井上弘昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Kommy-vv (会話 | 投稿記録) による 2015年10月19日 (月) 09:37個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

井上 弘昭
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市西淀川区
生年月日 (1944-05-21) 1944年5月21日(79歳)
身長
体重
176 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1967年 ドラフト1位
初出場 1968年8月1日
最終出場 1985年5月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

  • 西武ライオンズ (1985)
  • 中日ドラゴンズ (1992 - 1994)

井上 弘昭(いのうえ ひろあき、1944年5月21日 - )は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手外野手)。

現在は中日スポーツ野球評論家

来歴・人物

北陽高校から電電近畿に進む。1965年第36回都市対抗野球大会では本塁打を放ち初優勝に貢献、その後も都市対抗野球に連続出場を続け活躍する。1966年には社会人ベストナインに選出された。

1967年ドラフト1位で広島東洋カープに入団。即戦力として期待されるも1年目の1968年は守備要員。翌1969年山本浩司が入団してくると控え暮らしが続き三塁手でスタメン出場をする事があった。1973年川畑和人との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。中日では持ち前の勝負強い打撃で才能が開花し、以後レギュラーに定着。1974年のリーグ優勝には3番バッターとして貢献した。

1975年には、元同僚の山本と首位打者を争う。僅差で2位に迫っていた10月19日の対広島最終戦では、広島バッテリー(永本裕章投手と道原博幸捕手)から、プロ野球公式戦史上初の「満塁敬遠」を受ける[1](山本はこの試合を欠場していた)。2日後の10月21日のシーズン最終戦で安打を打てば逆転で首位打者になれたが、最終打席で内角への際どい投球を死球と判定され、本人は必死で「当たっていない」と主張したが、判定は覆らず、惜しくもタイトル獲得はならなかった。同年セ・リーグベストナイン(外野手)を受賞。

その後は準レギュラー級として活躍し、1981年富田勝大島秀晃との交換トレードで、日本ハムファイターズに移籍。常時のスタメン出場はできなかったが、ここぞという場面での勝負強さは少しも錆付いておらず、19年ぶりのパ・リーグ優勝に貢献する。また、同年の日本シリーズではサヨナラヒットも放っている。1982年7月2日の対近鉄戦では、代打で通算150本塁打となる決勝2ランを放ち、この試合で通算200勝を達成した江夏豊の名球会入りに貢献した。1984年のシーズン終了後に現役を引退し、1985年、広島時代のコーチであった広岡達朗監督に請われ、西武ライオンズの守備走塁コーチに就任するも、前年の田淵幸一山崎裕之の引退により右の代打が不足していたことから現役復帰した(コーチ兼任)。しかし、10試合のみの出場に終わり、シーズン終了後に西武を退団し正式に引退し、テレビ愛知・初代プロ野球解説者に就任した。

1992年は中日二軍打撃コーチを務め、1993年から1994年までは一軍打撃コーチを務めた。

がっちりした体つきから、あだ名は「ポパイ」。攻守共に、闘志を前面に押し出したプレーで人気があった。通算137死球は、引退時点では竹之内雅史衣笠祥雄に次ぐ歴代3位の記録だった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1968 広島 35 67 58 6 13 2 0 1 18 5 0 0 1 1 5 0 2 9 2 .224 .303 .310 .613
1969 102 306 270 36 68 6 1 12 112 23 5 4 2 0 23 0 11 53 6 .252 .336 .415 .750
1970 113 377 339 41 71 14 1 13 126 29 11 5 4 0 25 1 9 45 11 .209 .282 .372 .653
1971 111 330 283 27 61 7 3 5 89 17 10 4 8 1 30 1 8 48 8 .216 .307 .314 .622
1972 43 98 86 8 16 3 0 4 27 6 1 1 1 1 4 0 6 15 1 .186 .268 .291 .559
1973 中日 103 361 317 41 86 12 2 16 150 57 6 5 6 2 26 1 10 45 9 .271 .344 .473 .817
1974 128 510 435 65 126 18 1 18 200 58 15 5 6 6 50 1 13 63 11 .290 .375 .460 .835
1975 130 537 468 80 149 20 0 18 223 65 11 6 7 3 46 6 13 40 15 .318 .392 .476 .869
1976 104 261 225 29 48 6 0 7 75 23 4 2 8 2 20 0 6 43 6 .213 .292 .333 .626
1977 120 444 387 60 110 13 0 17 174 60 5 3 8 3 32 1 14 51 9 .284 .358 .450 .807
1978 111 362 317 39 72 11 0 12 119 39 1 2 2 2 31 4 10 49 4 .227 .314 .375 .689
1979 113 409 345 47 94 16 0 16 158 49 2 1 10 3 38 0 13 57 10 .272 .363 .458 .821
1980 58 154 134 13 39 3 0 7 63 27 0 1 1 0 15 0 4 19 4 .291 .379 .470 .849
1981 日本ハム 85 243 201 17 52 12 0 4 76 30 2 0 0 3 30 0 9 21 5 .259 .374 .378 .753
1982 69 89 68 4 18 4 1 2 30 11 0 0 0 1 16 3 4 8 1 .265 .427 .441 .868
1983 54 65 57 4 15 0 0 4 27 9 0 0 0 0 6 0 2 4 3 .263 .354 .474 .828
1984 42 86 77 4 17 3 0 1 23 10 1 0 2 1 4 0 2 8 2 .221 .274 .299 .573
1985 西武 10 15 14 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 1 2 1 .214 .267 .214 .481
通算:18年 1531 4714 4081 522 1058 150 9 155 1693 519 74 39 66 29 401 18 137 580 108 .259 .343 .414 .758
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

初記録
節目の記録

背番号

  • 25 (1968年 - 1972年)
  • 6 (1973年 - 1980年)
  • 10 (1981年 - 1984年)
  • 98 (1985年 - 同年途中)
  • 35 (1985年途中 - 同年終了)
  • 92 (1992年)
  • 84 (1993年 - 1994年)

脚注

  1. ^ ただし、日本シリーズでは1950年に毎日オリオンズ若林忠志が4点リードながら満塁で当日2本塁打を打っていた松竹ロビンス岩本義行を迎えた際に、満塁でも敬遠した例がある。

関連項目