倉義和

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倉 義和
広島東洋カープ 選手兼任コーチ #40
2015年8月29日 阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市山科区
生年月日 (1975-07-27) 1975年7月27日(48歳)
身長
体重
179 cm
90 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1997年 ドラフト5位
初出場 1998年5月9日
年俸 2,700万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 広島東洋カープ (2016 - )

倉 義和(くら よしかず、1975年7月27日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手捕手)。京都府京都市山科区出身。

2008年からの2年間、広島の選手会長を歴任。2016年からは、二軍バッテリーコーチを兼務する。

来歴・人物

プロ入り前

京都成章高では大家友和とバッテリーを組み、3年夏の京都大会で準優勝。京産大へ進学。関西六大学リーグ通算77試合出場、250打数64安打、打率.256、5本塁打、33打点。4年春のベストナインに選出。

1997年のドラフト会議で広島東洋カープに5位で指名され入団。

プロ入り後

守備面においては入団当時から達川光男に「文部省推薦の捕手」「教科書の手本の写真どおり」と評価され、1年目からスタメン起用される[要出典]5月7日横浜戦で延長10回裏にプロ初出場を果たし、12回表のプロ初打席では3バント失敗で併殺打に倒れたが、14回表にプロ初安打となる決勝タイムリーを放っている。しかし、その後はなかなか出場機会が得られず、2004年には後輩の石原慶幸にレギュラーを奪われている。因みに、この頃は課題とされてきた打撃が二軍で好調だったこともあり、野手転向の話もあった。8月20日の対巨人戦(広島市民球場)で、ベンチに残っている最後の野手だった倉は代打で登場し、センター前へ野球人生初のサヨナラ安打を放った。この試合の試合時間、5時間42分はプロ野球セ・リーグ歴代10位に入っている。試合終了時には午前0時を過ぎていたため、試合後の山本浩二監督の言葉は「また今日もよろしくお願いします」だった。

2005年の春季キャンプでは、ブルペンに入った際に新品のミットを慣らしていたため、エースの黒田博樹から「今の段階でミットを作っていることが投手に失礼」とその日は謝罪も受け付けられないほど激怒される騒動があった[1]。しかしこのキャンプで正捕手であった石原が骨折したため、4月1日の開幕戦(対巨人戦)でプロ入り後初めての開幕スタメンを務め、正捕手の座を獲得した。石原が復帰すると、当時打線が低調だったこともあって打撃に優れた石原に正捕手の座を譲ったが、それまで好調だった投手(小山田保裕など)が揃って調子を崩したことから、まもなく正捕手に復帰する。最終的に自己最多の109試合に出場し、打撃面に課題は残ったものの盗塁阻止率はセ・リーグ1位の.440を記録した。キャンプで叱りつけられた黒田とは、シーズンが進むにつれて抜群の相性を見せるようになり、以後長い間「黒田専属捕手」として常にバッテリーを組むようになる。

2006年は石原(85試合出場)らとの併用で84試合出場に止まり、盗塁阻止率はリーグ最低に終わった。

2007年4月の開幕当初、チーム打線全体がドン底の状態の中新井貴浩と打率リーグトップを争っていた。しかし前を打つ6・7番の出塁率が低かったことと、後に続く1・2番が絶不調だったことで打点、得点につながらず、打順昇格が行われたのは倉の調子が落ち始めてからだった。シーズン中盤は打撃が絶好調の石原にスタメンマスクを譲ることが多かったが、終盤に再び巻き返して最終的には打率.274、7本塁打で長打率は4割を越え、併殺打はわずか2と、打撃面では自己最高のシーズンになった。10月13日には永川勝浩と共に日本テレビのドラマ「ドリーム☆アゲイン」の第1話冒頭で反町隆史演じる巨人の打者・小木駿介と劇中で対決するという設定で登場している(一部、スタントマンが担当)。

2008年に長く専属捕手を務めてきた黒田がロサンゼルス・ドジャースへ移籍したことから、開幕は特定の専属投手不在で始まったが、序盤に高橋建の専属捕手としての立場が確立すると高橋の前半戦の活躍に貢献する。以後も青木高広齊藤悠葵など、左腕投手が先発する際には優先的に先発を任された。しかし、前年とは打って変わって打率2割前後と低迷し、長く併用されてきた石原にレギュラーを奪われる。最終的に一軍に定着した2005年以降では最低の48試合出場に終わった。ちなみにこの年の本塁打数2本のうち1本は、この年に201回2/3イニングで被本塁打数3だった東北楽天ゴールデンイーグルス岩隈久志から放ったものである。

2009年は前年の黒田に続いて高橋もメジャーに挑戦したため、再び専属投手不在となる。シーズン序盤から石原が打撃不振に陥ったが、自身も同様に打撃不振だったため正捕手の座を奪うには至らなかった。夏場には若い會澤翼の台頭を許すこともあったが、シーズン終盤にはほぼ均等に石原と併用されるようになる。しかし出場試合数は前年を更に下回る43に止まり、打撃も一軍定着後では初の打率1割台、また本拠地が広くなったこともあって6年ぶりの本塁打0に終わる。5月に国内移籍が可能なFA権を取得したが、シーズン終了後の10月24日、FA権を行使せずに広島に残留する意向を表明した[2]

