三陸海岸
三陸海岸(さんりくかいがん)は、東北地方にある陸奥・陸中・陸前の3つの令制国(三陸)にまたがる海岸のこと。
一般的には、北上山地が太平洋と接する海岸線を指す。すなわち、青森県南東部の鮫角から岩手県沿岸を経て宮城県東部の万石浦まで、総延長600km余りの海岸を言う。海岸中部の岩手県宮古市には本州最東端の魹ヶ崎(北緯39度32分52.7秒 東経142度4分20.4秒)があり、同市を境に北部は海岸段丘が発達し、南部はリアス式海岸となっている。主要産業は、観光および世界三大漁場「三陸沖」などでの漁業。
範囲
「三陸海岸」という言葉が指す範囲にはいくつかある[1][2]。
- A. 尻屋崎~阿武隈川河口 : 陸奥・陸中・陸前の3つの令制国の太平洋側の海岸線の全延長を指す立場。
- B. 鮫角~万石浦 : 北上山地が太平洋と接する海岸線を指す立場。
- C. 鮫角~金華山 : 北上山地が外洋に接する海岸線を指す立場。
Aは、字面の通りに「三陸」を捉えた範囲であり、気象学や気候学の分野で「三陸沖」と言う場合に対応する三陸海岸である[1]。Cは、北上山地東海岸にあたり、日本海溝沿いの地震による津波の直接波の被害地域である[1]。Bは、Cの範囲に宮城県・牡鹿半島の仙台湾側を含めた範囲であり、海岸地形や人文地理学的な共通性を根拠にしている[1]。一般的にはBの範囲が三陸海岸とみなされている[1][2]。
名称
江戸時代には、現在の岩手県釜石市の石塚峠(北緯39度13分20.4秒 東経141度53分23.5秒)を境に、北側が南部藩(八戸藩および盛岡藩)、南側が仙台藩の知行域となっていた[3][4][5]。江戸時代において、当海岸全体を指す名称は不明である。ただし、地域名としては、南部藩領内を「三閉伊通」あるいは「海辺道[6]」と呼んでいたことが知られている。
1869年1月19日(明治元年12月7日)、戊辰戦争において賊軍となった奥羽越列藩同盟諸藩に対する処分が行われ、減封・領地換えによって当海岸は従前のように南部・仙台両藩のみの領内ではなくなった。同日、太政官布告により、出羽国が2つに陸奥国(むつ)が5つに分割され、おおむね両藩の旧知行域には陸奥(りくおう)・陸中(りくちゅう)・陸前(りくぜん)の3ヶ国が設置された[7]。すると、3つの陸の付いた国は「三陸」と総称されるようになり、両藩の旧知行域を指す言葉として用いられるようになった[7]。
1896年(明治29年)6月15日に発生した地震および津波により、当海岸は甚大な被害を受けた(参照)。しかし、当海岸全体を指す言葉が無かったため、この地震・津波の報道では当初様々な呼称が用いられた。やがて「三陸」という言葉が用いられるようになり、当海岸は「三陸海岸」と呼ばれるようになった[7]。
三陸海岸に面する地域は、地理的な位置や産業構造の類似性から、一括して「三陸地方」あるいは、単に「三陸」と呼ばれることも多い[7]。すなわち、「三陸」は陸奥・陸中・陸前の3国全域を指すことよりも、この三陸海岸地域を指すことの方が多い[7]ので、注意が必要である。同様に、旧国名を用いながら旧国の領域より狭い地域を指す例として、房総や両毛などがある。
地理
当海岸は全体として隆起地形であるが、隆起の速度の違いにより、岩手県宮古市を境に南北で異なる様相を呈する。
岩手県宮古市より北では、陸地が大きく隆起し、海岸段丘が発達している[8]。そのため、段丘崖が海に接して海岸線が単調となっており、港に適した場所が少ない。また、段丘崖が波の侵食によって変化に富んだ海蝕崖となっている場所もあり、北山崎や鵜ノ巣断崖に代表されるような景勝地が多い。段丘面は侵食によって既に深い谷が形成されているところも多いが、八戸市周辺などではなだらかな台地状を呈しており、農業・牧畜などが盛んである。
一方、宮古市よりも南では、隆起速度を上回る海面上昇により相対的に沈水した結果、リアス式海岸となっている[8]。そのため、入り組んだ複雑な海岸線と水深の深い入り江が多数みられ、天然の良港となって漁業が盛んである。世界三大漁場「三陸沖」には、この南部の漁港から主に出漁する。台地上のところはほとんどなく、海に面した急峻な谷間にできた沖積平野が陸上の主な生活の場である。江戸時代には、干しアワビ、フカヒレなどの長崎俵物(中国向けの輸出品)の産地となった。
海岸沿いには国道45号、八戸線、三陸鉄道北リアス線・南リアス線、山田線、大船渡線、気仙沼線が通っており、三陸沿岸道路が建設中である。海岸沿いには北山崎、浄土ヶ浜、碁石海岸、金華山など多数の景勝地があり、遊覧船が就航されている所もある。
漁業
沿岸の暖流は、日本海を北流した対馬海流が津軽海峡を通過して八戸辺りまで南流し、日本列島南岸の太平洋を東流した黒潮が気仙沼辺りまで北流するため、両暖流が流れる海域では海水温が高い季節があるが、両者の間の沿岸水域は水温が低い。そのため、沿岸漁業ではやや地域差がある。
