佐用町
さよちょう, さようちょう 佐用町 | |||
---|---|---|---|
| |||
国 | 日本 | ||
地方 | 近畿地方 | ||
都道府県 | 兵庫県 | ||
郡 | 佐用郡 | ||
市町村コード | 28501-3 | ||
法人番号 | 5000020285013 | ||
面積 |
307.44km2 | ||
総人口 |
14,603人 [編集] (推計人口、2024年3月1日) | ||
人口密度 | 47.5人/km2 | ||
隣接自治体 |
宍粟市、たつの市、赤穂郡上郡町 岡山県:備前市、美作市 | ||
町の木 | イチョウ | ||
町の花 | ヒマワリ | ||
佐用町役場 | |||
町長 | 庵逧典章 | ||
所在地 |
〒679-5380 兵庫県佐用郡佐用町佐用2611-1 北緯35度0分15.4秒 東経134度21分21.1秒 / 北緯35.004278度 東経134.355861度 | ||
外部リンク | 佐用町 | ||
ウィキプロジェクト |
佐用町(さようちょう)は、兵庫県の南西部に位置する町。2005年(平成17年)10月1日、佐用郡の佐用町・上月町・南光町・三日月町が合併し、新たに佐用町(三代目)として発足した。本項では町制前の名称である佐用村(さよむら)についても述べる。
人口は県内41自治体中第36位、面積は県内第10位。
町づくりの合言葉は「ひと まち 自然がきらめく共生の郷 佐用」(佐用町総合計画より)。
地理
出雲街道と因幡街道の交わる位置にあり、千種川水系の佐用川(さよがわ)沿いの盆地に町が形成されているが、町域内の8割は山林が占めている。晩秋から冬にかけての早朝には、しばしば「佐用の朝霧」と呼ばれる霧が立ち込める。
- 河川:千種川
佐用の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
降水量 mm (inch) | 45.9 (1.807) |
65.8 (2.591) |
99.8 (3.929) |
109.8 (4.323) |
153.1 (6.028) |
177.5 (6.988) |
212.7 (8.374) |
124.1 (4.886) |
168.6 (6.638) |
93.7 (3.689) |
58.4 (2.299) |
49.8 (1.961) |
1,373.1 (54.059) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 7.7 | 9.3 | 11.3 | 9.7 | 10.7 | 12.0 | 11.7 | 9.1 | 9.9 | 7.7 | 6.6 | 7.6 | 114.1 |
出典:気象庁 |
隣接している自治体
歴史
古代の播磨国佐用郡の地。郡中心部の佐用町本位田甲には延喜式内社・佐用都比売賣(さよつひめ)神社が鎮座する。『播磨国風土記』は佐用とは五月夜(さよ)の意であると説く。なお、佐用は元来「さよ」と読んでいたが、1955年(昭和30年)の合併時に「さよう」に読みを変更している。
- 1349年(南朝:正平4年、北朝:貞和5年) - 赤松氏一族の別所敦範が利神山に利神城を築く。
- 1600年(慶長5年) - 姫路藩主池田輝政の甥の由之により利神城に三層の天守閣と、平福の町並みの原型となる城下町の建設が開始される。
- 1609年(慶長14年) - 3万2千石に増加され、由之は備前国下津井城に転出する。
- 1615年(元和元年) - 輝政の6男池田輝興が兄で岡山藩主の忠継が死去したため、その遺領より佐用郡など2万5千石を分与されて、平福藩が立藩する。
- 1631年(寛永8年) - 赤穂藩主だった兄の政綱が継嗣無くして死去たために赤穂藩を嗣ぐこととなり、平福藩は廃藩となる。平福には旗本松平康朗が5千石で入り、明治までこの地を治める。
- その後山崎藩領、天領等を経る。
- 1697年(元禄10年) - 三日月藩(別名:乃井野藩)が立藩。1万5千石の城下町として森家9代174年の治世を行う。
