倉貫一毅

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倉貫 一毅
名前
カタカナ クラヌキ カズキ
ラテン文字 KURANUKI Kazuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1978-11-10) 1978年11月10日(45歳)
出身地 滋賀県大津市
身長 172cm
体重 61kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-1999 ジュビロ磐田 0 (0)
2000-2006 ヴァンフォーレ甲府 246 (12)
2007-2008 京都サンガF.C. 35 (5)
2008-2011 徳島ヴォルティス 137 (9)
2012-2013 京都サンガF.C. 27 (0)
2014 ガイナーレ鳥取 32 (0)
監督歴
2022 FC琉球(暫定)
2023 FC琉球
2023- Y.S.C.C.横浜
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

倉貫 一毅(くらぬき かずき、1978年11月10日 - )は、滋賀県大津市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはMF

来歴[編集]

滋賀県大津市立南郷中学校卒業。中学時代は父である岩谷篤人[1](のち野洲高校コーチ、現セゾンFC総監督)が当時監督を務めていた地元の強豪クラブ・セゾンFCでプレーし、「『監督の息子やから試合に出てる』と思われたくない」と練習に打ち込んだ[2]静岡学園高校卒業後、1997年ジュビロ磐田へ入団したが、磐田在籍中の公式戦の出場は無かった。

坂本紘司とは、セゾン、静学、磐田でのチームメイトであり、現在でも親交は厚い。試合後には「紘司には顔では負けるがプレーで勝ちたい」とコメントしている(2007年第2ターム対戦にて)。

出場機会を求め2000年ヴァンフォーレ甲府へ移籍するも、リーグ戦25連敗(引き分け含め)を喫するなど成績は低迷中で、観客動員も伸びず2000年末にはクラブが存続危機に陥いるなど、甲府に移籍してからは苦闘も多かったが、挫けずキャプテンとしてチームを牽引し続け、2005年に見事悲願のJ1昇格を成し遂げた。

2006年4月30日の古巣・磐田戦において福西崇史との接触プレーで左膝前十字靱帯損傷で全治約6か月の重傷を負ったが、同年12月9日の天皇杯5回戦・川崎戦で先発出場し、戦列復帰を果たした。しかしそのシーズンオフに京都サンガF.C.へ移籍。チームを支えるキャプテンの移籍はサポーターの間で物議を醸したが、決して甲府側の待遇に不満を持っていた訳ではなく、家族や将来のことを考えた上で実家に近い京都でのプレーを選んだと本人はコメントを残している。

2007年は京都のJ1昇格に多大な貢献をしたが、翌2008年のJ1での戦いに向けて京都が大幅に戦力を補強したこともあり、出場機会を失った。2008年6月11日付で出場機会を求め、京都との契約を解除し、6月23日にJ2徳島ヴォルティスへの完全移籍が発表。徳島への合流直後から試合に出場し、J2で苦戦が続いていたチームを牽引し続けていた。チームに合流してからの初勝利は2008年9月27日の四国ダービー

2009年シーズンはキャプテンとして、京都時代以来のJ1昇格に向かって奮闘した。

2012年から、京都へ完全移籍で復帰をはたした。2013年シーズン終了後、契約満了により退団[3]

2014年ガイナーレ鳥取へ移籍[4]。2015年1月、契約満了により退団した[5]

2015年2月、現役引退と[6]、徳島ヴォルティスのホームタウン推進部普及コーチ就任が発表された[7]

2017年、ユースコーチに就任[8]。2018年8月からユース監督となり、岩谷は「俺を追い越すのは息子かな」と指導者としての後継に期待を持っている[1]

2021年12月14日、FC琉球のヘッドコーチ就任が発表された[9]

2022年6月8日、喜名哲裕の解任に伴い、後任が決まるまで暫定的にFC琉球の監督に就任すると発表された[10]。その後、ナチョ・フェルナンデスが新監督に就任するとヘッドコーチとなるが、来季のJ3への降格決定により、同監督が2022年シーズン一杯で退任することを受けて、2023年シーズンから後任の監督に就任することとなった[11]。しかし、開幕10試合で3勝1分6敗と低迷し、5月15日付で監督を解任された[12]

2023年8月30日、成績不振で解任された星川敬の後任としてY.S.C.C.横浜の監督に就任した[13]。ちなみに、初指揮をした試合は古巣 FC琉球との試合だった。

