佐野広明 (陸上選手)

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佐野 広明 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム さの ひろあき
ラテン文字 Hiroaki SANO
国籍 日本の旗 日本
競技 陸上競技
種目 長距離走
生年月日 (1988-02-28) 1988年2月28日(36歳)
出身地 日本の旗 日本
静岡県浜松市
5000m 13分45秒32
10000m 28分43秒61
ハーフマラソン 1時間02分40秒
マラソン 2時間09分12秒
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佐野 広明(さの ひろあき、1988年2月28日 - )は、日本の陸上競技選手。専門は長距離走。現在の所属はHonda

人物・略歴

静岡県浜松市出身。静岡県立浜北西高等学校に通い陸上部に所属。5000mで東海大会までは出場したが全国区の選手ではなかった。高校時代には第6回静岡県市町対抗駅伝競走大会(2005年)に出場、町村の部の第4区(5.81km、ジュニアA男子区間)に出場している[1]

大学は箱根駅伝の常連校ではなく、箱根駅伝に出場経験のない麗澤大学に進学した。麗澤大学は佐野の在学中にも箱根駅伝に出場することはできなかったが、佐野自身は3年生時に関東学連選抜の一員として第85回東京箱根間往復大学駅伝競走に出場した。佐野は最終区間10区を任せられ、区間2位の好走で12位から9位まで順位を押し上げゴール。佐野の活躍により、関東学連選抜が10位以内に入ったため、翌年の箱根駅伝の予選会からの出場枠は1枠増となった[2]

麗澤大学卒業後はHondaに就職し、実業団選手として陸上を続ける。不調に苦しむことも多かったが、2013年2月に初マラソンとして出場した延岡西日本マラソンにて、2時間12分14秒の記録でいきなりの優勝を飾る。その後は日本代表を目指しマラソンに積極的に取り組む。

2015年2月の東京マラソンでは30km過ぎまでトップグループでレースを進め、2時間9分12秒という自身初のサブテンとなる好記録で全体9位でゴール。日本歴代6位の記録で走り7位入賞した今井正人トヨタ自動車九州)に次ぐ日本人2位となり、同年8月の世界陸上北京マラソン日本代表選考対象となった[3]。結果的には代表選出はならなかったものの、びわ湖毎日マラソンで日本人1位となり代表に選出された前田和浩九電工)が同マラソンで記録した2時間11分46秒というタイムより、佐野が東京マラソンで記録したタイムは2分30秒以上優っていた[4]。なお、残りの代表2枠に選出されたのは東京マラソン日本人1位の今井正人と、2014年12月の福岡国際マラソンで日本人1位となったHonda陸上競技部の同僚・藤原正和であった。また東京マラソンでの好成績により、日本陸連が組織するナショナルマラソンチーム加入の打診があったが、川内優輝とともにこれを辞退した。[5] 奇しくもナショナルチーム加入を辞退した2人は、第85回箱根駅伝において関東学連選抜チームで活躍した同志であり、学生時代から独自の道で練習を積み上げてきた選手であった。

自己ベスト・記録

自己ベスト

記録

脚注

  1. ^ 第6回しずおか市町対抗駅伝記録室 静岡県市町対抗駅伝競走大会公式サイト
  2. ^ 選手詳細情報:佐野広明 箱根駅伝オフィシャルサイト
  3. ^ a b 世界選手権へ望みも… 佐野 日本人2番手9位 東京新聞 2015年2月23日閲覧
  4. ^ しかし、びわ湖毎日マラソンは雨が降りしきる悪天候での開催であった。
  5. ^ [1]マラソン・ナショナルチームに今井ら 川内は辞退 - 陸上 : 日刊スポーツ

外部リンク