亀井茲建

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亀井 茲建(かめい これたけ、旧字体龜井茲建󠄁1910年明治43年)6月21日 - 1992年平成4年)1月21日)は、日本実業家伯爵。旧津和野藩主亀井家第15代当主。元東北開発株式会社総裁。

父は伯爵亀井茲常、政治家の亀井久興は三男、亀井亜紀子は孫。

略歴[編集]

家族・親族[編集]

  • 亀井茲常 東宮侍従として皇太子時代の昭和天皇に仕えた[1]
  • 妻 正子(東京、伯爵有馬頼寧の四女。有馬頼寧の母 寛子は岩倉具視の娘。)
  • 長男 茲基(1927年生)[2] 財団法人亀井温故館理事長[3]
  • 長女 久美子(栃木県、田代紘雄に嫁する)
    田代家は清和源氏の流れを汲む源頼成の末裔とされ、塩原の温泉館“和泉屋”を営んでいる[4]
  • 次男 常彰(1938年生)学習院大学理学部卒。日立退職後、多目的ホール「光と風のミュージアム」を経営[2][5]。妻は志賀潔の孫。
  • 次女 多美子
  • 三男 久興(政治家)
    同妻・陽子(実業家横山正克の娘)
  • 三女 富美子
  • 四男 建照

その他[編集]

東京都三鷹市に居住した。

趣味は絵画、俳句。宗教は神道[6]

実業家の横山正克とは中学の同窓、高等学校で同級生だった[7]

墓所は島根県津和野町亀井家墓所にあり、法号は覺誠院殿種德茲建大居士と贈られた。

東京帝大法学部在学中に赤化華族事件治安維持法違反の容疑)で検挙されるも、二ヵ月以内に転向の意思を示したことにより起訴されず釈放された[8]。別途、華族としての処分が検討されることとなったが、父親の功績(皇太子の欧州外遊随行)が考慮され、宮内省木戸幸一による厳しい叱責のみで処分は終了した[9]

参考文献[編集]

  • 『新日本人物大観』(島根県版) 人事調査通信社 1957年 カ…503頁
  • 横山正克 『出雲国安来山城屋横山家家系補遺考証』 1983年

関連人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 亀井家第16代当主「昭和天皇に東宮侍従として仕えた祖父の日記を『実録』のために貸出」 週刊朝日、2014.10.10
  2. ^ a b 亀井茲常『人事興信録. 第12版上』
  3. ^ 亀井温故館(亀井家別邸)一般社団法人山口県観光連盟
  4. ^ 『出雲国山城屋横山家家系補遺考証』 553頁
  5. ^ ~新幹事のご挨拶~亀井常彰(昭和36年大学理学部)学習院同窓会 湘南桜友会 会報19号(平成26年6月発行)
  6. ^ 『新日本人物大観』(島根県版) カ…503頁
  7. ^ 『出雲国山城屋横山家家系補遺考証』 604頁
  8. ^ 昭和史の大河を往く第六集 華族たちの昭和史 保阪正康 211, 213頁
  9. ^ 浅見雅男『反逆する華族』平凡社、2013年、142-145頁。ISBN 978-4-582-85697-2 

外部リンク[編集]

日本の爵位
先代
亀井茲常
伯爵
津和野亀井家第3代
1942年 - 1947年
次代
(華族制度廃止)