ワールド女子プロレス・ディアナ
ワールド女子プロレス・ディアナ(ワールドじょしプロレス・ディアナ、WORLD WOMAN PRO-WRESTLING☆DIANA)は、日本の女子プロレス団体。運営はサン プロレス事業部。
概要
2010年にNEO女子プロレスを退団した井上京子が新団体旗揚げを目指し、ワールド女子プロレス・ディアナ株式会社として会社設立。NEO解散後に本格的に活動開始。井上は全日本女子プロレス、ネオ・レディース、NEO女子プロレスに続き4団体目で初めて社長に就任した。
旗揚げには井上の全女での1年後輩に当たる伊藤薫を始め、伊藤が主宰し同じく同年限りで解散した伊藤薫プロレス教室に所属した井上と同郷の佐藤綾子、NEOに最後まで所属した勇気彩と野崎渚、JWPを退団した青野敬子が合流。練習生も2名受け入れ、海外でのスカウトも行いアメリカ人とも契約している。
井上の意向により自主興行ではフリーランスの選手をリングに上げない方針を示している(他団体選手は可)。ただし、入団の意思があればこの限りでない。2011年10月9日の大阪大会には伊藤の23周年記念興行ということもあり、伊藤の師匠に当たるジャガー横田が参戦し、27日に入団が発表された[1]。また、地方興行などにおける外部からの提供試合に限りフリーの参戦もある。2012年5月にREINA女子プロレス退団した堀田祐美子が同団体所属時より続く伊藤との抗争決着を希望していたが、井上が方針を貫いたため伊藤の反対を押し切って入団を認めている[2]。
旗揚げ戦は当初2011年3月21日を予定していたが、3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生で会場となるディファ有明がダメージを受けた他、東京電力・福島第一原子力発電所での事故、交通機関の混乱などの影響で中止。4月17日に延期となった。また、旗揚げシリーズは「復興チャリティー」として開かれる。
旗揚げ戦では所属選手の他に、吉田万里子、里村明衣子、高橋奈苗(当初はアジャ・コングを予定していたが、延期に伴うスケジュールの都合により変更)と言った井上と縁の深い他団体選手も参戦し、752人とまずまずの動員を見せた。当初はリング常設会場「駒沢・ワールドアリーナ」を新設し、「アリーナマッチ」と銘打って同会場で定期興行を開き、大阪や井上の地元・山形など地方巡業を行い、ビッグマッチを川崎市体育館で行っていた。また、大会の模様はDMM.comで配信されていた(旗揚げ戦は生中継を予定していたが、中止)。
しかし、選手が相次いで退団し、練習生も離脱、さらに駒沢・ワールドアリーナも7月に閉鎖され、練習拠点を失ってしまう。加えて観客動員数もNEO時代は常に1,000人超だった川崎市体育館大会で500人を切るなど苦戦を強いられた。その後は所属選手の練習はZERO1道場やシュートボクシングのジムなどを転々としていた。また、10月以降は興行形態を見直し、北沢タウンホールで原則月1で興行を開き、地方開催も大幅に削減された。
2012年より運営会社が変わり、川崎市川崎区に本社を置く飲食店・雑貨店を経営しNOAHやZERO1などプロレス興行プロモートも行っている株式会社サンのプロレス事業部が運営に当たっている。団体事務所は同区殿町に置き、1階に道場「Dear'S Ring Kawasaki(ディアーズ・リング・カワサキ)」2階が事務所となっている。また、川崎市に密着した活動を行うとともに、2013年1月からは北沢とラゾーナ川崎プラザソルを交互に使用し、年1回川崎市体育館大会を開催する。これが功を奏してかラゾーナ大会はほとんどが満員となり、回によっては札止めが出ることもある。一方で動員数が芳しくない北沢は同年4月を最後に撤退し、現在はラゾーナでの定期興行を月1、2回開催している。なお、川崎市体育館は2014年限りで建て替えによる閉館のため、同年10月に後楽園ホール進出し、翌2015年からはビッグマッチ会場として使用する予定。
歴史
2010年
- 5月5日 - 井上京子がNEO女子プロレス退団
