中村憲剛
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名前 | ||||||
愛称 | ケンゴ | |||||
カタカナ | ナカムラ ケンゴ | |||||
ラテン文字 | NAKAMURA Kengo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1980年10月31日(43歳) | |||||
出身地 | 東京都小平市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 66kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 川崎フロンターレ | |||||
ポジション | MF(DH, OH) | |||||
背番号 | 14 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003- | 川崎フロンターレ | 417 | (58) | |||
代表歴2 | ||||||
2006-2013[1] | 日本 | 68 (6) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年12月7日現在。 2. 2013年6月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
中村 憲剛(なかむら けんご[2]、1980年10月31日 - )は、東京都小平市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・川崎フロンターレ所属。ポジションはミッドフィールダー(主にボランチ)。元日本代表。
家族は妻と1男1女。
来歴
小学1年生でサッカーを始め、府中市の府ロクサッカー少年団に所属。少年団の先輩に澤穂希、後輩に保坂一成がいる。5年生の時に全日本少年サッカー大会でベスト16を経験した。また6年生の時に出場した第8回東京都少年選抜サッカー大会では開会式で選手宣誓を務めたほか、飯尾和也、高橋泰、星大輔らと共に大会優秀選手10名に選ばれた。
その後東京都立久留米高等学校を経て、大学サッカー界の名門中央大学の文学部文学科英米文学専攻にスポーツ推薦枠を受験し、進学を決める[3]。大学3年時には、52年連続で守ってきた関東リーグ1部の座を明け渡し2部降格の屈辱を味わったが、大学4年生となった翌年の2002年、チームの主将として2部優勝を果たし一年で1部復帰を決めた。
2003年、テスト生として参加していた川崎フロンターレに正式入団。同シーズン開幕戦となる広島戦で初出場、4月9日の山形戦では初得点を挙げた。
入団当初は攻撃的ミッドフィールダーだったが、2004年に関塚隆監督の提案でボランチへコンバート。
2006年、イビチャ・オシムが就任後、A代表に初選出。10月4日のガーナ戦で初出場、10月11日のインド戦で代表初得点を挙げる[1]。以後、日本代表メンバーに定着している。また、川崎フロンターレ史上初のJリーグベストイレブンに谷口博之と共に選出され、以降4年連続でベストイレブンを受賞している。
2009年5月5日、AFCチャンピオンズリーグ2009において、天津康師傅との試合中に天津のトレーナーが飛び出してきて、そのトレーナーから足蹴りをくらうという被害を受けた。
2010年2月23日、AFCチャンピオンズリーグ2010の城南一和戦での負傷により戦線離脱。検査の結果、下顎骨骨折と診断されて、南アフリカワールドカップのメンバー入りが危ぶまれたが、4月14日には予定よりも早く復帰を果たし、5月10日、ワールドカップ最終メンバーに選出された。本大会では決勝トーナメント第一戦のパラグアイ戦に後半途中から交代出場した[1]。
2011年10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のタジキスタン戦では約1年ぶりに先発出場すると、2年ぶりの得点を含む1得点3アシストの活躍でチームの大勝に貢献した[4][5]。
2012年シーズンではキャプテンとして全34試合に出場し5得点を挙げ、アシスト数はリーグ最多の13アシストだった。第19節の大宮アルディージャ戦ではボレーシュートを決め、それまで4試合連続無得点だったチームを救いその後4-1で逆転勝利を果たした。また、このゴールは週刊サッカーダイジェストの年間ベストゴールランクの10位となった。
2013年のシーズンではその年から加入した大久保嘉人とレナトと共に川崎の攻撃の中心となった。若干のケガや体調不良などで欠場した試合もあったものの、最終的にリーグ戦で29試合7得点を記録。アジアチャンピオンズリーグへの出場権獲得へおおきく貢献した。
2014年5月12日の2014 FIFAワールドカップ日本代表メンバー発表では落選。5月13日に林卓人、細貝萌、豊田陽平、水本裕貴、駒野友一、南野拓実らと共に日本代表予備登録メンバーに選出された。
人物・エピソードなど
- 好きなサッカー選手はジョゼップ・グアルディオラ。
- 好きなアーティストはスキマスイッチ、Mr.Children。スキマスイッチの常田真太郎とはとても仲が良く(ウイニングイレブン仲間[6])、常田が不在の時でも常田宅にいることもあるという。
- サンフレッチェ広島の佐藤寿人も友人である。
- 都立久留米高校のサッカー部の古い先輩に志村けんがいる[7]。ナオト・インティライミ・尾形貴弘(パンサー)は大学の先輩であり、親交がある。
- 2008年9月25日に長男が誕生した。直後の柏レイソル戦でゴールを決め「ゆりかごダンス」を披露した。これが中村自身のFKからのゴールを含め3回(試合は5-2で勝利)にも及んだことでチームメートの鄭大世に「一体、何人生まれたんだ?」と突っ込まれた。2010年4月8日に長女が誕生した。子煩悩であり、2010年8月には月刊誌『すてきな奥さん』(主婦と生活社)の取材を受けた[8]。
- 2011年8月、W杯アジア地区予選日本代表メンバーに招集された際、日本代表監督のアルベルト・ザッケローニから「グループの輪を乱さない、30歳を過ぎても向上心を失っていない、常に成長したいという気持ちを持っている」と評価された。
- 2011年、年末のやべっちFCで年間最優秀FK賞を受賞した。(同年5月28日J113節ガンバ大阪戦で決めたFKによるもの)
- 2012年にやべっちFCのフットサル対決に参加した際、チームメイトから「長老」と呼ばれた。(最初に呼び始めたのは吉田麻也)
- 2012年からフロンターレに入団したブラジル人の通訳をやっている。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2003年 - 現 在 川崎フロンターレ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2003 | 川崎 | 26 | J2 | 34 | 4 | - | 3 | 2 | 37 | 6 | |
2004 | 14 | 41 | 5 | - | 3 | 0 | 44 | 5 | |||
