中院通氏
時代 | 南北朝時代 |
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生誕 | 貞和3年/正平2年(1347年) |
死没 | 応永2年7月6日(1395年7月23日) |
改名 | 通治 → 通氏 |
官位 | 正二位権大納言 |
主君 | 後光厳天皇→後円融天皇→後小松天皇 |
氏族 | 村上源氏中院家 |
父母 | 父:中院通冬、母:少将内侍 |
兄弟 | 通氏、通敏、禅守 |
妻 | 准大臣万里小路仲房の娘 |
子 | 通守 |
中院通氏(なかのいん みちうじ)は南北朝時代の公卿。正二位権大納言。父は従一位大納言中院通冬、母は少将内侍。妻は従一位准大臣万里小路仲房の娘。息男に中院通守がいる。
経歴
貞治4年/祥平20年(1365年)12月30日、参議に任ぜられる。右中将は元の如し。貞治5年/正平21年(1366年)1月5日、従四位上に昇叙。12月7日、正四位下に昇叙。貞治6年/正平22年(1367年)2月13日、備前権守を兼ねる。応安元年/正平23年(1368年)4月19日、従三位に叙される。応安3年/建徳元年(1370年)11月19日、権中納言に任ぜられる。応安5年/文中元年(1372年)4月18日、正三位に昇叙。永和3年/天授3年(1377年)4月12日、従二位に昇叙。至徳2年/元中2年(1385年)1月6日、正二位に昇叙。明徳元年/元中7年(1390年)4月1日、母の喪に服すため権中納言を辞したが、14日には還任し12月24日には権大納言に任ぜられる。応永2年(1395年)7月6日、薨去。
中院家不遇の時代
父通冬が一時南朝に参じたことなどの影響もあり、通氏の時代になると中院家は不遇をかこつことになった。通氏は権中納言在任が20年に及び、その間は何の兼官もなかった。万里小路家から妻を迎えたことは、少しでも足利将軍家に接近しようと考えたためと推測される。 何とか中院家が復権してくるのは、中院家出身としては久しぶりに従一位に叙せられた孫の通淳の時代になってからである。