乙訓郡

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乙訓郡(おとくにぐん、おとくにのこおり)は、京都府・山城国のである。

人口16,234人、面積5.97km²、人口密度2,719人/km²。(2024年3月1日、推計人口

現在は以下の1町のみで構成されている。

歴史

古代

7世紀に弟国として設置され、大宝元年(701年)の大宝令施行によりになった。大宝令施行と同時に葛野郡から分割されたという説が1955年に出されて有力であったが[1]、1980年に藤原宮跡から「弟国評鞆岡三」と書かれた木簡が出土して、評の時代からあったことが判明している[2]。なお、「兄国」は葛野郡(現在の京都市西部)だといわれている。[要出典]

現在の長岡京市向日市の全域、京都市西京区および南区伏見区のそれぞれ一部もかつては乙訓郡に属していた。

長岡京や山城国国府などが置かれ、また戦国時代末期には勝竜寺城江戸時代淀城が当郡内に建設されるなど山城国中部を治める要地とされた。そのためか山崎の戦いといった歴史に名高い戦いが乙訓郡で行われた。

和名類聚抄』に記される郡内の。かっこ内は訓読み

  • 山埼郷 (夜末佐岐)
  • 鞆岡郷 (度毛乎賀)
  • 長井郷
  • 大江郷 (於保江)
  • 物集郷 (毛豆女)
  • 訓世郷 (郡勢)
  • 榎本郷
  • 羽束郷 (波豆賀之)
  • 石作郷 (以之都久利)
  • 長岡郷
  • 石川郷

式内社

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
乙訓郡 19座(大5座・小14座)
羽束師坐高御産日神社 ハヅカシニマスタカミムスヒノ 月次新嘗 羽束師坐高御産日神社 京都府京都市伏見区羽束師志水町 [1]
与杼神社 ヨドノ 與杼神社 京都府京都市伏見区淀本町
大井神社 オホイノ
オホヰノ
(論)大井神社 京都府京都市右京区嵯峨
乙訓坐火雷神社
(乙訓坐大雷神社)
オトクニニマスオホイカツチノ 名神大 月次新嘗 (論)角宮神社 京都府長岡京市井ノ内 [2]
(参)合祀:向日神社 京都府向日市向日町
石作神社 イシツクリノ 合祀:大歳神社 京都府京都市西京区大原野灰方町
走田神社 ハシリタノ 走田神社 京都府長岡京市奥海印寺
御谷神社 ミタニノ 御谷神社 京都府長岡京市浄土谷
国中神社 クナカノ 綾戸國中神社 京都府京都市南区久世上久世町
向神社 ムカヘノ
ムカフノ
向日神社 京都府向日市向日町
大歳神社 オホトシノ 月次新嘗 大歳神社 京都府京都市西京区大原野灰方町 [3]
茨田神社 マタノ (参)茨田神社 京都府京都市南区久世築山町 菱妻神社境内社
石井神社 イハイノ
イハヰノ
石井神社 京都府京都市西京区大原野石作町
神川神社 カムカハノ 神川神社 京都府京都市伏見区羽束師鴨川町
久何神社 コガノ
クカノ
久我神社 京都府京都市伏見区久我森ノ宮町
簀原神社 スハラノ (参)簀原神社 京都府京都市南区久世築山町 菱妻神社境内社
小倉神社 ヲクラノ 月次新嘗 小倉神社 京都府乙訓郡大山崎町円明寺 [4]
入野神社 イリノ 入野神社 京都府京都市西京区大原野上羽町
自玉手祭来酒解神社 タマテヨリマツリキタルサカトケノ 名神大 月次新嘗
元名山埼社
自玉手祭来酒解神社 京都府乙訓郡大山崎町天王 [5]
神足神社 カウダニノ
カムタリ
神足神社 京都府長岡京市東神足
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近現代

