井上陽水

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井上陽水
出生名 井上陽水
生誕 (1948-08-30) 1948年8月30日(75歳)
出身地 日本の旗 日本, 福岡県
学歴 福岡県立西田川高等学校卒業
ジャンル フォークソング
ニューミュージック
職業 シンガーソングライター
担当楽器 ギターボーカル
活動期間 1969年 -
レーベル CBSソニー
(1969年 - 1970年)
ポリドール・レコード
(1972年 - 1975年)
フォーライフ
(1975年 - )
共同作業者 多賀英典
星勝
奥田民生
公式サイト Yosui Inoue official site
ザ・ビートルズ
ボブ・ディラン
ミッシェル・ポルナレフ

井上 陽水(いのうえ ようすい、1948年8月30日 - )は、日本シンガーソングライター。本名、井上 陽水(いのうえ あきみ)。

福岡県嘉穂郡幸袋町(現・飯塚市幸袋地区)出身。身長178cm。

人物

本名は井上陽水と書いて「いのうえ あきみ」と読む。1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引した。1973年発売のアルバム氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年ベストアルバムGOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けている。

デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。コンサートテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。

2人目のである石川セリとの間に一男二女がおり、長女は作詞家・歌手の依布サラサである。

経歴

デビュー前

高知県幡多郡佐賀町出身の父は、元軍医朝鮮半島からの引揚者[1][2][3]引き揚げ炭鉱で働いていたが、陽水が生まれてまもなく福岡県田川郡糸田町歯科医を開業した。母は福岡県直方市の出身[3]。兄弟姉妹は他に姉1人、妹1人。家業を継いで歯科医になることを期待されていた。

1953年、糸田町に引っ越す。以来、デビュー時の上京まで約15年間を糸田町で過ごす。田川は何も縁のない土地で、ずっと"よそ者"意識があったという[4]。糸田小学校、糸田中学校、西田川高校と進学。 糸田小学校時代に陽水の大好きだった大きな瞳の月森先生の為に町内会の「のど自慢大会」で合格の鐘を鳴らした事がある。同時に宿題を忘れたことを帳消しにしてもらっている。また、糸田中学時代にFMラジオを聴こうとしてFMアンテナを設置する際、自宅の屋根から隣の友人宅の庭先に転落した事もあるが無傷だったらしい。西田川高校時代に所属していた「弓道部」では男性用の弓ではなく女性用を使っていたとのこと。

1963年ラジオで知ったビートルズに熱中する。1966年前後に、はじめて歌を作る。この歌は当時付き合っていた女の子を歌ったもので、ごく短く、題名もついていないが、デビュー後にはコンサートでときおり歌われることになる。1967年九州歯科大学を受験するも失敗し、予備校に通い始める。この年は小倉育英館に通ったが、翌年には九州英数学舘に変える。浪人時代も音楽に熱中していた。二浪目の1969年帰って来たヨッパライ」(ザ・フォーク・クルセダーズ)を深夜放送で聞き「これなら自分にもできる」「音楽でひとやま当てたい」と思ったのが曲を作り始めたきっかけ[4][5]。ギターを見よう見まねで始める[4]1968年、再度の受験にも失敗する。1969年、3度目の受験に失敗し、大学進学を諦めて歌手を志す[6]

アンドレ・カンドレ時代

1969年6月に生活の本拠を東京に移すが、しばらくは転々と居所を変えていた。

同年、RKB毎日放送ラジオ番組スマッシュ!!11」が放送開始される。この番組には視聴者が作った音楽を流すコーナーがあり、それを知った陽水は「カンドレ・マンドレ」を自宅録音し、4月16日、テープをRKB毎日に持ち込む[4]。このとき陽水は「マンドレ」という芸名を考えていたが、「スマッシュ!!11」のディレクターの野見山実が難色を示し、芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる。「カンドレ・マンドレ」は「スマッシュ!!11」で放送され、数多くのリクエストを受ける。ただしリクエストのかなり多くは、陽水が友人にはがきを配って頼んだためのものだったという[7]

この(仕組まれた)反響から、「カンドレ・マンドレ」は東京で改めてレコーディングされ、同年9月1日、CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)からアンドレ・カンドレのデビューシングルとして発売される。演奏は六文銭、編曲は小室等が担当した。陽水は「カンドレ・マンドレ」のヒットを確信していたが、実際にはほとんど注目されず、続く「ビューティフル・ワンダフル・バーズ」も、松山猛加藤和彦から楽曲提供を受けた「花にさえ、鳥にさえ」(1970年)も不振に終わる。

