中野遼太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中野 遼太郎
名前
カタカナ ナカノ リョウタロウ
ラテン文字 NAKANO Ryotaro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1988-06-13) 1988年6月13日(35歳)
出身地 東京都西東京市
身長 177cm[1]
体重 72kg
選手情報
ポジション MF
利き足 両足[2]
ユース


2001-2003
2004-2006
2007-2010
小平八小アベリアFC
JACPA 東京FC
FC東京U-15
FC東京U-18
早稲田大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2011 ポンメルン・グライフスヴァルト 16 (10)
2012 アルカ・グディニャ
2012 ポンメルン・グライフスヴァルト
2013-2015 BFCダウガフピルス 79 (33)
2016 FKイェルガヴァ 24 (2)
2017 チョンブリー 29 (0)
2018 FKイェルガヴァ 19 (0)
2019 タイ・ホンダFC
代表歴
2003-2005  日本 U-15/16/17
2006  日本 U-18
1. 国内リーグ戦に限る。2019年2月18日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中野 遼太郎(なかの りょうたろう、1988年6月13日 - ) は、東京都西東京市出身の[3]サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。

来歴[編集]

4歳でサッカーを始め[2]、中学・高校時代はFC東京の下部組織に所属した[3]。高校3年時には背番号10を背負う[4]主将として[5]チームを牽引。ゲームをコントロールする役割を担った[6]。同期には吉本一謙森村昂太権田修一、稲葉基輝らがいた[3]

高校卒業後には、複数のJリーグクラブからオファーを受けたが[7]FC東京トップチームを目指していたためこれらを断り[8]早稲田大学に進学、2007年よりア式蹴球部に所属した。1年時に鈴木修人の代役として抜擢されると[9]武器と語る視野の広さと中盤での展開力[7][4]を発揮し大榎克己監督から絶賛された[9]。鈴木の復帰後も出場機会を得、同年の全日本大学サッカー選手権の優勝に貢献した[10]

しかし大榎は同年限りで退任。後に、使われないのは分かっていたと語るほど[7]後任の今井敏明監督からは冷遇され、出場機会が激減。4年時には古賀聡監督から司令塔として[7]背番号10を託されたものの、目立った活躍はできなかった[4]

2011年に大学を卒業。ドイツへ渡り、メクレンブルク=フォアポンメルン州フェアバンツリーガ (enFußball-Verbandsligaは6部リーグに相当)に所属するFCポンメルン・グライフスヴァルトに加入[4]。チーム2位となる10得点を挙げ[11]2011-12シーズン前期の首位に導いた。

2012年ポーランド1.リーガ (en(2部リーグに相当)に所属するアルカ・グディニャの入団テストを受け[12]合格。シーズン終了(6月30日)までの契約を結んだ[1]。同年7月、ドイツ北東部のオーバーリーガ(5部リーグに相当)に昇格したFCポンメルン・グライフスヴァルトと再契約を結んだ[4]

2013年1月末、突如グライフスヴァルトとの契約を打ち切られたため[4]、同年4月よりラトビア・1.リーガ (en(2部リーグ相当)のBFCダウガヴァに加入。26得点を挙げて得点王・最優秀選手に選出される活躍で[4]クラブのリーグ優勝に大きく貢献した[13]。2014年からはヴィルスリーガ(1部リーグ)でプレー。第36節FCユールマラ戦ではハットトリックを記録[14]

2016年、FKイェルガヴァへ移籍[15]。2015-16のラトビア・カップに優勝し、ヨーロッパリーグ予選出場権を獲得。同年クラブは史上最高位となるヴィルスリーガ2位で終え、中野もベストイレブンを受賞した[16]。同年末、イェルガヴァとの契約を1年延長し一時帰国[16]

帰国中にチョンブリーFCから破格のオファーが届き[16]、2017年1月に同クラブへ完全移籍。同シーズンを持ってチョンブリーFCを退団。

2018年、FKイェルガヴァ復帰。

2019年、タイ・ホンダFCに加入。同年9月1日、現役引退を表明[17]

2020年から古巣FKイェルガヴァからのオファーを受諾し、コーチに就任。ラトビアでサッカー指導者としてのキャリアをスタートさせる決め手となったのは欧州での指導が可能なUEFAライセンスの取得にあると述べている[18]

2023年からアカデミー時代に所属していたFC東京に復帰しFC東京U-15むさしのコーチに就任した[19]

所属クラブ[編集]