2005 | J1 | 29 | 2 | 6 | 2 | 3 | 1 | 38 | 5 | ||
2006 | 34 | 10 | 10 | 3 | 2 | 1 | 46 | 14 | |||
2007 | 30 | 4 | 3 | 0 | 4 | 0 | 37 | 4 | |||
2008 | 34 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 36 | 4 | |||
2009 | 32 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 36 | 4 | |||
2010 | 27 | 4 | 3 | 1 | 1 | 0 | 31 | 5 | |||
2011 | 30 | 4 | 2 | 0 | 1 | 0 | 33 | 4 | |||
2012 | 34 | 5 | 2 | 0 | 1 | 0 | 37 | 5 | |||
2013 | 29 | 7 | 5 | 2 | 2 | 0 | 36 | 9 | |||
2014 | 30 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 32 | 3 | |||
2015 | 33 | 2 | 6 | 0 | 3 | 0 | 42 | 2 | |||
2016 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 342 | 49 | 43 | 8 | 19 | 2 | 404 | 59 | |
日本 | J2 | 75 | 9 | - | 6 | 2 | 81 | 11 | |||
総通算 | 417 | 58 | 43 | 8 | 25 | 4 | 485 | 70 |
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2007 | 川崎 | 14 | 7 | 3 |
2009 | 9 | 3 | ||
2010 | 3 | 0 | ||
2014 | 8 | 2 | ||
通算 | AFC | 27 | 8 |
- Jリーグ初出場 2003年3月15日 J2 第1節 対サンフレッチェ広島戦 (広島ビッグアーチ)
- Jリーグ初得点 2003年4月9日 J2 第5節 対モンテディオ山形戦 (等々力陸上競技場)
- J1初得点 2005年8月24日 J1 第20節 対横浜F・マリノス戦 (日産スタジアム)
個人タイトル
代表歴
出場大会
- 日本代表
- 2007年 AFCアジアカップ2007
- 2010年 2010 FIFAワールドカップ
- 2013年 FIFAコンフェデレーションズカップ2013
試合数
- 国際Aマッチ 68試合 6得点 (2006年 - 2013年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2006 | 3 | 1 |
2007 | 13 | 0 |
2008 | 13 | 2 |
2009 | 12 | 2 |
2010 | 11 | 0 |
2011 | 4 | 1 |
2012 | 7 | 0 |
2013 | 5 | 0 |
通算 | 68 | 6 |
ゴール
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | 勝敗 | 試合概要 |
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1. | 2006年10月11日 | インド | インド | ○3-0 | AFCアジアカップ2007 (予選) |
2. | 2008年6月14日 | タイ | タイ | ○3-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
3. | 2008年9月6日 | バーレーン | バーレーン | ○3-2 | |
4. | 2009年5月31日 | 日本 | ベルギー | ○4-0 | キリンカップサッカー2009 |
5. | 2009年9月9日 | オランダ | ガーナ | ○4-3 | 親善試合 |
6. | 2011年10月11日 | 日本 | タジキスタン | ○8-0 | 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
出演
テレビドラマ
- 仮面ライダー鎧武/ガイム 第37話(2014年)
CM
- ミズノ 「MORELIA II」「ミズノで部活」 (2010年)
- 首都高速道路 「高速川崎線」 (2008年~)
- コナミ「ウイニングイレブンプレーメーカー2008」 (2008年)
映画
- 名探偵コナン 11人目のストライカー (2012年)
PV
- スキマスイッチ「Hello Especially」(2013年)
出版
執筆書籍
- 『中村憲剛のスルーパスの極意』講談社、2009年。ISBN 9784062950060 。
- 『幸せな挑戦 今日の一歩、明日の「世界」』角川書店、2013年。ISBN 9784041104347 。
- 『心をつなぐボール』あかね書房、2013年。ISBN 9784251082824 。
- 『考える習慣』ベースボール・マガジン社、2014年。ISBN 9784583106557 。
- 『サッカー脳を育む』ぴあ、2015年。ISBN 9784835628301 。
関連書籍
- 森沢明夫『永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語』講談社、2009年。ISBN 9784062155595 。
- NHK スポーツ大陸 制作班『NHKスポーツ大陸 遠藤保仁・闘莉王・中村憲剛』金の星社、2010年。ISBN 9784323071923 。
脚注
- ^ a b c d “中村 憲剛”. サッカー日本代表データベース
- ^ 漢字表記から「けんごう」と誤読されることがあるが、正しくは「けんご」である。
- ^ 永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語 (森沢明夫著、講談社)
- ^ 中村:「チームに貢献できた」Goal.com 2011.10.12
- ^ 中村憲剛、本田圭佑とのトップ下並存へ 背番号14のもたらす効果と課題を考えるスポーツナビ 2011.11.13
- ^ 公式ブログ 2007年6月27日
- ^ 志村の来歴に詳しいが志村はGKだった。
- ^ 子育て雑誌がイクメン日本代表憲剛を取材、日刊スポーツ、2010年8月13日発行。
関連項目
- 川崎フロンターレの選手一覧
- 山口隆文 - 都立久留米高校時代のサッカー部監督。
外部リンク
- 川崎フロンターレによる公式プロフィール
- 中村憲剛公式サイト
- 中村憲剛オフィシャルブログ Powered by Ameba
- 中村憲剛 (@kengo19801031) - X(旧Twitter)