沖合いは黒潮と親潮がぶつかり合う良漁場で、世界三大漁場の1つ「三陸沖」として知られる。「三陸沖」はサンマやカツオなどの主漁場となっており、日本各地から「三陸沖」で操業しようと漁船が集まって来ている。このため、日本の特定第3種漁港13港のうち、八戸・気仙沼・石巻・塩釜の4港がこの地域に集中しており、漁船に乗る外国人も含め、沿岸の水揚げ港では日本各地の方言や外国語が飛び交っている。特定第3種漁港4港の分布は、三陸海岸北端に八戸、三陸海岸中南部に気仙沼、三陸海岸南部の・牡鹿半島の仙台湾側に石巻、仙台湾(松島湾)に塩釜となっている。
沿岸漁業や養殖漁業では、ウニ、ワカメ(全国収穫量の約7割を占める)、カキ、ホタテ、ホヤなどが主要産物である。いくつかの漁港は、現在もマグロなどの遠洋漁業の基地として発達しており、捕鯨基地も存在する。なお、この海域は、宮城県塩竈市にある第二管区海上保安本部の管轄となっている。
観光
岩手県部分は主に陸中海岸国立公園に指定され、宮城県部分は南三陸金華山国定公園に指定されていた。なお、その後三陸復興国立公園として青森県部分から宮城県部分まで包括的に指定されている。南北に続く三陸海岸やその西側の北上山地は、元々は海底にあって、隆起・沈降・侵食などで造られた。そのため、元々海底にあった証拠でもある鍾乳洞や大理石など石灰岩地形が随所に見られる。景勝地のほとんどは、奇怪な石灰岩地形の白さと植物の緑、そして、コバルトブルーの澄んだ海と青い空という組み合わせである。
また、所々にある砂浜の内、いくつかは鳴き砂の浜辺となっている。鳴き砂は汚れると音がしなくなるので、浜辺の清掃のみならず、海水が汚れないよう努力され、住民から大事にされている。そのため、普通の海水浴場とは利用法が異なるので注意が必要である。
津波
三陸海岸は古くから日本海溝付近を震源とする地震などで、これまでに津波による被害をしばしば受けている。このため、多くの漁港や沿岸の集落には高い防波堤や防潮扉などが設けられており、これまで多くの津波対策が施されてきた。
1960年(昭和35年)のチリ地震の際には、地球の反対側にあるチリの地震によって発生した津波が約1日後に到達し、142名が亡くなった。この地震以外にも1700年のカスケード地震、1868年のアリカ地震、1877年(明治10年)のイキケ地震、2010年(平成22年)のマウレ地震などアメリカ大陸で大きな遠地地震がある度太平洋を越え、浸水や養殖の被害が起きている。
以下の地震でも大津波によって、死者・行方不明者が多数となった。
地震・大津波
- 慶長三陸地震(1611年11月2日発生)
- 延宝三陸地震(1677年4月13日発生)
- 宝暦三陸地震(1763年1月29日発生)
- 宮城県沖地震(1793年2月17日発生)
- 安政三陸地震(1856年8月23日発生)
- 明治三陸地震(1896年(明治29年)6月15日発生)
- 昭和三陸地震(1933年(昭和8年)3月3日発生)[9]
- チリ地震(1960年5月24日発生、地震は5月22日発生)
- 東北地方太平洋沖地震(2011年(平成23年)3月11日発生)
三陸海岸に面する自治体
- 北から記載。
- 現在の自治体に該当する地域の国勢調査人口の変遷、および、最新の推計人口も付記する。推計人口は、青森県が2024年3月1日現在、岩手県が2024年3月1日現在、宮城県が2024年3月1日現在、秋田県が2024年3月1日現在。
- 気仙郡と桃生郡も三陸海岸に面していたが、市町村合併により気仙郡は内陸の住田町のみとなり、桃生郡の町村は石巻市に編入されて消滅している。
県 | 市町村 | 位置 | 推計人口 (人) |
2010年 (人) |
2000年 (人) |
1990年 (人) |
1980年 (人) |
1970年 (人) |
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青森県 | 1市1町 小計 | 227,907 | 252,175 | 264,226 | 260,942 | 255,816 | 226,234 | |
青森県 | 八戸市 | 北緯40度30分44.2秒 東経141度29分18.2秒 | 215,002 | 237,473 | 248,608 | 247,983 | 245,617 | 216,955 |
三戸郡階上町 | 北緯40度27分8.9秒 東経141度37分15秒 | 12,905 | 14,702 | 15,618 | 12,959 | 10,199 | 9,279 | |
岩手県 | 5市4町3村 小計 | 209,963 | 274,114 | 309,832 | 336,419 | 370,842 | 381,470 | |
岩手県 | 九戸郡洋野町 | 北緯40度17分3.3秒 東経141度37分29.4秒 | 13,974 | 17,910 | 20,465 | 22,802 | 24,403 | 24,278 |
久慈市 | 北緯40度11分25.8秒 東経141度46分32.1秒 | 30,629 | 36,875 | 40,178 | 42,758 | 43,683 | 43,044 | |
九戸郡野田村 | 北緯40度6分36.9秒 東経141度49分3.6秒 | 3,686 | 4,632 | 5,195 | 5,285 | 5,304 | 5,863 | |
