佐藤愛麿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。125.202.14.175 (会話) による 2016年2月24日 (水) 06:24個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎栄典)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

佐藤愛麿

佐藤 愛麿(さとう あいまろ(よしまろ)、1857年安政4年3月〉 - 1934年昭和9年〉1月12日)は、日本のメソジスト牧師、後に外交官宮中顧問官になった人物である。

生涯

弘前藩家老山中逸郎泰靖の次男として生まれる。幼名を次郎と言った。勘定奉行佐藤清衡の養子になり、20歳の時に愛麿と改名する。

1875年ジョン・イングより洗礼を受ける。弘前バンドの一人として伝道に従事する。東奥義塾創設と同時に入学する。弘前公会の設立に参画する。

1876年に菊池九郎本多庸一、イングに引率されて、東北巡幸中の明治天皇に謁見し、珍田捨巳伊東重らと共に英文演説を奉呈した。

1877年イングの紹介で、アメリカアズベリー大学に留学する。1881年10月に帰国後、美会神学校の教授になる。

その後外務省に入り、在外公使館の書記官として海外勤務に就く。1900年には在メキシコ特命全権公使、1905年にはポーツマス日露講和会議に際して小村寿太郎の随行員になる。1906年から1913年まで在オランダデンマーク特命全権公使。1914年7月から8月の開戦まで在オーストリア特命全権大使(在スイス公使の兼任は1913年から1916年)、1916年から1918年まで在アメリカ合衆国特命全権大使。

1918年外務省を退官すると、宮内省に入り、宮家別当宮中顧問官を務めた。

栄典

外国勲章佩用允許

家族・親族

脚注

  1. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」1891年12月22日。
  2. ^ 『官報』第3704号「叙任及辞令」1895年11月1日。
  3. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  4. ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
  5. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  6. ^ 『官報』第2106号「叙任及辞令」1919年8月12日。
  7. ^ 『官報』第4005号「叙任及辞令」1896年11月2日。

参考文献