伊号第四十潜水艦

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艦歴
計画 昭和17年度計画(マル急計画
起工 1942年3月18日
進水 1942年11月10日
就役 1943年7月31日
その後 1944年2月21日亡失認定
除籍 1944年4月30日
性能諸元
排水量 基準:2,230トン 常備:2,624トン
水中:3,700トン
全長 108.7m
全幅 9.30m
吃水 5.20m
機関 艦本式1号甲10型ディーゼル2基2軸
水上:11,000馬力
水中:2,000馬力
速力 水上:23.5kt
水中:8.0kt
航続距離 水上:16ktで14,000海里
水中:3ktで96海里
燃料 重油
乗員 94名[1]
兵装 40口径14cm単装砲1門
25mm機銃連装1基2挺
53cm魚雷発射管 艦首6門
九五式魚雷17本
航空機 零式小型水上偵察機1機
(呉式1号4型射出機1基)
備考 安全潜航深度:100m

伊号第四十潜水艦(いごうだいよんじゅうせんすいかん、旧字体:伊號第四十潜水艦)は、大日本帝国海軍が用いた伊四十型潜水艦(巡潜乙型改一)の1番艦。ただし、艦艇類別等級別表においては伊十五型潜水艦の21番艦[2]

艦歴

戦時建造計画によって建造が決定した。呉海軍工廠で建造が行われ、1943年昭和18年)7月31日竣工。その間、1942年(昭和17年)8月20日には横須賀鎮守府が本籍と指定され[3]、艦艇類別等級別表に記載された[2]

竣工後、3月程度の訓練を受けた後、10月31日付をもって伊号第二十六潜水艦などが所属する第二潜水隊へ配属[4]横須賀を母港に南太平洋へ敵軍艦の撃沈を行うために向かった。11月19日に根拠地のトラック島に着き補給を受けて11月22日にトラック島から出航。

以降消息不明になり1944年(昭和19年)2月21日に沈没認定、4月30日に除籍された。アメリカ軍に撃沈の記録がないため、事故による沈没の可能性もある。戦果は特に無い。

歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』413頁による。

艤装員長

  1. 不詳

艦長

  1. 渡辺勝次 少佐:1943年7月31日 - 1944年2月21日

脚注

  1. ^ 乗員数は『写真 日本の軍艦 第12巻 潜水艦』より。
  2. ^ a b 昭和17年8月20日 海軍内令 第1554号。「昭和17年7月~9月 内令 3巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070164600 
  3. ^ 昭和17年8月20日 海軍内令 第1548号。「昭和17年7月~9月 内令 3巻(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070164600 
  4. ^ 昭和18年10月31日 海軍内令 第2246号。「昭和18年9月~12月 内令(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C12070189500 

参考文献