- 1871年8月29日(明治4年7月14日) - 三日月藩を廃止して、三日月県が成立する。
- 1871年(明治4年)11月2日 - 姫路県に統合される。11月9日 - 飾磨県に改称する。
- 1976年(明治9年) - 第2次府県統合により兵庫県の所属となる。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 初代の町章を制定する。[1]
- 1966年(昭和41年)4月1日 - 船越山が県観光百選に選ばれる。
- 1971年(昭和46年)5月20日 - 兵庫県立昆虫館設立。
- 1975年(昭和50年)9月3日 - 上三河農村舞台が国の重要有形民俗文化財に指定される。
- 1980年(昭和55年)10月5日 - 南光町長選挙・山田兼三初当選。
- 1981年(昭和56年)4月16日 - 救護施設「南光園」完成。
- 同年5月20日 - 初の高齢者教室開設。
- 同年5月25日 - 南光町国際障害者年推進本部発足。
- 同年7月28日 - 第1回障害者福祉の集いを開催。
- 1982年(昭和57年)1月15日 - 列車内成人式を行う。
- 1983年(昭和58年)5月14日 - 文化センター完成。
- 同年6月1日 - 歯科保健センター開設。
- 同年12月2日 - 第1回健康まつり開催。
- 同年12月9日 - 「南光町福祉の日」制定、第1回福祉の日の集い開催。
- 1984年(昭和59年)3月28日 - 漆野光福寺の大イトザクラが県指定文化財に指定される。
- 同年5月28日 - 初の産業ゼミナール開講。
- 同年6月24日 - むし歯のない町づくり宣言。
- 同年8月16日 - 町の無形民俗文化財の平松武者踊りが披露される。
- 同年9月15日 - 南光町長選挙・山田兼三再選。
- 同年10月15日- 南光町社会福祉協議会が法人化。
- 同年10月29日- 県下初の糖尿病教室を開催。
- 1985年(昭和60年)8月 - 平福が映画「鑓の権三」(篠田正浩監督)の撮影地となる。
- 同年6月28日 - 第1回歯科保健大会を開催。
- 同年7月13日 - リハビリ教室を文化センターで初めて開催。
- 同年7月22日 - 千種川が全国名水百選に選ばれる。
- 同年11月2日 - 町長憲章、南光音頭を制定。
- 1986年(昭和61年)6月17日 - 防災行政無線局開局、放送を開始。
- 同年6月24日 - 第1回健康大学講座を開催。
- 同年8月22日 - 戦争と平和展を開催。
- 同年10月3日 - 歴史まつりを開催。
- 1988年(昭和63年)3月31日 - 「南光町昔むかし」「南光町の歴史の道」発行。
- 同年6月6日 - 瑠璃寺の不動明王坐像が国の重要文化財に指定される。
- 同年9月6日 - 南光町長選挙・山田兼三無投票で3選。
- 1989年(平成1年)11月1日 - 老人保健施設ハイムゾンネ開設。
- 1990年(平成2年)7月22日 - 「ひまわりの里・みかわ」開園。
- 同年9月30日 - スポーツ公園若鮎ランド完成。
- 同年10月6日 - 「みなくるカーニバル」開催。
- 同年 - 兵庫県立西はりま天文台公園開園、および兵庫県立西はりま天文台開所。
- 1991年(平成3年)2月17日 - 若あゆロードレース大会開催。
- 同年3月31日 - 南光町オリジナル童話「二つのつえ」発行。
- 同年10月27日 - 季節外れのひまわり祭り開催。
- 同年12月12日 - 瑠璃寺にジャンボ絵馬設置。
- 1992年(平成4年)4月1日 - 南光町がひまわりの里で農村景観百選に選ばれる。
- 同年9月13日 - 南光町長選挙・山田兼三4選。
- 同年11月1日 - 文化祭で子ども歌舞伎を一般公開。
- 1993年(平成5年)3月7日 - 第1回千種川を活かした町づくりシンポジウム開催。
- 同年3月18日 - スウェーデンの工芸展を開催。
