伊豆箱根バス

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伊豆箱根バス株式会社
Izuhakone Bus Co., Ltd.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
411-8533
静岡県三島市大場300番地
設立 1989年平成元年)4月
(伊豆箱根自動車株式会社)
業種 陸運業
法人番号 8080101005354 ウィキデータを編集
事業内容 一般乗合旅客自動車運送事業
代表者 若林久(代表取締役社長)
資本金 6000万円
売上高 26億5109万3千円(2010年3月期)
純利益 △3413万0千円(2010年3月期)
純資産 1億2391万5千円(2010年3月31日現在)
総資産 4億9635万0千円(2010年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 伊豆箱根鉄道(株) 100%
外部リンク http://www.izuhakone.co.jp/bus/
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伊豆箱根バスの観光バス

伊豆箱根バス株式会社(いずはこねバス、: Izuhakone Bus Co., Ltd. )は神奈川県小田原市静岡県三島市沼津市を中心に路線バス事業を展開する伊豆箱根鉄道の子会社である。同社のバスはライオンズカラーとなっている。

沿革

1980年代までの伊豆箱根鉄道バス
2008年のバス事業開業80周年にあたり、三島・熱海に各1台ずつ、ライオンズカラーをこの塗装に戻し、レトロバスとして復刻運行されている。)[1]
80周年記念旧塗装車(2009年2月25日、沼津駅前にて撮影)
  • 1928年12月 - 長岡自動車と古奈自動車とを合併、乗合自動車および貸切自動車の営業を開始する。
  • 1941年8月 - 大雄山鉄道を合併、小田原 - 久野間乗合自動車の営業を継承する。
  • 1947年9月 - 小田原 - 小涌谷間の路線開設を申請する。
  • 1966年3月31日 - 昭和乗合自動車を系列に迎え伊豆下田バスとする。
  • 1967年8月18日 - 三島、沼津でワンマンバスの運転を開始する。
  • 1990年3月29日 - 初の高速バスとして名古屋駅 - 箱根関所跡間「箱根ビュー号」の運行を開始。JR東海バスとの共同運行。
  • 1993年4月1日 - 「箱根ビュー号」からJR東海バスが撤退。愛称は「伊豆箱根号」に変更。
  • 1995年10月1日 - 名古屋営業所を伊豆箱根観光バスに分社化する。
  • 1998年4月16日 - 東京営業所を伊豆箱根観光バスに移管する。
  • 2005年9月30日 - 伊豆箱根観光バスは東京営業所を西武バスに移管する。
    • 3月10日 - 大仁営業所を本社営業所に統合する。
  • 2006年2月23日 - 伊豆下田バスの解散を決議し、路線は南伊豆東海バスに移管する事を決定する。(実施は2006年10月1日)
    • 10月1日 - 伊豆箱根鉄道のバス事業を伊豆箱根自動車に全面譲渡し、伊豆箱根自動車は伊豆箱根バスに名称を変更する。
  • 2007年3月18日 - 湯河原営業所管内にてPASMOを導入。
    • 7月1日 - 小田原営業所管内にてPASMOを導入。
  • 2009年12月1日 - 熱海営業所管内にてPASMO導入。
  • 2010年6月15日 - 箱根登山バス・小田急箱根高速バス・沼津登山東海バスと連携し、箱根地区の路線に系統記号を設定。路線図も各社共通の様式で作成した上で各停留所や案内所に掲出[2]
  • 2011年6月1日 - 西武バス旧高野台営業所跡に、貸切バスの東京練馬営業所を開設。

伊豆箱根鉄道のバス事業は、駿豆鉄道が1928年昭和3年)に長岡自動車及び古奈自動車を合併したことから始まる。

その後、太平洋戦争中なども伊豆箱根周辺の事業者を合併し、あるいは自社での路線の拡充を図っていく。

戦後になると、伊豆箱根地域の支配を巡り東急西武の争いが起きるが、駿豆鉄道は箱根に関してはその当事者となっていた。事の発端は駿豆鉄道が1947年(昭和22年)に小田原 - 小涌谷間の路線バス開設を申請したことにある。このいざこざは箱根山戦争第026回国会 運輸委員会 第34号に詳しい経緯が載っているため、詳細は省略する。

その後、モータリゼーションの発展、箱根の観光地としての地位低下などによりバス事業の兼業が非常に厳しくなり、1990年代に入ると、1989年平成元年)に設立した子会社の伊豆箱根自動車に路線を移管する動きが見え始めるようになる。また、グループ内での事業整理も行われるようになり、その結果、伊豆下田バスが営業を終了し、路線を小田急系の南伊豆東海バスに移管することとなった。そして、2006年(平成18年)10月には、直営で残っていた路線も伊豆箱根自動車に移管している。