こうしたプロデビューの経緯から陽水自身が「僕はアマチュア経験がない」と話すように、本格的な音楽・創作活動の始まりはプロデビュー後となる[8]。この時代にデビューしたフォーク系シンガーで、アマチュアとしてほとんどライブ活動を経験してないミュージシャンは稀である。作詞法で最も影響を受けたというボブ・ディランを知ったのも小室等からという[9]

シングル3枚でアンドレ・カンドレの活動は終わり以後、深く潜行[2]。しかし、これらの作品では、以後にない、無理をしない甘い歌唱が聞ける。またジャケット写真にはいずれもサングラスをかけ、はなでつけて写っている。

この時期に知り合った小室等、安田裕美(六文銭のギタリスト)、星勝モップスのギタリスト)、RCサクセション忌野清志郎などとは以後長く深い交際になる。特に小室等からは、以後のヒットに恵まれるまでの間にさまざまな形で援助を受け、また清志郎とは「帰れない二人」「待ちぼうけ」などを共作する。

ポリドール時代

1971年ポリドール・レコードのディレクター多賀英典に誘われて移籍し、初のアルバム『断絶』のレコーディングを始める。このとき来生たかおフォークギターで参加している。このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った奥田義行が本名を聞くと「井上アキミ」というので、どんな字かと思ったら「陽水-ようすい」と書くという。奥田は吉田拓郎を意識し、「拓郎がこの二文字で若者にインパクトを与えている。だったら下の名前の「陽水」の2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた[10]

1972年、芸名を井上陽水(ようすい)と改め、シングル「人生が二度あれば」で再デビューを果たす。ここで陽水は歌唱に嗚咽を交えるなど、感傷を強調しており、『氷の世界』(後述)までの作品は同様の作風で貫かれることになる。また「人生が二度あれば」を編曲した星勝は、以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲することになる。5月にアルバム『断絶』がリリースされると、同アルバムに収録された「傘がない」が富澤一誠などの批評家に注目される。陽水が売れ始めたのは、このアルバム『断絶』から[11]。陽水自身は売れた理由について『陽水ライヴ もどり道』ジャケット内自筆年表で、「おりからのフォークブームでなんとなく浮上」と書いている[2]

1973年3月のシングル「夢の中へ」が初のヒット作(オリコン17位、以下売り上げ順位はすべてオリコン)となり、同年7月には初のライブアルバム『陽水ライヴ もどり道』がリリースされるに至る。人気上昇の切り口となった「夢の中へ」は、自身が「みんなで歌えるように作った」とコメントしているとおり、単純で明るく、親しみやすい曲である。

『氷の世界』の影響で以前の作品が注目され、「人生が二度あれば」「愛は君」「傘がない」「つめたい部屋の世界地図」「東へ西へ」「夜のバス」「夏まつり」「神無月にかこまれて」「紙飛行機」「能古島の片想い」などが人気を博する。これらの作品は四畳半フォークに通じる叙情的な色合いを持っている。また「東へ西へ」などには超現実主義的な歌詞がすでに現れている。これについて陽水は「ボブ・ディランの影響を受けた」と語っている。さらに「たいくつ」「自己嫌悪」など内省的な作品が多いこともこの時期の大きな特徴である。ただし『二色の独楽』はロサンゼルスでレコーディングされ、演奏にジャック・ニッチェジーン・ペイジを迎えたものであり、サウンドが『氷の世界』以前のフォーキーな作風から一転してロック色を帯びている。

ポリドール時代には理由は諸説あるが一度もテレビに出演せず、外見が一般の目に触れる機会はレコードのジャケット写真がもっとも多くを占めていた。シングル「人生が二度あれば」から『氷の世界』までのジャケットでは、髪型がアフロヘアー、サングラスはなしで写っている。しかし『氷の世界』のインナースリーブにある写真の一枚ではサングラスをかけており、サングラスなしの写真は1975年のシングル「御免」を以降著書『綺麗ごと』のために撮られたものなど少数の例外を除き見られなくなる。