下閉伊郡普代村 | 北緯40度0分18.6秒 東経141度53分9.2秒 | 2,257 | 3,088 | 3,583 | 3,909 | 4,023 | 4,162 | |
下閉伊郡田野畑村 | 北緯39度55分49.6秒 東経141度53分19.9秒 | 2,807 | 3,843 | 4,529 | 5,019 | 5,225 | 5,412 | |
下閉伊郡岩泉町 | 北緯39度50分35.6秒 東経141度47分47.2秒 | 7,813 | 10,804 | 12,845 | 15,164 | 18,236 | 22,177 | |
宮古市 | 北緯39度38分29.1秒 東経141度57分25.7秒 | 46,247 | 59,442 | 66,986 | 72,538 | 78,617 | 79,805 | |
下閉伊郡山田町 | 北緯39度28分3.5秒 東経141度56分56.2秒 | 13,388 | 18,625 | 21,214 | 22,925 | 25,321 | 24,193 | |
上閉伊郡大槌町 | 北緯39度21分35.5秒 東経141度54分24秒 | 10,197 | 15,277 | 17,480 | 19,074 | 21,292 | 20,489 | |
釜石市 | 北緯39度16分32.9秒 東経141度53分8.4秒 | 29,681 | 39,578 | 46,521 | 52,484 | 65,250 | 72,923 | |
大船渡市 | 北緯39度4分54.8秒 東経141度42分30.7秒 | 32,166 | 40,738 | 45,160 | 47,219 | 50,132 | 48,816 | |
陸前高田市 | 北緯39度0分54.4秒 東経141度37分46.1秒 | 17,118 | 23,302 | 25,676 | 27,242 | 29,356 | 30,308 | |
宮城県 | 2市2町 小計 | 207,711 | 261,680 | 288,846 | 306,482 | 316,688 | 306,135 | |
宮城県 | 気仙沼市 | 北緯38度54分29秒 東経141度34分11.9秒 | 56,969 | 73,494 | 82,394 | 88,152 | 92,246 | 87,914 |
本吉郡南三陸町 | 北緯38度40分38.4秒 東経141度26分46.8秒 | 11,477 | 17,431 | 19,860 | 21,401 | 22,243 | 22,943 | |
牡鹿郡女川町 | 北緯38度26分43.6秒 東経141度26分39.8秒 | 6,063 | 10,051 | 11,814 | 14,018 | 16,105 | 17,681 | |
石巻市 | 北緯38度26分3.5秒 東経141度18分9.6秒 | 133,202 | 160,704 | 174,778 | 182,911 | 186,094 | 177,597 | |
三陸海岸 | 8市7町3村 合計 | 645,581 | 787,969 | 862,904 | 903,843 | 943,346 | 913,839 | |
三陸全体 | 35市54町14村 合計 | 4,495,572 | 4,941,799 | 5,141,642 | 5,036,734 | 4,926,229 | 4,530,447 | |
三陸海岸/三陸全体 | 14.4% | 15.9% | 16.8% | 17.9% | 19.1% | 20.2% |
広域連携
以下は県境を越えた広域連携の例。
- 三陸沿岸都市会議
- 三陸地域地方都市建設協議会
- 1952年(昭和27年)設立。岩手県大船渡市・陸前高田市・住田町、宮城県気仙沼市の首長および議会の議長で構成される。
脚注
- ^ a b c d e 地名「三陸リアス海岸」に関する地理学的,社会学的問題 -地名「三陸」をめぐる社会科教育論(第3報)- (PDF) (岩手大学教育学部 1997年6月30日)
- ^ a b 平成22年度 国立・国定公園拡張等検討業務(種差海岸)報告書 (PDF) (環境省)
- ^ 郷土資料よもやま話1 藩境印杭(釜石市)… 南部藩と仙台藩の藩境の地図あり
- ^ 岩手県の誕生 (PDF) (岩手県立博物館)… 南部藩と仙台藩の知行域の地図あり
- ^ 歴史の道~石塚峠越え~(釜石市)
- ^ 三陸浜街道(岩手県「いわての文化情報大事典」)
- ^ a b c d e 地名「三陸地方」の起源に関する地理学的ならびに社会学的問題 -地名「三陸」をめぐる社会科教育論(第1報)- (PDF) (岩手大学教育学部 1994年6月30日)
- ^ a b 学芸員室より 岩手の大地Q and A (PDF) (岩手県立博物館だより112 2007年3月)
- ^ 吉村昭 『三陸海岸大津波』(文春文庫、2004年 / 中公文庫でも刊)に明治、昭和2つの地震・津波の様相が書かれている