- 1994年(平成6年)4月1日 - 身体障害者施設 シャイン開設。
- 同年10月24日 - 農村舞台で子ども歌舞伎が義経千本桜を開催。
- 同年11月21日 - 町長、議員らがデンマーク、スウェーデンを視察。
- 同年8月12日 - 「南光町史」第1巻「原始・古代編」を発行。
- 1995年(平成7年)2月5日 - 瑠璃寺で第1回絵馬コンクールの表彰式が行われる。
- 同年5月15日 - ひまわり館が完成。
- 同年5月18日 - 「千種川ざっくばらんシンポジウム」を開催。
- 同年8月15日~8月20日 - 「平和のための戦争展」を開催。
- 同年10月22日 - 町の鳥に「カワセミ」を制定。
- 同年10月22日 - 農村舞台で全国子ども歌舞伎フェスティバルinなんこうを開催。
- 1996年(平成8年)9月 - 南光町長選挙で山田兼三が無投票で5選する。
- 1997年(平成9年) - SPring-8の供用開始。
- 同年3月11日 - 「核兵器廃絶・平和の町・南光町」を宣言。
- 同年3月11日 - 第5回美しい日本のむら景観コンテストで子ども歌舞伎が受賞。
- 同年5月4日 - 南光坊瑠璃寺で桂南光inなんこうを開催。
- 同年5月8日 - 知的障害者更生施設「播磨園」の新しい施設が完成。
- 1998年(平成10年)5月17日 - 若あゆランドで高校招待野球(ミニ甲子園)を開催。
- 同年7月26日 - ひまわり祭りに35000人が訪れる。
- 同年8月1日 - 「南光町史」第2巻「中世編」を発行。
- 同年8月22日 - 三土中学校の女子バレーボール部が全国中学校バレーボール選手権大会に出場。
- 1999年(平成11年)4月8日 - 保健福祉の総合センターセンターひまわりが完成。
- 同年7月20日〜7月30日 - ひまわり祭りに15万人が訪れる。
- 2000年(平成12年)5月15日 - 若あゆランドにスコアボードが完成。
- 同年7月7日 - JR播磨徳久駅にひまわりの郷ふれあいセンターが完成。
- 同年7月15日〜30日 - ひまわり祭りに17万人が訪れる。
- 同年9月5日 - 南光町長選挙で山田兼三が無投票で6選。
- 2001年(平成13年)3月15日 - 南光町自然観察村(長林キャンプ場)が完成。
- 同年7月14日〜31日 - ひまわり祭りに14万人が訪れる。
- 2002年(平成14年)1月18日 - 三河地区の介護支援センター三河ふれあいセンターが完成。
- 同年4月1日 - 高齢者・障害者の送迎サービス(ひまわりサービス、タクシーと路線バスの乗車助成制度)がスタート。
- 同年6月25日 - インド・カルカッタからストリートチルドレンが佐用町立中安小学校を訪問し、インド民俗舞踊を披露。
- 同年7月20日〜28日 - ひまわり祭りに15万人が訪れる。
- 2003年(平成15年)1月29日 - 南光町民1229名から佐用郡合併協議会設置請求が提出される。
- 同年4月6日 - 知的障害者通所授産施設の社会福祉法人はなさきむらが開設。
- 同年6月6日 - 佐用郡合併協議会を設置。
- 同年7月19日〜8月3日 - ひまわり祭りに15万人が訪れる。
- 同年9月21日 - 西播磨地区身体障害者スポーツ大会がひまわりドームで開催される。
- 同年11月1日 - 「南光町史」第3巻「近世編」を発行。
- 同年11月15日 - 全国歯科保健大会で南光町が歯科保健活動で厚生労働大臣表彰を受賞。
- 同年12月14日 - 三日月町で佐用郡の合併の是非を問う住民投票を実施し、僅差で「合併しない」が多数を占める。
- 2004年(平成16年)1月31日 - 佐用郡合併協議会を解散。
- 同年2月3日 - ひまわり油などを使ったふるさと産品料理コンテストを実施。
- 同年3月6日 - 南光町文化センターで「みんなの姫新線を守ろう」JR姫新線利用促進フォーラムを開催。
- 同年7月1日 - 佐用町、上月町、南光町の3町による合併協議会が発足。
- 同年7月17日〜8月1日 - ひまわり祭りに15万人が訪れる。