1974年1月17日熊本県出身の女性[12]と結婚する。同年のシングル「闇夜の国から」はこの結婚を意識した作品とされている。

1975年、陽水・吉田拓郎泉谷しげる小室等が中心となって、フォーライフ・レコードを発起する。また、後に結婚する石川セリと出会う。

フォーライフ時代〜第二次陽水ブームまで

1976年2月、離婚。同年にフォーライフからリリースした『招待状のないショー』は9週連続1位を獲得。1977年、石川セリのアルバム『気まぐれ』に「ダンスはうまく踊れない」ほか2曲を提供する。「ダンスはうまく踊れない」は、陽水の部屋に遊びに来たセリの目の前で30分ほどで作られたという。同年9月10日大麻所持容疑で逮捕され、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供した。9月22日に保釈され、10月11日には懲役8か月、執行猶予2年の判決を受ける。この事件直後にリリースされたアルバム『"white"』は、オリコンチャートの3位を獲得したものの、事件以前と比較して売り上げは低迷していくことになる。 ちなみに、この『"white"』の収録曲であり、後にシングルカットされた「青い闇の警告」と「ミスコンテスト」は獄中で作られた曲であり、「青い闇の警告」にある『今の住所はここで、固い扉が守り』とは牢獄の事を意味し、「ミスコンテスト」にある『頼りなさそうな司会者が叫ぶ』とは公判での裁判官の事を意味しているらしい。なお、このころから陽水の作風が変化しており、特徴であったセンチメンタルな雰囲気は影を潜めている。

1978年8月30日、30歳の誕生日に石川セリと結婚、同年12月16日には長男が産まれている。

1979年のアルバム『スニーカーダンサー』では高中正義が5曲の編曲を務め、1980年のアルバム『EVERY NIGHT』では星勝が編曲から外れるなど、この時期にはサウンドが大きな転換を遂げている。さらに1981年のアルバム『あやしい夜をまって』から編曲に加わった川島裕二は、その後BANANAなどの名前で陽水の作品に多く携わり、星勝と並んで重要な位置を占めるようになる。上述のとおりセールスは伸びなかったが、この時期の作品には後に代表作とされる「なぜか上海」「海へ来なさい」「ジェラシー」「とまどうペリカン」「カナリア」「リバーサイドホテル」などが含まれており、創作面は充実していたとも言える。この時期の歌詞には、英語を多用する、語呂合わせなど音韻を重視する、その結果として意味がわかりにくいものになる、性的な含みがある、などの特徴がある。曲は明るく、ポリドール時代から比べるとかなり複雑なものが多く、歌唱は伸びがあって力強い。

1981年1月、特別番組でテレビ初出演(詳細不明)[13]。7月『夜のヒットスタジオ』で二度目のテレビ出演、生放送は初めて[14]。8月『ザ・ベストテン』出演[14]

1982年バックバンドを務めていた安全地帯がデビューし、1983年には自身作詞による「ワインレッドの心」をヒットさせる。さらに1984年には安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」、中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」、そして自身の「いっそセレナーデ」がヒットする。12月10日付のチャートでは「飾りじゃ〜」が2位、「恋の予感」が3位、「いっそ〜」が4位と、陽水の手がけた作品が上位を占める。同月21日にはこれらのヒット曲をはじめとする提供曲を、自身が自ら歌ったアルバム『9.5カラット』がリリースされ、翌1985年にかけてヒットする。『9.5カラット』は1985年のアルバム年間売り上げ1位を獲得し、陽水にとっては『氷の世界』以来2作目のミリオンセラーとなる。このヒットにより第27回日本レコード大賞で作曲賞とアルバム賞を獲得する。1986年8月にはライブアルバム『クラムチャウダー』がリリースされ、9月には同じ題名のライブビデオも発売される。さらに8月20日から2日間、安全地帯とのジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」と題したコンサートを明治神宮野球場で行う。このコンサートは6万人の聴衆を動員し、テレビ中継されたほか、ライブアルバム、ライブビデオにも収録される。これらのことは『氷の世界』前後の「陽水ブーム」にたとえて、「第二次陽水ブーム」と呼ばれた。「第二次陽水ブーム」を担った『9.5カラット』の収録曲は、歌詞にも曲にも陽水独特の癖が抑制され、よりポップに作られている。

フォーライフ時代〜『九段』まで

1988年9月、日産自動車より新発売されたセフィーロ(初代・A31型)のCMに出演し、アドリブで「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」と声を出す。ところがこのCMが公開されて間もなく、病気で臥せっていた昭和天皇危篤になったため、声はカットされてしまう。このことが話題を呼び、「お元気ですか」が流行語になる。それから間もない10月、フジテレビ系のドラマ『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた「リバーサイドホテル」がヒットする(11位)。「リバーサイドホテル」は1982年に発表されていた作品だが、リリースから6年を隔ててのヒットとなった。

1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』の主題歌として作られた「少年時代」(作曲は平井夏美との共作)がヒットする。リリース直後はそれほどでもなかったが、ソニーのビデオカメラ「ハンディカム・CCD-TR105」のCMに使われてから売り上げを伸ばした。「シングル「少年時代」はロングセラーとなり、1997年7月には日本レコード協会からミリオンセラーに認定された[15]