  • 旧高旧領取調帳』データベースには下記の52村が記載されている。
    • 大藪村、下久世村、中久世村、上久世村、築山村、東土川村、菱川村、志水村、古川村、樋爪村、赤日村、石倉村、鴨川村、久我村、物集女村、鶏冠井村、西土川村、白井村、寺戸村、上植野村、神足村、古市村、勝竜寺村、友岡村、馬場村、開田村、円明寺村、調子村、下植野村、大山崎庄、井之内村、今里村、粟生村、長法寺村、奥海印寺村、下海印寺村、金ヶ原村、灰方村、塚原村、出灰村、外畑村、石見上里村、上羽村、長峯村、西坂本村、灰谷村、小塩村、大原野村、沓掛村、浄土谷村、長野新田、牛ヶ瀬村
  • 1879年(明治12年)4月10日 - 郡区町村編制法に基づき向日町に乙訓郡役所を設置。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、乙訓郡に向日町乙訓村新神足村海印寺村淀村久我村羽束師村大枝村大原野村久世村大山崎村が成立する。(1町10村)
  • 1936年(昭和11年)2月11日 - 淀村が久世郡淀町(1957年(昭和32年)に京都市伏見区に編入)に編入。(1町9村)
  • 1942年(昭和17年)7月1日 - 京都市に愛宕郡葛野郡・乙訓郡を管轄する北山城地方事務所を設置。
  • 1949年(昭和24年)10月1日 - 乙訓村・新神足村・海印寺村が合併し、長岡町が発足。(2町6村)
  • 1950年(昭和25年)12月1日(2町3村)
    • 久我村・羽束師村が京都市伏見区に編入。
    • 大枝村が京都市右京区に編入。(1976年(昭和51年)に西京区に分区)
  • 1959年(昭和34年)11月1日(2町1村)
    • 大原野村が京都市右京区に編入。(1976年(昭和51年)に西京区に分区)
    • 久世村が京都市南区に編入。
  • 1967年(昭和42年)11月3日 - 大山崎村が町制施行し大山崎町となる。(3町)
  • 1972年(昭和47年)10月1日(1町)
    • 向日町が市制施行し、向日市となり郡より離脱。
    • 長岡町が市制施行・改称し、長岡京市となり郡より離脱。
明治22年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和20年 昭和21年 - 昭和30年 昭和31年 - 昭和40年 昭和41年 - 昭和50年 昭和51年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
向日町 向日町 向日町 向日町 昭和47年10月1日
向日市
向日市 向日市 向日市
乙訓村 乙訓村 昭和24年10月1日
長岡町
長岡町 昭和47年10月1日
長岡京市
長岡京市 長岡京市 長岡京市
新神足村 新神足村
海印寺村 海印寺村
大山崎村 大山崎村 大山崎村 大山崎村 昭和42年11月3日
大山崎町
大山崎町 大山崎町 大山崎町
久世村 久世村 久世村 昭和34年11月1日
京都市南区に編入
京都市
南区
京都市
南区
京都市
南区
京都市
大原野村 大原野村 大原野村 昭和34年11月1日
京都市右京区に編入
京都市
右京区
昭和51年
京都市西京区に分区
京都市
西京区
大枝村 大枝村 昭和25年12月1日
京都市右京区に編入
京都市
右京区
久我村 久我村 昭和25年12月1日
京都市伏見区に編入
京都市
伏見区
京都市
伏見区
京都市
伏見区
京都市
伏見区
羽束師村 羽束師村
淀村 昭和11年2月11日
久世郡淀町に編入
久世郡
淀町
昭和32年
京都市伏見区に編入

脚注

  1. ^ 黛弘道「山背国葛野軍の分割 国郡成立史上の一問題」、論集日本歴史刊行会・鈴木靖民編『律令国家』(論集日本の歴史2)、有精堂、1973年、180-181頁。初出は『続日本紀研究』第2巻第8号、1955年3月。
  2. ^ 加藤優「奈良・藤原宮跡」(1980年出土の木簡)、『木簡研究』3号、1981年、20頁。独立行政法人文化財研究所・奈良文化財研究所『評制下荷札木簡集成』、東京大学出版会、2006年、29頁。

参考文献