ユース経歴
プロ経歴
指導者経歴

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2011-12 グライフスヴァルト 24 フェアバンツリーガMV 16 10 - - 16 10
ポーランド リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2011-12 (en グディニャ 24 1.リガ 0 0 0 0
2011-12 IIグディニャ 4.リガ
ドイツ リーグ戦 リーグ杯DFBポカール 期間通算
2012-13 (de グライフスヴァルト NOFVオーバーリーガN 12 1
ラトビア リーグ戦 リーグ杯ラトビア杯 期間通算
2013 (ru ダウガフピルス 8 1.リーガ 26 26 - 0 0 26 26
2014 (en ヴィルスリーガ 31 5 2 1 2 1 35 7
2015 (en 22 2 1 0 23 2
2016 (en イェルガヴァ 6 24 2 3 0 27 2
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2017 (en チョンブリー 7 T1
通算 ドイツ NOFVオーバーリーガN 12 1
ドイツ フェアバンツリーガMV 16 10 - - 16 10
ポーランド 1.リガ 0 0 0 0
ラトビア ヴィルスリーガ 77 9 6 1 83 10
ラトビア 1.リーガ 26 26 - 0 0 26 26
タイ T1
総通算
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
UEFAUEFA EL
2016-17 イェルガヴァ 6 6 0
通算 UEFA 6 0

タイトル[編集]

個人[編集]

代表・選抜歴[編集]

指導歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Nakano w Arce. Wilczyński w Bytomiu, Ziętarski w Kotwicy.(ポーランド語) 2012.02.20
  2. ^ a b 関東大学サッカー注目選手リレーインタビュー 第27回 早稲田大MF中野遼太郎選手(4年) ゲキサカ 2010.11.25
  3. ^ a b c FC東京U−18 選手紹介 (2006年度)”. 2007年2月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年9月18日閲覧。 FC東京
  4. ^ a b c d e f g h i 中野遼太郎に聞く (365日FC東京/東京ぴーぷる) SOCCER KING (2013年12月17日)
  5. ^ Jユースサハラカップは森本世代の集大成 All About 2006.12.18
  6. ^ 【Jユースサハラカップ2006 準決勝 F東京 vs 名古屋 】試合後の朴才絃監督(名古屋)コメント Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2006年12月17日)
  7. ^ a b c d 【第5回】中野遼太郎 浮沈の経験を糧に”. 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月5日閲覧。 早稲田スポーツ 2010.06.23
  8. ^ 新戦力 Vol.7 中野遼太郎 (cache) 早稲田スポーツ 2007.05.20
  9. ^ a b JR東日本カップ2007 関東大学リーグ 9月17日 神奈川・平塚競技場”. 2013年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年3月5日閲覧。 早稲田スポーツ 2007.09.21
  10. ^ 昨年の悔しさを糧に早稲田大学が日本一に輝く!第56回全日本大学サッカー選手権大会決勝戦レポート 日本サッカー協会 2008.01.16
  11. ^ GREIFSWALDER FUSSBALLREPORT (PDF) (ドイツ語)FCポンメルン・グライフスヴァルト
  12. ^ Japończyk Ryotaro Nakano na testach w Arce Gdynia(ポーランド語) sport.pl 2012.01.11
  13. ^ Pirmā līga(英語)ラトビアサッカー連盟
  14. ^ BFC Daugavpils vs. FC Jūrmala 4 - 2(英語)SOCCERWAY (2014年11月8日)
  15. ^ Jelgava piesaista Smirnovu, Nakano, Ļitvinski un Zalaku(ラトビア語)FCイェルガヴァ (2015年12月22日)
  16. ^ a b c “裏”海外組 中野遼太郎の蹴球奮闘記 第1回「ラトビア奮闘記のはずが急転直下、タイ移籍決定」 SOCCERKING (2017年1月19日)
  17. ^ @ryotaronakano15 (2019年9月1日). "引退します。気にかけてくれた全ての皆様ありがとうございました⚽️💙". X(旧Twitter)より2020年3月18日閲覧
  18. ^ 中野遼太郎 (2020年3月18日). “ラトビアでサッカー指導者を志す。ELに辿り着いた男のシンプルな選択。”. Number. 2020年3月18日閲覧。
  19. ^ @ryotaronakano15 (2023年2月21日). "選手として恋焦がれたクラブに、コーチとして帰ってくることが出来ました。未来の青赤戦士に、僕の持っている全てを伝えます!#fctokyo". X(旧Twitter)より2023年6月1日閲覧
  20. ^ a b JFAテクニカルニュース第4号 (PDF) 日本サッカー協会
  21. ^ 選手データ 関東大学サッカー連盟
  22. ^ Spartaks vs. BFC Daugavpils 0 - 1(英語)SOCCERWAY
  23. ^ Liepāja vs. BFC Daugavpils 2 - 1(英語)SOCCERWAY
  24. ^ Buriram United vs. Chonburi 2 - 2(英語)SOCCERWAY
  25. ^ 過去の大会記録 - メニコンカップ メニコン

関連項目[編集]

外部リンク[編集]