久米川町

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久米川町
久米川町の位置(多摩地域内)
久米川町
久米川町
久米川町の位置
北緯35度45分51.8秒 東経139度28分27.3秒 / 北緯35.764389度 東経139.474250度 / 35.764389; 139.474250
日本の旗 日本
都道府県 東京都
市町村 東村山市
面積
 • 合計 2.10 km2
人口
2019年(令和元年)7月31日現在)[2]
 • 合計 16,186人
 • 密度 7,700人/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
189-0003[3]
市外局番 042[4]
ナンバープレート 多摩

久米川町(くめがわちょう)は、東京都東村山市町名。現行行政地名は久米川一丁目から五丁目。郵便番号189-0003[3]

地理

東村山市の北部に位置し、東は青葉町、西は諏訪町、南は本町恩多町、北は秋津町と、所沢市北秋津久米と接している。府中街道所沢街道、さくら通りなどの主要道路沿いに事業所や店舗、工場が立地し、その他は住宅地や耕作地である。町設置以前の大字は久米川(四丁目の一部は野口、五丁目の一部は南秋津)であり、町村制以前の旧村であった大字久米川の中心であった一帯である。(市内で久米川と呼ばれる久米川駅の所在する栄町とは距離があり、当町に「町」をつけて区別する)

地価

住宅地の地価は、2019年平成31年)1月1日公示地価によれば、久米川町3丁目10番34の地点で18万2000円/m2となっている。

歴史

7世紀半ばから8世紀(大化から大宝年間)になると武蔵国府中(府中市)に国府がおかれ、南北に貫いて上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通じていた。鎌倉幕府が成立すると「いざ鎌倉」への道として各地の道路が整備され、地域を貫く道は鎌倉街道の中でも「上ツ道」として、久米川は宿駅として軍事的・経済的にも重視されたことが窺える[5]

1889年の東村山村成立時以後は大字久米川となり、1964年の市制施行時に現町域を久米川町とした。

地名の由来

道興准后の「廻国雑記」(1486)に、現在の柳瀬川を 「くめくめ川」と呼んでいた記載があり、これが地名の由来 のようだ、としている[6]

世帯数と人口

2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

丁目 世帯数 人口
久米川町一丁目 1,575世帯 3,798人
久米川町二丁目 1,394世帯 3,585人
久米川町三丁目 1,446世帯 3,334人
久米川町四丁目 1,632世帯 3,423人
久米川町五丁目 917世帯 2,046人
6,964世帯 16,186人

小・中学校の学区

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
久米川町一丁目 50〜59番地 東村山市立秋津小学校 東村山市立東村山第二中学校
その他 東村山市立久米川東小学校
久米川町二丁目 全域
久米川町三丁目 30〜41番地
その他 東村山市立久米川小学校
久米川町四丁目 全域
久米川町五丁目 1〜16番地
17番地の1〜8
17番地の12〜33
25番地
東村山市立久米川東小学校
17番地の9〜11
18〜20番地
34番地の14〜15
東村山市立化成小学校
その他 東村山市立秋津小学校

交通

施設

関連項目

脚注

  1. ^ 東村山市の統計・平成30年度版”. 東村山市 (2019年7月2日). 2019年8月23日閲覧。
  2. ^ a b 今月の町別・年齢別人口表”. 東村山市 (2019年8月1日). 2019年8月23日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月23日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2019年8月23日閲覧。
  5. ^ 東村山市の歴史-東村山市役所、2019年8月23日閲覧。
  6. ^ 久米川町の由来-東村山市役所、2019年8月23日閲覧。
  7. ^ 小・中学校通学区域”. 東村山市 (2013年8月15日). 2019年8月23日閲覧。

外部リンク

東村山市役所