1993年、フジテレビ系のドラマ『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた「Make-up Shadow」(2007年にはトヨタ・ブレイドのTVCFソングとしても使われた)がヒットし、第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する。2000年代の井上に見られるような、英語風の発音が、このころから目立ってきている。

このころからリリースのペースが落ち始める。1994年にアルバム『永遠のシュール』を発表してから、次のアルバム『九段』(1998年)までには3年半のブランクがある。また、この時期はコンサートも少なく、1994年末から1999年9月までのおよそ5年間は全国ツアーを一度も行っていない。

1996年PUFFYのデビュー曲として歌詞を提供した「アジアの純真」がヒットする。「アジアの純真」の作曲は、以前から交流のあった奥田民生である(1994年には「月ひとしずく」(小泉今日子)を共作している)。同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする。続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名でリリースしたシングル「ありがとう」、アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを受けたものと言えよう。「ありがとう」はリリースされた1997年サッポロビール・「黒ラベル」のCMに使われたことも手伝ってヒットする。「アジアの純真」「渚にまつわるエトセトラ」は自演の作品にない元気のよさから、以後のコンサートではしばしば歌われる。

『GOLDEN BEST』とその後

1999年、アンドレ・カンドレとしてのデビューから30周年になることを記念して、2枚組のベストアルバム『GOLDEN BEST』がリリースされる。『GOLDEN BEST』は自身3作目のミリオンセラーとなった後も売り上げを伸ばし続ける。このヒットを受け、『GOLDEN BEST』のリリースからちょうど1年後には「裏ベスト」として『GOLDEN BAD』が、『GOLDEN BEST』の売り上げが200万枚を突破した2003年には記念として『GOLDEN BEST SUPER』が発売される。

2001年、「コーヒー・ルンバ」「花の首飾り」のカバーがヒットし、日本のポピュラー音楽において2003年ごろまで続くカバー・ブームの先駆けとなる。これに続いてリリースしたカバーアルバム『UNITED COVER』は80万枚を売るヒットとなり、その期間のライヴ映像はDVD『UNITED TOUR』として発売される。

2002年には4年振りの新作『カシス』と、ジャズ・アレンジを施したセルフカバー・アルバム『Blue Selection』をリリース。1999年から2006年までは、2004年を除いて毎年全国ツアーを行うなど、歌うことに関しては活発だが、自作の新曲は少なくなっている。

2006年にはツアーの合間を縫って制作された4年振りの新作『LOVE COMPLEX』をリリース。2008年もツアー活動を行いつつ、『弾き語りパッション』と『BEST BALLADE』の2作を発表している。2009年にはデビュー40周年を迎え、12月には15年振りとなる日本武道館公演を行い、その模様を収録したDVD『40th Special Thanks Live in 武道館』をリリース。翌2010年には4年半振りとなるオリジナル・アルバム『魔力』をリリースしている。

犯罪・逮捕歴

1977年9月10日大麻所持容疑で逮捕懲役8か月、執行猶予2年の判決。 10月11日初公判で陽水は次のようにコメントしている。

「我国における現行の大麻取締法がある限り、私は再びこの法を犯すつもりはございません。なぜなら国の決定にさからうのは悪であり、加えてその決定には国の最高の機関が使われ、可能な限りの資料が集められ、充分に検討され且つ吟味された結果だと私は信じるからです。」(原文のまま)

逸話、関連人物など

  • かなり昔にゲスト出演したラジオ番組で、作詞方法は日本語辞書を見ながら面白いと感じた言葉を抜き出して創作することなどや、「なぜ歌手になったのか」の質問に「歯科大学の受験に3度失敗して歯科医を断念したほど、頭が悪かったから。頭が良かったら歌手なんてやっていません」などと語り、番組パーソナリティを驚かせた。
  • 「第二次陽水ブーム」を代表として、無数の楽曲をほかの歌手に提供している。経歴で挙げた例のほかには、沢田研二のアルバム『Mis cast.』の全曲を作詞作曲した例が有名である。また一青窈は自ら陽水のファンと称しており、アルバム『一青想』のうち2曲は陽水の作曲による。
  • 水谷豊にも多くの楽曲を提供しているが、レコーディングでの初対面の際はほとんど会話も無かったという。それにもかかわらず「今日家に来ない?」と持ちかけ、その不思議な雰囲気に水谷はよく分からずも応諾する。翌日、水谷は勧められるまま、鰻丼を食べたり近所の公園でキャッチボールをしたという[21]
  • 奥田民生に「僕のようになるには、まだまだ働かなきゃ」といいながら、レコーディング中の彼に電話で「休んでる? 休まなきゃダメだよ」と言い、困惑させたことがある。奥田は「僕も適当な性格だけど、陽水さんは僕以上に適当な性格」と評している。

