俵孝太郎

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俵 孝太郎(たわら こうたろう、1930年昭和5年〉11月12日 - )は、日本ニュースキャスター政治評論家

血液型はA型

年譜[編集]

人物[編集]

祖父[編集]

  • “祖父の俵孫一小泉純一郎の祖父の小泉又次郎は、政治的にも個人的にも盟友以上の親しい仲であり、又次郎が祖父の家を訪ね、茶の間に直行、押し入れから、決まったところに置いてある又さん専用の浴衣に着替え、風呂に入ったり、座敷の真ん中で昼寝をしたり、客と会っている祖父には構わずに“奥さん、めし”と祖母に言って食事をしたり、自宅同然に過ごしていた。そんな又次郎と茶の間でしょっちゅう顔を合わせていた俵は、“家長として、どっしり構えていなければならない自宅よりも気の置けない友人宅のほうが、湯上りに縁側で肌脱ぎになってゆっくりくつろげるというような事があったかもしれない”と。小泉純一郎が9歳の時、祖父・又次郎は永眠したが、“「あなたより私のほうがよっぽど、お祖父さんの背中の“絵”を見ているかもしれないよ」と言ったら、彼は苦笑していた”との事。

テレビ[編集]

論調・特徴[編集]

主な著書[編集]

  • 戦後首相論
  • 敗戦・占領下の日本の歴史 戦争も戦後も知らない人たちへ
  • 世界の中の日本最良の選択
  • どこまで続くヌカルミぞ 老老介護奮戦記
  • 日本の政治家親と子の肖像
  • 政治家の風景
  • No.2が日本の生き方だ!20世紀の選択
  • 我、「朝日新聞」と戦えり 日本最後のタブーを斬る
  • 責任国家の責任と誠治
  • 『わが家のいしずえ 明治の父権教育』サンケイ出版、1982年12月10日。NDLJP:12254343 
  • 『「田中裁判」もう一つの視点 ロッキード捜査と一審判決への疑問』時評社、1984年12月1日。NDLJP:12014187 
  • 『新人類は日本を滅ぼす 目覚めよ!ニッポンの鬼軍曹』ネスコ、1986年3月20日。NDLJP:12248740 
  • 対論・政治改革の非常識、常識
  • 日本の未来を託す!

クラシック音楽関連の著作[編集]

  • 気軽にCDを楽しもう
  • CDちょっと凝り屋の楽しみ方

出演[編集]

過去の出演番組[編集]

文化放送[編集]

フジテレビ[編集]

報道番組

期間 番組名 役職 備考
1975年10月 1976年3月 FNNニュース7:30 キャスター
1978年10月 1979年9月 FNNニュースレポート6:00
1979年10月 1987年3月 FNNニュースレポート23:00 山川千秋と入れ違いで就任

その他

日本テレビ[編集]

毎日放送[編集]

NHK[編集]

CM[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 朝刊1面コラム「サンケイ抄」、政治問題の社説を担当。この頃より社外の月刊・週刊の雑誌での執筆活動を始める。
  2. ^ 教育理念の部会。
  3. ^ 午後の番組。週3日担当。

出典[編集]

  1. ^ “俵孝太郎 プロフィール”. https://www.kouenirai.com/profile/079 2020年2月28日閲覧。 
  2. ^ a b 週刊TVガイド 1979年8月17日号 26頁「俵・山川両キャスターが番組トレード」
  3. ^ ブルドックソース、「東京のお好みソース」CMに「天才バカボンのママ」が登場”. 日本食糧新聞 (1993年7月23日). 2022年11月11日閲覧。 “ナレーションに辛口の評論で人気の俵孝太郎を起用、当たり前の幸せをしっかりと肯定してくれている。”
  4. ^ 「俵さん宅も賊ねらう 後でおどしの電話」『朝日新聞』昭和47年(1972年)1月18日、13版、18面
  5. ^ sacabanの2012年2月18日のツイート2021年8月11日閲覧。

関連人物[編集]

  • 俵孫一 - 祖父、濱口内閣の商工大臣。
  • 俵国一 - 冶金学者。大叔父(俵孫一の妻(三菱財閥の金庫番・三村君平の娘・マツ)の弟)。
  • 俵萌子 - 元妻。産経新聞社で同僚だった。離婚後も萌子は俵の名字で活動。萌子との間に1男1女を儲けた。
  • 小泉孝太郎 - 俳優。父の小泉純一郎が、俵の名前から命名。CMで共演。
先代
山川千秋
平日最終版のFNNニュース
男性メインキャスター
FNNニュースレポート23:00」(1979年 - 1987年
次代
露木茂
※「FNNニュース工場