中標津空港

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中標津空港
Nakashibetsu Airport
IATA: SHB - ICAO: RJCN
概要
国・地域 日本の旗 日本
所在地 北海道中標津町
種類 商業
運営者 北海道
運用時間 8:30 - 18:30
標高 65.2 m (213.9 ft)
座標 北緯43度34分39秒 東経144度57分36秒 / 北緯43.57750度 東経144.96000度 / 43.57750; 144.96000座標: 北緯43度34分39秒 東経144度57分36秒 / 北緯43.57750度 東経144.96000度 / 43.57750; 144.96000
公式サイト 根室中標津空港
地図
中標津空港の位置
中標津空港の位置
SHB
中標津空港の位置
滑走路
方向 ILS 長さ×幅 (m) 表面
08/26 I 2,000×45 舗装
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空港の一覧
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中標津空港の位置
中標津空港の位置
SHB/RJCN
中標津空港の位置
空港遠景

中標津空港(なかしべつくうこう、: Nakashibetsu Airport)は、北海道標津郡中標津町にある地方管理空港。設置管理者は北海道(釧路総合振興局建設管理部釧路建設管理部中標津空港管理事務所)。

定期路線を就航している全日空グループでは根室中標津空港(ねむろなかしべつくうこう、: Nemuro-Nakashibetsu Airport)の名称を使用し、空港ビル運営会社名も根室中標津空港ビル株式会社である。

概要

中標津空港は北海道最東端の空港で、中標津町市街から北西約4 km(バスで約10分)の平坦な牧草地に位置する。JR北海道標津線廃止後の交通空白を埋める空港として、根室管内の玄関口としての役割を担ってきた。

ただし空港建設の経緯が他の道内空港と異なり、周辺は酪農地帯に立地する。根室振興局が置かれる根室市中心部へは80 km以上離れている。当空港から100 km圏内でマリモで有名な阿寒湖摩周湖屈斜路湖知床など自然景観に恵まれた観光地が多数あり、観光需要を支えている。札幌市東京への時間距離が長いこの地域において、高速交通手段として航空の果たす役割は非常に大きい。

年間乗降客数は、2007年頃までは20万人台前半で推移していたが[1][出典無効]新型インフルエンザ世界金融危機などによる旅行客の減少により、2008年以降は18万人前後となっている。2013年度は、国内192,852人[2]

空港の周囲が大酪農地帯で、石垣空港と並び日本を代表する「香り立つ」空港の1つとなっている。過去に日本テレビのドラマ『星の金貨』や、映画「釣りバカ日誌20ファイナル」[3]のロケ地にもなった。

歴史

1978年に撮影された、中標津空港の空中写真。この頃は滑走路長1,200 m、滑走路の方向も05/23であった。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。1978年撮影の4枚を合成作成。
  • 1944年昭和19年) - 【開基】旧日本海軍の標津第一航空基地(中標津飛行場)として開港。
  • 1945年(昭和20年) - 米軍の空襲を受ける。戦後、閉港となり、農地として払い下げられ、放置される。
  • 1957年(昭和32年) - 北日本航空(後の日本国内航空日本航空)が、放置された飛行場跡を利用して、根室一円の遊覧飛行を行う。
  • 1959年(昭和34年) - 北日本航空が、遊覧飛行事業を開始。中標津 - 札幌線開設、ダグラスDC-3型機が1962年(昭和37年)まで運航する。
  • 1962年(昭和37年) - 【指定】飛行場跡が滑走路長1,200 m×30 mの第3種空港に指定され、再開港となる。
  • 1965年(昭和40年) - 【開港】西春別空港から丘珠便の定期航空路線が移り、供用開始(西春別よりも中標津のほうが、当時存在した国鉄標津線を利用した根室市方面への移動が便利だったため)。
  • 1974年(昭和49年) - 日本近距離航空(NKA 後のエアーニッポン全日本空輸)により丘珠便運航開始(DHC-6)。
  • 1974年(昭和49年) - NKA 丘珠便運航開始(YS-11)。
  • 1980年(昭和55年) - NKA 千歳便運航開始(YS-11)。
  • 1983年(昭和58年)3月11日NKA497便札幌丘珠発中標津行)YS-11型が着陸に失敗、中標津空港付近の林に墜落する事故が発生。幸い機体が炎上しなかったため、乗客53人に死者はでなかった。
  • 1989年平成元年) - 新滑走路供用(1,200 m)。現空港ビルが「国内初の木造空港ビル」としてオープン。
  • 1990年(平成2年) - 1,800 m×45 mの滑走路を供用開始と共にジェット化。エアーニッポンによる東京便の就航開始。初のソウルへの国際チャーター便が運航される。
  • 1993年(平成5年) - 中型機対応ターニングパッド供用開始。この年以降、夏季期間限定で東京便にボーイング767が就航し現在に至る。
  • 1997年(平成9年) - 2,000 mの滑走路を供用開始。
  • 2003年(平成15年) - 丘珠・千歳線の運航がエアーニッポンネットワークに移管され、YS-11・B737に代わりDHC-8-Q300が就航する。
  • 2008年(平成20年) - 空港ビルが増築・リニューアル(床面積が約1.6倍になる)。
  • 2010年(平成22年)- 3月14日 利用者400万人達成(1989年の新ターミナル利用開始後より数えた利用者数)。
  • 2010年(平成22年)- 6月30日をもって丘珠便が廃止され、札幌方面は7月1日より新千歳空港線へ一本化された。使用機材もDHC-8-Q300からDHC-8-Q400へと大型化された。
  • 2013年(平成25年)- 3月31日をもって現地の有人による飛行場対空通信業務終了。新千歳インフォメーションによるリモート監視に変更(レディオからリモートへ格下げ)。
  • 2016年(平成28年) - 3月31日、東京航空局中標津空港出張所閉所

施設

空港ターミナルは根室中標津空港ビル株式会社が運営している。地上3階建て。日本の空港ビル唯一の集成材を利用した木造建築(一部鉄筋コンクリート造を併用)である。

  • 1階 - ANAカウンター、到着ロビー、レンタカー受付カウンター
  • 2階 - 出発ロビー、搭乗待合室、レストラン・売店
  • 3階 - 送迎デッキ

駐車場 - 約360台

関連機関


路線

かつての定期就航路線

アクセス

レンタカー

到着ロビーに営業所までの送迎受付カウンターが設置されている。店舗名は「中標津空港」または「中標津」。なお、トヨタレンタリースを除き根室振興局管内に他の営業所がない。

その他

  • 中標津VORDME/ILSは、整備されているものの、2016年3月31日までは中標津空港航空管制技術官、4月1日以降の保守官所は新千歳空港システム運用管理センターへ変更

脚注

  1. ^ "管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)" (PDF) (Press release). 国土交通省東京航空局.
  2. ^ "管内空港の利用状況概況集計表(平成25年度速報値)" (PDF) (Press release). 国土交通省東京航空局.
  3. ^ 釣りバカ日誌20ファイナル
  4. ^ ANAウイングスの機材・乗務員で運航する便あり

関連項目

外部リンク