- 同年8月13日 - 中三河でカッパ祭りを開催。
- 同年9月12日 - 南光町長選挙で山田兼三が7選。
- 同年9月23日 - 三日月町で2回目の住民投票を実施する。佐用郡との合併が多数を占める。
- 同年10月12日 - 佐用郡4町の合併協議会が再発足する。
- 同年11月11日 - 西はりま天文台で直径2メートルの望遠鏡の開所式を実施。
- 2005年(平成17年)1月27日 - 小中学校の学校給食でひまわり油など地元の食材を利用したふるさと給食。
- 同年2月15日 - 佐用町・上月町・南光町・三日月町の合併協定調印式を佐用町で行う。
- 同年10月1日 - 佐用郡4町が合併し、新たに佐用町となる。旧佐用町中山は東中山に、旧上月町中山は南中山へ地名を変更する。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 2代目の町章を制定する。[2]
- 2009年(平成21年)8月9日 - 台風9号の影響により佐用川(さよがわ)が氾濫し、山崩れなどの被害を受け、20人の死者を出した[3][4]。
-
初代の佐用町旗
-
初代の佐用町章
-
2代目の佐用町旗
-
2代目の佐用町章
行政区域の変遷
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、佐用村・山脇村・真盛村・山田村・長尾村・本位田村・円応寺村の区域をもって佐用村(さよむら)が発足。
- 1928年(昭和3年)10月1日 - 佐用村が町制施行して佐用町(さよちょう、初代)となる。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 佐用町が平福町・長谷村・江川村・石井村と合併して佐用町(さようちょう、二代目)が発足。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 佐用町が三日月町・上月町・南光町と合併して佐用町(三代目)が発足。
行政
歴代首長
3代目佐用町(2005年(平成17年) - )
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 |
---|---|---|---|
初代 | 庵逧(あんざこ)典章 | 2005年(平成17年)11月13日 | 現職 |
問題
- 小中学校統廃合問題
- 給食センター統廃合問題
- 平成21年台風第9号災害時に町の避難勧告が遅れ、本郷で多数の死者を出したこと。
- 仁方圃場整備問題
- さよさよサービスが隔日運行のため通院が不便
- 支所への権限低下による住民サービスの低下
経済
産業
- 第1次産業 549人(12.6%)
- 第2次産業 1,239人(28.4%)
- 第3次産業 2,577人(59.0%)
立地企業
地域
人口
2010年(平成22年)国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.28%減の19,273人であり、増減率は県下41市町中40位、49行政区域中48位。
佐用町(に相当する地域)の人口の推移 | |||
総務省統計局 国勢調査より |
2014年(平成26年)5月8日に「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」が発表した2040年人口推計結果で、20歳から39歳までの若年女性の減少率が2010年(平成22年)比で68.2%となり、「消滅可能性都市」の1つとされた[5]。
人口推移
緑色で示したものが、旧佐用町及び佐用町の人口
また、青色を加えたものが現在の町域の人口
括弧内の数字は合併前の佐用町の人口
(なお、人口は国勢調査による各年10月1日時点のものである)
<参考 - #行政区域の変遷(市制町村制施行以後)>
1940年(昭和15年) | 29,281 (3,894) |
1947年(昭和22年) | 38,253 (5,250) |