作品

シングル

タイトルの後のc/wはカップリング曲。シングルに3曲以上が収録された場合は半角スラッシュ(/)で区切る。同一曲のインストゥルメンタル・バージョン、カラオケ・バージョンは無視する。

CBSソニー(『アンドレ・カンドレ』名義)

ポリドール

フォーライフ

アルバム

オリジナルアルバム

ポリドール
フォーライフ

ベストアルバム他

  • GOOD PAGES(1975年7月21日)
    • 初のベスト・アルバム
  • GOOD PAGES 2(1976年10月21日)
  • 井上陽水ベスト20(1980年9月21日)
    • カセットテープのみ。ここでしか聞けない音源を含んでいる。
  • 井上陽水メタル・スペシャル(1981年3月21日)
    • カセットテープのみでの発売。
  • 陽水ライブ<ジェラシー>(1982年4月5日)
    • カセットテープのみのライブ音源。
  • YOSUI SINGLE COLLECTIONS(1987年)
    • CD・カセットテープのみ。「人生が二度あれば」「断絶」など、全14曲を収録。
  • NO SELECTION 井上陽水全集(1991年12月11日)
    • ポリドール時代の4枚と、フォーライフ時代の10枚で合わせて14枚のアルバムにシングル曲集の『SPECIAL EDITION 1』『SPECIAL EDITION 2』を加えて16枚をボックスにしたもの。
    • 『SPECIAL EDITION1』にはアンドレ・カンドレ時代の6曲が含まれている。
    • 非売品のVHS『SELECTION』が付属しており、ここには初期のプロモーションビデオが収録されている。
  • 平凡(1985年3月5日)
    • 「招待状のないショー」はここでしか聴けない再録。「愛されてばかりいると」はシングルバージョンを収録。
  • GOLDEN BEST(1999年7月28日)
    • 2枚組のベスト。200万枚以上のセールスを記録している。
  • GOLDEN BAD(2000年7月28日)
    • B面曲やアルバム収録曲などから陽水自身が選んだ「裏ベスト」。
  • 井上陽水 ReMASTER(2001年5月30日)
    • フォーライフ時代のアルバム15枚にシングル曲集の『ReMASTER extra-1』『ReMASTER extra-2』を加えての17枚ボックス。
    • ボーナストラックとして、ここでしか聞けない「少年時代」のライブバージョンが収録されている。
  • GOLDEN BEST SUPER(2003年6月25日)
    • 『GOLDEN BEST』に『GOLDEN BEST SUPER Disc3』を加えて3枚組とした限定盤。
    • 『Disc3』に含まれるライブ録音の一部は、期間限定でネット配信された。

井上陽水プラチナ・ベスト~アーリー・タイムズ~(2003年11月5日) 「GOLDEN BEST」の姉妹盤。

  • 弾き語りパッション(2008年7月16日)
    • 2007年ツアーから初期の楽曲を中心に収録された弾き語りベストアルバム。当初は2008年ツアー会場での限定先行販売であったが、あまりの反響の多さに急遽メジャー流通で一般発売されることとなった。
  • BEST BALLADE(2008年12月10日)
    • バラードベスト。

その他

映像作品

  • クラムチャウダー<NHKホールライブ> (1986年9月1日)
    • ライブ映像。VHSLDβの3形態で発売。
  • 井上陽水ライブ'88サントリーホール 夜のシミュレーション(1989年4月21日)
    • ライブ映像。VHS、LD、βの3形態で発売。
  • 夢寝見(1989年10月21日)
    • プロモーションビデオ。VHSとLDの2形態で発売。
  • 井上陽水 CONCERT 1999〜2001 UNITED TOUR(2001年12月5日)
    • ライブ映像。VHSとDVDの2形態で発売。
  • 「The Premium Night」―昭和女子大学 人見記念講堂ライブ―(2007年4月11日)
    • ライブ映像。DVDのみの発売。
  • 「40th Special Thanks Live in 武道館」(2010年3月31日)
    • ライブ映像。DVDのみの発売。

PV

  • いくつかの曲でPVが制作されているが、ソフト化されたのは現在のところ「夢寝見」のみ。他に「夢の中へ」、「リバーサイドホテル」、「少年時代」、「Make-up Shadow」、「花の首飾り」、「傘がない(『弾き語りパッション』)」がある。

