佐々木嘉平

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佐々木 嘉平(ささき かへい、1889年明治22年)7月7日 - 1983年昭和58年)5月2日)は社寺大工富山県東礪波郡福野町(現在の南砺市福野)で代々宮大工であった佐々木家に生まれた。

経歴[編集]

父であった三代目佐々木嘉平に師事し、独学で技術・知識を身に付け、全国各地で数々の国宝や重要文化財の修復・保存に携わった。昭和46年黄綬褒章を受章。 この四代目佐々木嘉平は、棟梁としては佐々木棟慶とも名乗った。戒名は平等院釈棟慶居士。

事績[編集]

(父の三代目佐々木嘉平に従事)
1945年(昭和20年)3月10日東京大空襲で焼失した。焼失前は江戸初期の代表的な建造物で、国宝。「浅草の観音様」の本堂脇に修理事務所が設置されここで修理にあたった。
(この時、この邸宅の設計者であったドイツ人建築家ブルーノ・タウトに請われ、日本的な様式に関して工事監理者として様々な助言を行った)

著書[編集]

日本建築文様宝典 2003年 文芸社刊 清水稔次 佐々木健 編