三春馬車鉄道

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三春馬車鉄道
略時刻表(明治39年)
略時刻表(明治39年)
略時刻表(明治39年)
路線総延長13.2 km
軌間762 mm
停車場・施設・接続路線(廃止当時)
STR
官設鉄道東北本線
0.0 郡山
ABZgl xKRZ STRq
官設鉄道:岩越線
ABZgl xKRZ STRq
東北本線
STRl xKRZ STR+r
exDST STR
? 小泉交換所
exSTR HST
舞木
exDST STR
? 山田交換所
STR+l xKRZ STRr
STR exKBHFe
13.2 三春
HST
三春
STR
官設鉄道:平郡西線

三春馬車鉄道(みはるばしゃてつどう)は、かつて福島県郡山市三春町を結んでいた馬車鉄道路線である。

路線データ[編集]

  • 路線距離:郡山 - 三春間13.2km
  • 軌間:762mm

概要[編集]

1887年(明治20年)7月日本鉄道により郡山まで鉄道が開通すると三春町では郡山 - 三春の物資輸送の手段として馬車鉄道の敷設が考えられた。そして1891年(明治24年)5月26日三春馬車鉄道株式会社[1]発起人川又恒三郎ほか5名に対し福島県田村郡三春町より安積郡郡山町に至る馬車鉄道を敷設し、運輸業の営業をすることの特許が下付され12月に開通した。所要時間は三春 - 郡山間が80分、郡山 - 三春間100分を要した。明治27年度の事業報告書によれば営業好況で貨車、馬匹を増加したとしており利益を上げていた。また明治40年代には輸送人員も5万人台を突破していた。貨物をみると三春町へ移入したものは米、雑穀、鮮干魚の順で多く、移出したものは木材、石材、煙草等であった。 1914年大正3年)7月に平郡西線が郡山-三春間が開通することになり馬車鉄道は鉄道開通当日より運転回数を増加し運賃30銭から21銭に値下げするなど対抗措置をとったが利用者が激減し廃止された。不要になった車両、資材はちょうど開業準備をしていた県内の磐城海岸軌道に売却した[2]。そして社長の内藤傳之助[3]は磐城海岸軌道の取締役に就任している[4]

現在、郡山市の会社役員、歴史研究家の橋本捨五郎が復元した客車が郡山市歴史資料館に、また、同氏が寄贈した三春馬車鉄道会社の碑が三春町内に残る。

沿革[編集]

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) 客車 貨車 馬匹
1908 53,146 3,861 16,532 14,770 1,762 605 9 20 26
1909 52,853 5,840 16,315 14,163 2,152 610 9 20 25
1910 53,345 4,765 16,867 14,910 1,957 利子251 9 20
1911 51,098 4,255 21,162 23,431 ▲ 2,269 利子231 6 15
1912 70,965 4,370 23,607 19,776 3,831 利子159 10 15
1913 67,274 3,627 22,771 20,391 2,380 利子229 11 15
1914 21,855 1,880 6,766 7,912 ▲ 1,146 利子110
  • 鉄道院年報各年度版

駅一覧[編集]

郡山 - 小泉交換所 - 山田交換所 - 三春

客が手をあげると何処でも止まり、乗り降りができたという[9]

接続路線[編集]

路線名等は廃止時点

脚注および参考文献[編集]

  1. ^ 『日本全国諸会社役員録. 明治29年』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ おやけこういち『小名浜鉄道往来記』1994年、26頁
  3. ^ 『人事興信録. 4版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 『日本全国諸会社役員録. 第24回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 『鉄道院年報. 明治42年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 『土木局統計年報. 第21回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』2 東北、25頁
  8. ^ 1914年10月15日特許失効『鉄道院年報大正3年度』国立国会図書館デジタルコレクション
  9. ^ 橋本捨五郎「三春馬車鉄道の思い出話」『鉄道ピクトリアル』No.412、95頁

外部リンク[編集]