『井上陽水奥田民生』名義

シングル

  • ありがとう c/w 佗び助(ボツテイク)(1997年2月13日)
  • パラレル・ラブ c/w クリスマス・バニラシェイク(2006年12月20日)

アルバム

  • ショッピング(1997年3月19日)
  • ダブルドライブ(2007年2月21日)
    1. アウトバーンの狼
    2. パラレル・ラブ
    3. HIROSHIMA ※
    4. 海の中道
    5. パスタ・セレナーデ ※
    6. 京都に電話して
    7. 恋はハーモニー
    8. 砂漠のデザート
    9. 羽飾りMOKKO ※
    10. にじむ虹
    11. 神の技
    12. クリスマス・バニラシェイク
    13. 南国の雪
    • ※は奥田民生のソロ曲。
    • このアルバムでは、奥田民生のソロ曲はあるものの、井上陽水のソロ曲はない。
    • 砂漠のデザートではボーカルは井上陽水だけだが、ギターなどは奥田民生が担当している。

タイアップ

  • 夢の中へ
  • BRIGHT EYES
    • 映画『ウォーターシップダウンのうさぎたち』主題歌(1980年)
  • とまどうペリカン
  • いっそセレナーデ
  • WHY
  • We are 魚
  • 今夜、私に
  • リバーサイドホテル
    • フジテレビ系ドラマ『ニューヨーク恋物語』テーマ曲(1988年)
      • 歌詞の一部「金属のメタルで」については、「誰か一人ぐらい疑問に思わず聞き流す人もいるんじゃないか?」との遊び心だそうである。
  • 夢寝見
    • 日産セフィーロCMソング、同CMに出演(1989年)
  • 最後のニュース
    • TBS系列『筑紫哲也 NEWS23』エンディングテーマ(1989年 - 1991年)
      • 他にもNEWS23にレコード・CDとも未発売のオープニングテーマ(1989年 - 1997年)も提供した。
  • 少年時代
  • Tokyo
    • サントリーローヤルCMソング(1991年)
  • 結詞
    • JR東日本「その先の日本へ」テーマソング(1992年)
  • 5月の別れ
    • キリンラガービール「日本の恵みシリーズ」CMソング(1993年)
  • Make-up Shadow
  • カナディアン・アコーデオン
  • 愛は君
  • 移動電話カミナリと風
  • 嘘つきダイヤモンド
  • 新しいラプソディー
    • サッポロ<生>黒ラベル」CMソング(1996年)
    • 日清カップヌードル」CMソング(2003年)
    • ANACMソング(2007年)
    • サッポロビールCMソング(2011年)
  • 積み荷のない船
  • ありがとう
    • 「サッポロ<生>黒ラベル」CMソング(1997年)
  • HAWAIIAN LOVE SONG〜リリウオカラニ女王に捧ぐ〜
    • ハワイ観光局CMソング(1997年)
  • TEENAGER
  • 最新伝説
  • クレイジーラブ
  • 花の首飾り
  • Final Love Song
    • キリンビバレッジ聞茶CMソング(2002年)
  • 森花処女林
  • 決められたリズム
    • 松竹映画『たそがれ清兵衛』主題歌(2002年)
  • 歌に誘われて
  • 新しい恋
    • ザ・サントリーオールドCMソング(2006年)
  • Love Rainbow
    • 資生堂「ザ・コラーゲン」CMソング(2009年)
  • MAP
  • 赤い目のクラウン

