis Association)。
歴史
全米オープンの歴史は1881年に全米選手権の第1回がアマチュア大会として開催された事に始まる。出場資格はアメリカ ナショナル ローン テニス協会に加盟するテニスクラブ会員にのみ与えられ、男子シングルス部門と男子ダブルス部門が行われた。その後、全米女子選手権が1887年にフィラデルフィア・クリケット・クラブで開催され、1889年に女子ダブルス部門を、1892年には混合ダブルス部門を追加しながら開催地を転々とする。1942年、第二次世界大戦の影響を受けて5部門の会場をニューヨーク・クイーンズ区のフォレストヒルズ(Forest Hills)にあるウェストサイド・テニスクラブにまとめられ、終戦後の1947年以降は各部門の会場が全米に散らばった。
1968年、全米選手権にプロ選手への開放を示すオープン化措置が実施され、全米オープンが誕生した。この大会から会場が再びウェストサイド・テニスクラブにまとめられ、以降5部門共催が続く。1975年、イレギュラーバウンドが不評であった天然芝コートが、Har-Tru グリーンクレー(緑土、アメリカンクレー)コートに変更された。
やがて、年々増加する観客の収容にウェストサイド・テニスクラブが対応しきれなくなり、全米テニス協会は会場の移転を決断。当時、協会会長を務めていたウィリアム・ヘスター(William Hester)の命を受けて、1977年にニューヨーク・クイーンズ区のフラッシング・メドウにUSTAナショナルテニスセンターを建設。サーフェスもクレーコートからハードコートに変更した上で翌1978年に会場を移転した。この様に、全米オープンは現在に至るまで変遷に富んだ道のりを歩んできた。開催地や会場のみならず、サーフェスについてもグラス(〜1974年大会)→グリーンクレー(1975年大会〜1977年大会)→ハード(1978年大会〜)と2度の変更が加えられており、これは4大国際大会で全米オープンだけである。
1997年、USTAナショナル・テニス・センターに、新しく2万5千人以上を収容できる世界最大のテニス・スタジアムが建設され、全米オープン初代優勝者の名を取ってアーサー・アッシュ・スタジアムと命名された。1996年までセンター・コートとして用いられたコートにはルイ・アームストロング・スタジアムと名付けられた。
2015年の大会では外気温が35度にもなる酷暑の試合日が続きグランドスラムでは最悪となる14人もの棄権者が続出してしまった。
過去10年のシングルス優勝者
年 | 男子 | 女子 | 備考 |
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2006年 | ロジャー・フェデラー | マリア・シャラポワ | |
2007年 | ロジャー・フェデラー | ジュスティーヌ・エナン | フェデラーが、オープン化以降最多となる大会4連覇を達成。 |
2008年 | ロジャー・フェデラー | セリーナ・ウィリアムズ | フェデラーが、大会5連覇。1920年~1925年に全米選手権6連覇を達成したチルデンの5連覇以来84年ぶり。 |
2009年 | フアン・マルティン・デル・ポトロ | キム・クライシュテルス | アルゼンチン男子の大会制覇は1977年のギレルモ・ビラス以来32年ぶりの快挙、20歳11ヶ月の四大大会の優勝は史上5番目の若さでの達成。 |
2010年 | ラファエル・ナダル | キム・クライシュテルス | ナダルが、キャリア・グランドスラム達成(「24歳102日」は、オープン化以降では最年少の記録)。 |
2011年 | ノバク・ジョコビッチ | サマンサ・ストーサー | |
2012年 | アンディ・マレー | セリーナ・ウィリアムズ | |
2013年 | ラファエル・ナダル | セリーナ・ウィリアムズ | 大会日程が史上最長の15日間となる |
2014年 | マリン・チリッチ | セリーナ・ウィリアムズ | 錦織圭が男子シングルスでアジア選手として初の決勝進出。決勝は11年ぶりにBIG4以外の対戦 |
2015年 | ノバク・ジョコビッチ | フラビア・ペンネッタ | フラビア・ベンネッタは引退を突如宣言した |
記録
優勝回数ランキング
選手 | 回数 |
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ビル・チルデン | 7 |
リチャード・シアーズ | |
ウィリアム・ラーンド | |
ジミー・コナーズ | 5 |
ピート・サンプラス | |
ロジャー・フェデラー |
テレビ放送
日本では1979年から1983年まではNHK総合テレビが独占放送したが、1987年から2004年までTBSが制作を務めており、JNN系列全国28局ネットで放送していた。[1]セールスはテレ・プランニング・インターナショナルとビデオプロモーションが担当しており、ゴルフのマスターズ・トーナメントと同様、アナウンサーの提供コメントなしで放送していた。1992年からはWOWOWが放映権を持っている。
アメリカでは2015年以降、ESPNが独占放映権を獲得。長年、シングルス決勝を放送していたCBSは2014年大会を最後に撤退する。
優勝賞金(男女シングルス)
年月日(大会最終日) | 金額 |
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1989年9月10日 | 30万0000ドル |
1990年9月9日 | 35万0000ドル |
1991年9月8日 | 40万0000ドル |
1992年9月13日 | 50万0000ドル |
1993年9月12日 | 53万5000ドル |
1994年9月11日 | 55万0000ドル |
1995年9月10日 | 57万5000ドル |
1996年9月8日 | 60万0000ドル |
1997年9月7日 | 65万0000ドル |
1998年9月13日 | 70万0000ドル |
1999年9月12日 | 75万0000ドル |
2000年9月10日 | 80万0000ドル |
2001年9月9日 | 85万0000ドル |
2002年9月8日 | 90万0000ドル |
2003年9月7日 | 100万0000ドル |
2004年9月12日 | 100万0000ドル |
2005年9月11日 | 110万0000ドル |
2006年9月10日 | 120万0000ドル |
2007年9月9日 | 140万0000ドル |
2008年9月8日 | 150万0000ドル |
2009年9月14日 | 160万0000ドル |
2010年9月13日 | 170万0000ドル |
2011年9月12日 | 180万0000ドル |
2012年9月10日 | 190万0000ドル |
2013年9月9日 | 260万0000ドル |
2014年9月8日 | 300万0000ドル |
2015年9月13日 | 330万0000ドル |
関連項目
- 全米オープン男子シングルス優勝者一覧
- 全米オープン女子シングルス優勝者一覧
- 全米オープン男子ダブルス優勝者一覧
- 全米オープン女子ダブルス優勝者一覧
- 全米オープン混合ダブルス優勝者一覧
- 全米オープン (車いすテニス)
外部リンク
- 全米オープンテニス公式ホームページ(英語)
- 全米テニス協会公式ホームページ(英語)
- 全米オープン (@usopen) - X(旧Twitter)
- 全米オープン (USOPENTENNIS) - Facebook