2010年は石原が前年より打撃を持ち直したことで出場機会を増やすには至らなかったが、4月30日の対中日戦では初の満塁本塁打を放ち、青木高広のプロ初完封を攻守にわたりアシストした[3]。この年は少ない打撃機会ながら打率.281と自己最高を記録し、2年ぶりに本塁打を打つなど打撃好調なシーズンとなり、前年より高いレベルで正捕手争いを演じた。

2011年7月30日の中日戦で先制タイムリー打を放つなどの存在感を見せるも[4]、55試合の出場に終わった。

2012年4月6日のDeNA戦で前田健太のノーヒットノーランをアシスト。シーズン途中で怪我で離脱するものの70試合に出場。打率.195に終わったが、2010年以来のホームランも放った。

2013年以降は、一軍公式戦への出場機会が徐々に減少。2015年には、1試合で守備に就いただけにとどまった。2016年からは、現役生活を続けながら、二軍バッテリーコーチを兼任する[5]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1998 広島 6 4 4 0 1 0 0 0 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 .250 .250 .250 .500
1999 15 21 18 2 4 0 0 0 4 1 1 0 1 0 1 0 1 2 0 .222 .300 .222 .522
2000 20 35 31 0 5 0 0 0 5 0 0 0 2 0 1 0 1 12 0 .161 .212 .161 .373
2001 35 46 44 4 6 2 0 0 8 1 0 0 1 0 1 0 0 13 0 .136 .156 .182 .337
2002 13 26 21 0 3 1 0 0 4 0 0 0 3 0 2 0 0 6 0 .143 .217 .190 .408
2003 4 8 5 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 0 .000 .375 .000 .375
2004 24 23 21 3 3 0 0 1 6 2 0 0 0 0 2 0 0 4 2 .143 .217 .286 .503
2005 109 306 267 18 56 8 1 4 78 22 1 0 15 3 16 4 5 42 7 .210 .265 .292 .557
2006 84 265 247 16 59 7 0 5 81 14 1 1 4 0 7 1 7 51 8 .239 .280 .328 .608
2007 82 274 248 19 68 11 0 7 100 25 1 2 5 2 15 4 4 42 2 .274 .323 .403 .727
2008 48 128 121 8 25 6 0 2 37 11 0 0 0 1 4 1 2 23 0 .207 .242 .306 .548
2009 43 106 100 4 19 2 0 0 21 7 0 0 2 1 2 0 1 17 6 .190 .212 .210 .422
2010 45 105 89 12 25 3 0 2 34 13 1 0 4 0 10 3 2 20 4 .281 .366 .382 .748
2011 55 135 108 9 20 1 0 0 21 8 0 0 9 1 13 0 4 25 3 .185 .294 .194 .488
2012 70 160 133 9 26 6 0 1 35 15 1 0 8 0 14 0 5 20 6 .195 .296 .263 .559
2013 39 75 64 4 15 2 1 0 19 4 0 0 3 0 6 0 2 14 1 .234 .319 .297 .616
2014 26 50 43 1 4 0 0 1 7 2 0 0 3 0 2 1 2 14 1 .093 .170 .163 .333
2015 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .--- .--- .--- .---
NPB:18年 719 1767 1564 110 339 49 2 23 461 126 6 3 60 8 96 14 39 306 41 .217 .278 .295 .574
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1998 6 8 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ----
1999 10 26 3 0 0 1 1.000 6 4 2 .333
2000 18 53 4 1 2 0 .983 10 8 2 .200
2001 23 76 5 0 2 0 1.000 10 7 3 .300
2002 12 59 4 1 2 0 .984 6 4 2 .333
2003 3 11 1 0 0 0 1.000 1 1 0 .000
2004 21 70 4 2 1 2 .974 8 7 1 .125
2005 106 631 49 2 8 5 .997 50 28 22 .440
2006 82 501 34 3 5 5 .994 43 31 12 .279
2007 80 487 38 6 10 4 .989 55 41 14 .255
2008 39 173 23 0 3 3 1.000 28 15 13 .464
2009 35 182 18 2 1 0 .990 16 11 5 .313
2010 43 165 9 4 2 1 .978 22 15 7 .318
2011 51 266 18 0 2 6 1.000 32 24 8 .250
2012 66 377 26 3 3 4 .993 33 24 9 .273
2013 39 145 15 3 2 0 .982 10 8 2 .200
2014 26 101 8 0 2 1 1.000 9 7 2 .222
通算 662 3331 259 27 45 32 .992 339 235 104 .307

記録

背番号

  • 40 (1998年 - )

登場曲

  • 「ロックンロール」 くるり (2015年)

脚注

  1. ^ 「広島エース黒田が捕手・倉を一喝」大阪日刊スポーツ 2005年2月22日
  2. ^ 「倉、FA権行使せず 現状維持の年俸3000万円」中国新聞 2009年10月25日
  3. ^ “広島 13年目で初!「たまたま 考えても打てないんで」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月1日). http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/05/01/kiji/K20100501Z00000150.html 2013年5月10日閲覧。 
  4. ^ “【広島】赤松二盗&三盗!倉が先制打”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2011年7月30日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20110730-813067.html 2013年7月12日閲覧。 
  5. ^ 倉、二足のわらじでチーム支える!デイリースポーツ2015年10月29日配信

関連項目

外部リンク