楽曲提供

  • オリーブ
    • 「愛ある国へ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1970年)
  • ザ・モップス
    • 「窓をあけろ」 - 作詞・作曲:井上陽水(1972年)
  • 石川セリ
    • 「ダンスはうまく踊れない」 - 作詞・作曲:井上陽水(1977年)
    • 「気まぐれ」 - 作詞:石川セリ/作曲:井上陽水
  • 佐藤博
    • 「月の子の名前はレオ」 - 作詞:井上陽水/作曲:佐藤博(1979年)
  • 中山千夏
    • 「Kiss」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等(1980年)
  • 山口百恵
    • 「Crazy Love」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水(1980年)
  • 三上寛
    • 「俺のあの娘は可愛いい」 - 作詞・作曲:井上陽水(1981年)
  • 沢田研二
    • 「News」
    • 「デモンストレーションAir Line」
    • 背中まで45分
    • 「Darling」
    • 「A.B.C.D.」
    • 「チャイニーズフード」
    • 「How Many “Good Bye”」
    • 「次のデイト」
    • 「ジャスト フィット」
    • 「ミスキャスト」
      • 全曲、作詞・作曲:井上陽水(1982年12月10日)
  • 荻野目洋子
    • 「ギャラリー」 - 作詞・作曲:井上陽水(1990年6月27日)
    • 「ON BED」 - 作詞:井上陽水/作曲:井上陽水・平井夏美(1990年6月27日)
  • 小泉今日子
    • 月ひとしずく」 - 作詞:井上陽水・奥田民生・小泉今日子/作曲:井上陽水・奥田民生(1994年11月14日)
  • デーモン小暮閣下
    • 「LOVE ROMANCE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年8月21日)
  • 篠原涼子
    • 「ダメ!」 - 作詞・作曲:井上陽水(1995年11月22日)
  • PUFFY
    • 「アジアの純真」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1996年5月13日)
    • 「渚にまつわるエトセトラ」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(1997年4月16日)
    • 「CAKE IS LOVE」 - 作詞・作曲:井上陽水(1998年4月1日)
    • 「オリエンタル・ダイヤモンド」 - 作詞:井上陽水/作曲:奥田民生(2007年9月5日)
  • Chappie
    • 「DOCU-MENTARY KISS」 - 作詞:井上陽水/作曲:ギターペイダー(1999年10月10日)
  • 一青窈
    • 「一思案」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
    • 「面影モダン」 - 作詞:一青窈/作曲:井上陽水(2004年4月7日)
  • 持田香織
    • 「ミステリーあなたに夢中」 - 作詞・作曲:井上陽水(2004年10月20日)
  • 岡本知高
    • 「E-I-E-N」 - 作詞:井上陽水/作曲:筒美京平(2004年10月21日)
  • Akeboshi
    • 「Yellow Moon」 - 作詞:Yosui Inoue/作曲:Akeboshi)(2006年4月19日)
  • DR.STRANGE LOVE
    • 「アメリカのアリゾナ」 - 作詞:井上陽水/作曲:長田進
  • 本山ツトム
    • 「一枚ガラスの喫茶店」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
  • 野崎沙穂
    • 「エアメール・ブルー」 - 作詞:安井かずみ/作曲:井上陽水
  • かしわ哲
    • 「オシエテモット」 - 作詞:かしわ哲/作曲:井上陽水
  • 水谷豊
    • 「はーばーらいと」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水(1977年)
    • 「男の手紙」 - 作詞:白石ありす/作曲:井上陽水
    • 「鍵はかけない」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
    • 「通過します」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水
    • 「テンダネス」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
    • 「マリーナ デル レイ」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
    • 「AMERICAN LINE」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
    • 「MUSIC HIGH」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • 矢野顕子
    • 「架空の星座」 - 作詞:井上陽水/作曲:矢野顕子
  • 三田寛子
    • 駈けてきた処女」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
    • 「夏の雫」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水/編曲:坂本龍一
    • 「ふたりぽっち物語」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
  • 中森明菜
  • 森進一
    • 「風のエレジー」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
  • 町田義人
    • 「風のように」 - 作詞:阿木燿子/作曲:井上陽水
  • 薬師丸ひろ子
    • 「哀しみの種」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
    • 「ステキな恋の忘れ方」 - 作詞・作曲:井上陽水
    • 「ローズ・ティーはいかが?」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
  • 樋口可南子
    • 「からたちの花」 - 作詞:流れ星犬太郎/作曲:井上陽水
  • 小林麻美
    • 「グランプリの夏」 - 作詞:小林和子/作曲:井上陽水
    • 「TRANSIT」 - 作詞:松任谷由実/作曲:井上陽水
  • 安全地帯
    • 「恋の予感」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
    • 「真夜中すぎの恋」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
    • 「ワインレッドの心」 - 作詞:井上陽水/作曲:玉置浩二
  • 小椋佳
    • 「白い一日」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
    • 「坂道」 - 作詞:小椋佳/作曲:井上陽水
  • 郷ひろみ
  • 来生たかお
    • 「地上のスピード」 - 作詞:井上陽水/作曲:来生たかお
  • 姫乃樹リカ
    • 「地上の楽園」 - 作詞:松本隆/作曲:井上陽水
  • 風間杜夫
    • 「東京さみしがり屋」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • 長谷川きよし
    • 「ドライアイス」 - 作詞:井上陽水/作曲:長谷川きよし
  • 武田久美子
    • 「半分ピエロ」 - 作詞:友部正人/作曲:井上陽水
  • YK型
    • 「バルサの翼」 - 作詞:吉田照美/作曲:井上陽水
  • ブレッド&バター
    • 「ファッションラヴァー」 - 作詞:GALLWAY PETER ALAN、井上陽水/作曲:GALLWAY PETER ALAN
    • 「WYOMING GIRL」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • ペギー葉山
    • 「プラス・ピアス」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • 吉永小百合
  • 亀淵友香
    • 「夢のくらし」 - 作詞:及川恒平/作曲:井上陽水
  • 松坂慶子
    • 「ラジオのついたナイト・テーブル」 - 作詞:井上陽水/作曲:小室等
  • かまやつひろし
    • 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • アンデルセン
    • 「ロンドン急行」 - 作詞・作曲:井上陽水
  • MAACHO
    • 「NOTHING IN BLUE」 - 作詞:CASS MARK/作曲:井上陽水
  • 香坂未幸
    • 「神無月にかこまれて」 - 作詞・作曲:井上陽水