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1997 磐田 30 J 0 0 0 0 0 0 0 0
1998 0 0 0 0 0 0 0 0
1999 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2000 甲府 20 J2 39 3 2 0 4 0 45 3
2001 10 25 0 1 0 1 0 27 0
2002 8 44 1 - 3 0 47 1
2003 44 0 - 3 0 47 0
2004 41 1 - 1 0 42 1
2005 43 4 - 2 0 45 4
2006 J1 10 3 3 0 2 1 15 4
2007 京都 20 J2 35 5 - 0 0 35 5
2008 8 J1 0 0 0 0 - 0 0
徳島 35 J2 21 3 - 1 0 22 3
2009 8 49 3 - 1 1 50 4
2010 33 2 - 2 0 35 2
2011 34 1 - 1 0 35 1
2012 京都 18 13 0 - 0 0 13 0
2013 14 0 - 2 0 16 0
2014 鳥取 8 J3 32 0 - 2 0 34 0
通算 日本 J1 10 3 3 0 2 1 15 4
日本 J2 435 23 3 0 21 1 459 24
日本 J3 32 0 - 2 0 34 0
総通算 477 26 6 0 25 2 508 28

その他の公式戦

指導歴[編集]

  • 2015年 - 2021年 徳島ヴォルティス
    • 2015年 - 2016年 ホームタウン推進部普及コーチ
    • 2017年 - 2018年8月 ユース コーチ
    • 2018年8月 - 2021年 ユース 監督
  • 2022年 - 2023年5月 FC琉球
    • 2022年 トップチーム ヘッドコーチ
      • 2022年6月 暫定監督
    • 2023年 - 同年5月 トップチーム 監督
  • 2023年8月 - Y.S.C.C.横浜 監督

監督成績[編集]

シーズン クラブ 所属 リーグ戦 カップ戦 天皇杯
順位 勝点 試合
2022 FC琉球 J2 - - 2 0 0 2
2023 J3 - - 10 3 1 6
Y.S.C.C.横浜

FC琉球監督時代

*2022年シーズンはJ2 21節(長崎)、22節(岡山)のみの指揮。

*2023年シーズンはJ3 10試合のみの指揮。

YS.C.C.横浜時代

*2023年シーズンはJ3 25節から指揮。

脚注[編集]

  1. ^ a b 「乾には何も教えるな」2005年度選手権優勝、野洲《セクシーフットボール》の陰にいた知られざる“天才軍師” Sports Graphic Number Web(木崎伸也)、2021年1月5日、2021年1月8日閲覧
  2. ^ Vol.07 倉貫 一毅 - ファンゾーン 徳島ヴォルティス、2021年1月8日閲覧
  3. ^ 契約満了選手のお知らせ(12/10)”. 京都サンガF.C. (2013年12月10日). 2013年12月10日閲覧。
  4. ^ 倉貫一毅選手(京都サンガF.C.)新加入のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2014年1月20日). 2014年1月20日閲覧。
  5. ^ 契約満了選手のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2015年1月15日). 2015年1月15日閲覧。
  6. ^ 倉貫 一毅選手 現役引退のお知らせ”. ガイナーレ鳥取 (2015年2月2日). 2015年2月2日閲覧。
  7. ^ 倉貫 一毅選手 ホームタウン推進部普及コーチ就任のお知らせ”. 徳島ヴォルティス (2015年2月2日). 2015年2月2日閲覧。
  8. ^ 2017年度アカデミースタッフについてのお知らせ 徳島ヴォルティス、2017年3月16日
  9. ^ 倉貫一毅氏 ヘッドコーチ就任のお知らせ FC琉球、2021年12月14日
  10. ^ 喜名哲裕監督 解任のお知らせ FC琉球、2022年6月8日
  11. ^ 倉貫一毅ヘッドコーチ 監督就任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2022年10月28日https://fcryukyu.com/news/36426/2022年10月28日閲覧 
  12. ^ 倉貫一毅監督 解任のお知らせ』(プレスリリース)FC琉球、2023年5月16日https://fcryukyu.com/news/40029/2023年5月17日閲覧 
  13. ^ 倉貫一毅氏 監督就任のお知らせ | Y.S.C.C.公式サイト”. NPO法人 Y.S.C.C. 横浜スポーツ&カルチャークラブ (2023年8月30日). 2023年8月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]