入江若葉

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いりえ わかば
入江 若葉
本名 小林 若葉(旧姓:田村)
生年月日 (1943-05-12) 1943年5月12日(80歳)
出生地 日本の旗 東京都港区
血液型 A
職業 女優
ジャンル 映画・テレビドラマ・舞台
活動期間 1961年 - 現在
著名な家族 東坊城徳長(祖父)
入江たか子(母)
田村道美(父)
東坊城恭長(伯父)
事務所 アン・ヌフ
主な作品
宮本武蔵シリーズ
転校生
時をかける少女
美しい夏キリシマ
 
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞

2020年海辺の映画館―キネマの玉手箱
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入江 若葉(いりえ わかば、1943年5月12日 - )は、日本女優

本名は小林 若葉(こばやし わかば、旧姓:田村)。東京都港区出身。血液型A型、身長160cm、体重48kg。アン・ヌフ所属。

来歴・人物[編集]

文化学院専門課程美術学科卒業。

1943年5月12日無声映画時代からトーキー初期にかけての人気女優入江たか子と、当時日活太秦撮影所の俳優だった田村道美の娘として、東京・港区赤坂に生まれる。

人気商売の両親の結婚は、10年間極秘であったが、父・田村が俳優業を引退してたか子のマネージャーとなり、母・たか子も自らの映画製作会社「入江ぷろだくしょん」をたたみ東宝映画東京撮影所と専属契約して6年を経て、若葉が生まれるのを期に入籍した。

母のたか子は、子爵東坊城家の当主で貴族院議員の東坊城徳長(1869年 - 1922年)の長女で、戦前の映画監督東坊城恭長は母の兄なので、若葉にとっては伯父に当たる。

女優を引退し、銀座7丁目に開いた「バー・いりえ」でマダムをつとめる母の手で、赤坂の家で育てられた。母も通った東京・神田駿河台の文化学院を卒業、1961年、18歳で東映京都撮影所に入社。

かつて、母を発掘し主役デビューを飾らせた内田吐夢監督の手により、同年5月27日公開の中村錦之助主演映画『宮本武蔵』のヒロイン「お通」役で芸能界デビュー、「東映京都のお姫様女優」となった。

1965年の『宮本武蔵 巌流島の決斗』出演後、フリー[1]

以後もっぱらテレビドラマの女優となり、活躍した。

1975年、32歳のとき、歌舞伎座テレビ映画部・関西テレビ製作、フジテレビ系のテレビ映画宮本武蔵』(関西テレビ制作・火曜夜10時枠の連続ドラマ)をもってしばし休業、夫や母と共にとんかつ屋を営む。

1980年、37歳のときに、同枠のテレビ映画『旅がらす事件帖』(製作国際放映・関西テレビ)で復帰する。また映画にも1982年に大林宣彦監督の『転校生』で16年振りに復帰、以降大林作品を中心に活躍している。また、当時すでに引退していた母入江たか子と、大林監督の『時をかける少女』(1983年)や『廃市』(1983年)『火曜サスペンス劇場100回記念作品・麗猫伝説』(同)で母子共演を果たした。

1986年には演劇集団『江戸組』を主宰した。

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

舞台[編集]

  • 橋幸夫特別公演「新版ねずみ小僧」
  • 花の生涯
  • 四人噺し
  • 弱法師
  • おえん

CM[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「いま何してる? 入江若葉」『週刊読売』1966年5月20日号、読売新聞社、48頁“いま東映で『丹下左膳』に出ています。『宮本武蔵』が終わったあと、フリーになったので、引退したなんていわれましたけど、私はそんなつもりじゃなかったんです(中略)十ヶ月ぶりの映画はたのしいし、これからも続けたいワ” 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]