出演

映画

  • 女番町 野良猫ロック(1970年、日活) ※アンドレ・カンドレ名義
  • お葬式(1984年)

CM

書籍

著書

  • 音のそとがわで(1974年、サンリオ
    • エッセイ集。
  • 青空ふたり旅(1985年、角川書店ISBN 4041294150
    • 1976年の五木寛之との対談。
      1976年のペップ出版発行の方にあった「田川のどろぼう部落」が強くてたくましいイメージ、九州的なものとして大事にしたい、などと二人で擁護する件(同書1976年版p163)などが1985年版では削除されている。
  • ラインダンス(1982年、新潮社ISBN 4101282013
    • 歌詞集。
  • 綺麗ごと(1985年、集英社ISBN 4087800857
    • ロングインタビューなどを掲載。
  • 歌う見人(ケンジン) - 井上陽水カセットブック(1986年、小学館ISBN 4093632510
  • 媚売る作家(1993年、角川書店)ISBN 4048833294
    • 作品解説などを掲載。
  • 夢の旅人(1994年、新潮社)ISBN 4105299018
  • 井上陽水 FILE FROM 1969(2009年、エフエム東京)ISBN 4887452144
    • 井上陽水40周年記念として今までの多数の活動記録をまとめた本。
  • 別冊カドカワ 総力特集 井上陽水 (2009年、角川マーケティング(角川グループパブリッシング))ISBN 4048950657
    • 井上陽水の40周年記念に作られた特集号。
陽水と親交のある著名アーティストによる陽水についてのインタビュー等も掲載。

関連書籍

脚注

  1. ^ 九州歌謡地図 第5部・井上陽水の世界<2>
  2. ^ a b c アルバム陽水ライヴ もどり道』ジャケット自筆年表(うれいの年表)
  3. ^ a b 自著『綺麗ごと』、集英社、1985年、p15-16
  4. ^ a b c d 五木寛之・井上陽水『青空ふたり旅』、ペップ出版、1976年、p285 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "青空ふたり旅"が異なる内容で複数回定義されています
  5. ^ 自著『媚売る作家』角川書店、1993年、p49、251、自著『ラインダンス』、新潮社、1982年、p30
  6. ^ 受験に失敗した原因について、のちに「天才的頭脳がない」「裏口入学させられるほど金持ちの親がいない」(『断絶』の歌詞カード)、「ビートルズ」「女性」「受験慣れ」(『もどり道』のインナースリーブ)などとコメントしている。
  7. ^ 『媚売る作家』、p50-51
  8. ^ 「LIFE 井上陽水 40年を語る」 NHK教育、2009年8月24日。
  9. ^ 「LIFE 井上陽水 40年を語る」、2009年8月25日。
  10. ^ あの日フォークが流れていた、シンコー・ミュージック、p76-78
  11. ^ 川瀬泰雄 - The Beatlemania.com
  12. ^ アルバム『二色の独楽』のジャケットにはこの女性とのツーショットが掲載されている。
  13. ^ 『ラインダンス』、p204
  14. ^ a b 『ラインダンス』、p230、250
  15. ^ 日刊スポーツ』2007年12月15日付。
  16. ^ a b 『井上陽水全発言』えのきどいちろう編集、福武書店1994年、p131
  17. ^ a b 『究極の10冊物語』ダ・ヴィンチ編集部メディアファクトリー、1996年、p60-68
  18. ^ 『貧乏だけど贅沢』、p311
  19. ^ 『媚売る作家』、p186、259-260
  20. ^ 『綺麗ごと』、p222-227
  21. ^ SONGS井上陽水 水谷豊インタビューより

外部リンク