伊東豊雄

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伊東豊雄
生誕 (1941-06-01) 1941年6月1日(82歳)
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮 京畿道京城府
(現 大韓民国の旗 韓国ソウル
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学
職業 建築家
受賞 日本建築学会賞作品賞(1986、03年)
村野藤吾賞(1990年)
日本芸術院賞(1999年)
ヴェネツィア・ビエンナーレ金獅子賞(2002年)
RIBAゴールドメダル(2006年)
高松宮殿下記念世界文化賞(2010年)
プリツカー賞(2013年)
所属 (株)伊東豊雄建築設計事務所
建築物 White U
シルバーハット
せんだいメディアテーク
多摩美術大学図書館
台中国家歌劇院

伊東 豊雄(いとう とよお、1941年(昭和16年)6月1日 - )は日本建築家一級建築士。伊東豊雄建築設計事務所代表。東京大学東北大学多摩美術大学神戸芸術工科大学客員教授を歴任。高松宮殿下記念世界文化賞RIBAゴールドメダル日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞、2013年度プリツカー賞など受賞歴多数。

来歴・人物

1941年昭和16年)、日本統治時代の朝鮮京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。2歳頃から中学生までを祖父と父の郷里である長野県諏訪郡下諏訪町で過ごす。

東京都立日比谷高等学校東京大学工学部建築学科卒業。

菊竹清訓設計事務所勤務を経て、1971年昭和46年)に独立。アーバンロボット(現:伊東豊雄建築設計事務所)を設立。当初は、『White U』や自邸『シルバーハット』など個人住宅を中心に手がけ、安価かつ禁欲的・ミニマルな作風で注目を浴びた。また消費社会に暮らし、物だけでなく生活空間まで消費する若い女性ら都市の「遊牧民」(ノマド)をテーマに、「東京遊牧少女の包(パオ)」といったプロジェクトを発表するなど、体を柔らかい膜のように包む建築などを構想し、都市を批評する活動を行った[1]。 

1986年昭和61年)、横浜駅西口に作ったシンボルタワー兼地下街換気塔『風の塔』は、無数の穴を開けた金属板(パンチメタル)と照明多数で構成された半透明な簡素な塔であるが、夜間はなどの周囲の気象条件に合わせて表面にカラフルな光が浮かび上がるようプログラミングされており、金属板の斬新な使用方法や環境に対する相互作用性で注目を浴びた。

1990年代に入り、『せんだいメディアテーク』を代表として[2]、次第に構造上でも実験的で、なおかつ官能的な外観・内部空間を有する作風に移りつつある。新建築誌上で槇文彦から「平和な時代の野武士たち」と呼ばれた世代の筆頭。

2006年平成18年)には王立英国建築家協会よりRIBAゴールドメダルを受賞するなど、世界でも重要な建築家の一人とみなされるようになり、2013年(平成25年)にはプリツカー賞を受賞した。また、設計する建築のための家具の設計も行う。後進の建築家を多く輩出する教育者としても高い評価を得ている。

2010年平成22年)には愛媛県今治市大三島町今治市伊東豊雄建築ミュージアムを設置。

2012年平成24年)には新国立競技場基本構想国際デザインコンクール」に参加し、最終選考11作品に残った[3]。仕切り直しとなった2015年平成27年)の再コンペにも参加し、今度は明治神宮外苑という立地を踏まえ神道を意識した作品で臨んだが、審査の評価点で僅差で敗れたこともあり、採用に至らなかった[4]

略歴

作品