1950年(昭和25年) | ファイル:B01.png 38,352 (4,949) |
1955年(昭和30年) | ファイル:B01.png 35,664 (13,298) |
1960年(昭和35年) | 32,455 (12,191) |
1965年(昭和40年) | 28,921 (10,998) |
1970年(昭和45年) | 26,410 (10,135) |
1975年(昭和50年) | 25,600 (9,872) |
1980年(昭和55年) | ファイル:B01.png 24,874 (9,717) |
1985年(昭和60年) | ファイル:B01.pngファイル:B01.png 24,516 (9,565) |
1990年(平成2年) | 23,827 (9,360) |
1995年(平成7年) | ファイル:B01.pngファイル:B01.png 23,341 (9,131) |
2000年(平成12年) | ファイル:B01.png 22,337 (8,789) |
2005年(平成17年) | 21,012 |
2010年(平成22年) | 19,273 |
教育
2015年4月現在[6]
- 小学校
- 中学校
- 高等学校
※ 播磨高原東小、中学校は播磨科学公園都市のたつの市域に所在
- 廃校となった学校
郵便局
無集配郵便局
- 西徳久簡易郵便局
- 東三日月簡易郵便局
- 中安簡易郵便局
交通
鉄道路線
一般路線バス
高速バス
- 佐用バスストップ(佐用IC)
- 葛根バスストップ
- 南光バスストップ
- 中国上月
- 中国ハイウェイバス(西日本ジェイアールバス・神姫バス)
- 大阪・新大阪 - 津山(急行便)
- 西日本ジェイアールバス
- 新神戸・三宮・神戸三田プレミアムアウトレット - 津山
- 中国ハイウェイバス(西日本ジェイアールバス・神姫バス)
- 佐用平福バスストップ
道路
- 高速道路
- 国道
- 県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
宿場・集落
社寺
- 天一神社(延喜式内社、弥生時代創立と伝わる)
- 南光坊瑠璃寺 - 728年(神亀5年)行基による開創と伝える古寺、高野山真言宗別格本山、播磨西国三十三箇所第11番および新西国三十三箇所第33番札所、大護摩会式は2月第一日曜日
- 済露山高蔵寺 - 播磨西国三十三箇所10番札所
- 木造北条時頼坐像(最明寺蔵、国の重要文化財)
- 福仙寺
- 慶雲寺
- 最明寺
- 常福院
城跡・陣屋
博物館・資料館
ホール
- スターシャワーの森音楽堂「スピカホール」(H3)
その他の施設
公園など
- 兵庫県立西はりま天文台公園
- 三方里山公園
- 南光自然観察村
- 船越山モンキーパーク
- 若あゆランド
- 天然温泉佐用の湯
- 西新宿おじいちゃんとおばあちゃんの花しょうぶ園
- 笹ケ丘公園・笹ケ丘荘(町営宿泊施設)
- ビッグスライダー
- 南光ヒマワリ畑
- しゃくなげの里
- 味わいの里三日月
- けんこうの里三日月
- ふれあいの里上月[8]
自然
塚・墓所
祭事・催し
出身有名人
その他
郵便番号
- 佐用郵便局 - 679-53xx、679-52xx、679-55xx、679-56xx
- 三日月郵便局 - 679-51xx
脚注
- ^ 第9回 佐用町・上月町・南光町・三日月町合併 慣行の取り扱い
- ^ 図典 日本の市町村章 p160
- ^ 8月9日からの大雨による被害について(第1報)
- ^ 平成21年台風9号災害について(第5報)
- ^ 久保聡、神足俊輔、丸井康充(2014年5月9日). “人口推計:県内2040年、21市区町「消滅可能性」 若年女性、新温泉で7割減”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c d e 教育さよう 第20号 平成26年5月発行
- ^ 広報さよう 平成27年2月号 Vol113
- ^ 有限会社ふれあいの里上月HP