久米岑雄

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久米 岑雄(くめ の みねお、生没年不詳)は平安時代前期の官人官位正六位下那賀郡大領

貞観9年(867年主帳・村部福雄とともにを村部から本姓の久米連に復する。当時の官位従八位上石見国那賀郡権大領[1]仁和2年(886年迩摩郡大領伊福部安道とともに農民217人を率いて石見守上毛野氏永を襲撃し、印鎰駅鈴を奪い取った。よって贖銅9斤を科された[2]

脚注

  1. ^ 日本三代実録貞観9年10月3日条
  2. ^ 日本三代実録仁和2年5月12日条