営業所

伊豆箱根鉄道のバス事業は、現在では分社化された伊豆箱根バスが担当している。営業範囲は箱根地区をメインとして、沼津、修善寺、熱海、湯河原、小田原に路線を伸ばす。以下の営業所を持ち、乗合バス事業と貸切バス事業を中心に行っている。

路線

一般路線

一般路線については各営業所記事を参照。

高速路線

苗場ホワイトスノーシャトル
箱根ビュー号

高速バスは1路線を運行している。

苗場ホワイトスノーシャトル
小田原駅 - 横浜シティ・エア・ターミナル(YCAT) - 品川プリンスホテル - 池袋駅東口 - 下落合駅 - 練馬駅 - 川越的場(小田原発は通過) ⇔ 苗場プリンスホテル (冬季のみ運行)

首都圏から苗場スキー場へのアクセスを狙った季節限定路線。西武観光バスとの共同運行で、伊豆箱根バスは2014年末から加わり小田原発着便を担当、小田原発苗場行きは夜行便として運行する。

過去の高速路線

伊豆箱根号[3]
名古屋駅千種駅前・星ヶ丘名古屋インター - 三島広小路駅[4]・箱根関所跡

毎年3月20日 - 11月29日までの季節運行で1日2往復運行されていた。

もともとはJR東海バスの親会社であるJR東海新幹線を補完する目的で、新幹線からでは乗り換えとなる観光地へ直行する輸送手段としてJR東海バスと共同運行の形で開設された路線で、運賃は東名ハイウェイバスに準じた設定とされている。似たコンセプトでのちにJR東海バス東海バス共同で伊豆スパー号も開設されている。

しかし、名古屋 - 箱根の所要時間が約4時間半と時間がかかりすぎることから、乗客数は低迷した。途中停留所の変更するなどされるも功を奏せず、JR東海バスが撤退。その後も伊豆箱根鉄道単独での運行が続けられたが乗客数は増加することはなく、1996年の運行を最後に運行を終了した。

名古屋地区から「関東の奥座敷」と呼ばれる観光地への直行便という路線設定は、近年は同様の条件の高速バス路線が各地で登場しており、時間にゆとりのある利用者層に受け入れられている路線も多いが、当時としては画期的な試みであった。しかし、当時の利用者には受け入れられなかった模様である。

使用車両は、基本的に4列シート34人乗りのスーパーハイデッカーで、伊豆箱根鉄道では西工車体日産ディーゼル・スペースウイングを使用していた。なお、当路線廃止後この車両は日東交通に売却された。

歴史
  • 1990年3月29日 季節運行(冬期運休)1日2往復で運行開始。
  • 1991年6月1日 三島広小路駅に停車開始。
  • 1993年4月1日 愛称を「箱根ビュー号」から「伊豆箱根号」に変更の上、伊豆箱根鉄道の単独運行に。
  • 1996年11月29日 運行終了。

車両

1980年頃までは日野車三菱車も導入していたが、この後の新規導入はグループ各社同様、ほとんどが日産ディーゼル車になった(ごく一部の路線車で三菱ふそう・エアロミディの導入例はある)。1990年以降は低床車両を中心に西武バスからの移籍車も多くなった。 1998年(平成10年)、西武バスがいすゞ車の導入再開後は各社から導入している。 2007年(平成19年)頃から尿素SCRを搭載した日産ディーゼル・スペースランナーRAが導入された。2008年(平成20年)には、小田原地区に同じく尿素SCRを搭載した三菱ふそう・エアロスターのOEM供給車であるスペースランナー-Aが導入された。なお、湯河原営業所閉鎖に伴い湯河原所属だった車両が熱海営業所に転籍している。 車両番号(社号)については西武バス#車号を参照。 また2扉の車両については、前乗り前降り制度の小田原営業所・熱海営業所の車両は後側の扉は常時使用しない。 後乗り前降り制度の三島営業所の車両のみ後側の扉も常時使用する。

脚注

  1. ^ バス事業開業80周年についてより
  2. ^ 小田急電鉄公式サイト箱根エリアバス路線の系統記号化を実施します” (PDF). 2010年6月17日閲覧。
  3. ^ 1993年3月31日までは箱根ビュー号
  4. ^ 1991年6月1日より停車

関連項目

外部リンク