中村純九郎

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中村 純九郎
なかむら じゅんくろう
中村純九郎
生年月日 1853年8月7日嘉永6年7月3日
出生地 日本の旗 日本 京都府宮津市
没年月日 (1947-12-18) 1947年12月18日(94歳没)
出身校 司法省法学校
配偶者 中村千代
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中村 純九郎(なかむら じゅんくろう、1853年8月7日嘉永6年7月3日) - 1947年昭和22年)12月18日)は、日本官僚政治家貴族院議員

経歴[編集]

佐賀藩出身。佐賀藩士・中村喜三太の長男として生まれる。戊辰戦争には鍋島左馬之助配下として従軍。1874年佐賀の乱では島義勇率いる憂国党の一員として参戦した。なお、円山公園にある札幌の街造りの基礎を築いた義勇の功績を記した『島判官紀功碑』の碑文は中村の手により書かれている。1876年司法省法学校を修了。

1884年参事院御用掛となる。以後、海軍省翻訳官、海軍主計学校教授、海軍教授などを歴任。さらに、台湾総督府民政局参事官拓務省参事官、淡水税関長兼基隆税関長、札幌郵便局長などを務めた。

1907年12月、福井県知事に就任。1912年3月、広島県知事に転じた。1914年4月、北海道庁長官に就任。大凶作の対応に尽力した。

1920年6月2日、貴族院勅選議員に任じられ[1]交友倶楽部に属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。

栄典・授章・授賞[編集]

家族・親族[編集]

妻・千代は坂部長照の次女[5]。妻の姉、すなわち坂部の長女は天文学者寺尾寿の先妻である[5]。次女は住友財閥の総理事・古田俊之助[5]、三女は陸上選手で日本人初のオリンピック金メダリストの織田幹雄に嫁いだ[5]

著作[編集]

  • 『副島大使適清概略』中村純九郎、1891年。
訳書

脚注・出典[編集]

  1. ^ 『官報』第2350号、大正9年6月3日。
  2. ^ 『官報』第3861号「叙任及辞令」1896年5月15日。
  3. ^ 『官報』第7954号「叙任及辞令」1909年12月27日。
  4. ^ 『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。
  5. ^ a b c d 東京天文台初代台長寺尾寿の家系図を入手 - 国立天文台・天文情報センター・アーカイブ室新聞 第65号(PDFファイル

参考文献[編集]

  • 衆議院参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
  • 『日本の歴代知事 第1巻』歴代知事編纂会、1980年。

関連項目[編集]