- 7月29日 - 井上を社長として会社設立
- 11月20日・21日 - カンボジア・プノンペンにて井上、伊藤薫、蹴射斗(当時)、佐藤綾子の4人で試合。
- 12月26日 - 伊藤道場解散
- 12月31日 - NEO女子プロレス解散
2011年
- 1月28日 - 旗揚げ発表
- 2月10日 - 藤村沙里(Sareee)がプロテスト受験し合格
- 3月14日 - 東日本震災並びに福島第一原発事故の影響で、3月21日予定の旗揚げ戦の延期を決定
- 4月17日 - ディファ有明で旗揚げ(中止になった3月21日の代替興行)
- 5月4日[3] - 初回アリーナマッチ開催
- 5月10日 - 野崎渚を懲戒解雇処分
- 5月14日 - 川崎市体育館で旗揚げ最終戦
- 6月5日 - 坂井澄江、ジェニー・ローズ、アニー・ソーシャルが入団。
- 6月9日 - 当日付けで籠尾訓一取締役副社長が辞任[4]
- 7月13日 - 佐藤綾子が産休
- 8月19日 - 勇気彩が退団
- 9月4日 - 元全女のHikaruがプロデュースするイベント「HappyHour!!」旗揚げ。選手面で協力。
- 10月4日 - ピヨタマスク ルチャ・ポジートがデビュー。
- 10月9日 - 大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナにて伊藤薫デビュー23周年記念大会を開催。渡辺智子とのいとなべタッグが5年ぶりに一日限りの復活。
- 10月10日 - 大阪ミナミ ムーブ・オン アリーナにて井上京子デビュー24周年記念大会を開催。1年2ヶ月ぶりに井上貴子とのW井上対決が実現。
- 10月27日 - センダイガールズ主催・女子プロレス団体対抗Flashトーナメントに出場。ジャガー横田が入団。
- 11月12日 - 高円寺フェスに試合提供。
2012年
- 1月8日 - ブル中野引退興行に3選手が出場。ただし、伊藤薫は出場決定時より20kgの減量が条件であったため、事前にFIGHTING TV サムライの番組内で公開計量が行われ、パスして最終的に出場が認められた。
- 4月1日 - 運営母体がワールド女子プロレス・ディアナ株式会社から株式会社サンのプロレス事業部に移行される。
- 4月8日 - 石岡市石岡運動公園体育館で開かれた「石岡女子プロレスフェスティバル」に5選手全員参戦。
- 4月30日 - 旗揚げ1周年記念大会を川崎市体育館で開催。
- 5月5日 - Sareee凱旋大会として板橋グリーンホール大会を初開催。
- 6月3日 - ジャガー横田デビュー35周年記念大会を品川グランドホールで開催。堀田祐美子が入団。
- 6月27日 - 沙耶(KURO)が入団。
- 8月5日 - ラゾーナ川崎大会にて下田美馬25周年記念セレモニー。
- 8月26日 - 新道場「Dear'S Ring Kawasaki」オープン記念マッチ。[5]
- 9月23日 - 伊藤薫凱旋興行として京都KBSホール大会を開催。
- 10月8日 - ベルサール六本木にて井上京子25周年記念興行を開催。
- 11月30日 - KUROの任意引退を発表。
2013年
- 1月10日と28日 - 北沢タウンホールにて初代タッグチャンピオン決定トーナメント開催。
- 2月27日 - 初代シングルチャンピオン決定トーナメント開催。
- 4月29日 - 旗揚げ2周年記念大会「DANGER ZONE」を川崎市体育館で開催(観衆1,400人)。
- 5月3日 - Sareee凱旋興行を板橋グリーンホールで開催し、同年8月に引退する栗原あゆみと一騎打ち。
- 5月22日 - ラゾーナ川崎大会でJ・Jが来日初戦。一方、ジェニー・ローズこれを最後に一時帰国。
- 6月2日 - ジャガー横田デビュー36周年記念大会を新宿FACEで開催。
- 7月14日昼 - 約1年9ヶ月ぶりの大阪大会を若獅子会館で開催(夜はアパッチプロレス軍)。
- 8月23日 - 井上京子・ピヨタマスク凱旋大会を南陽市民体育館で開催。
- 8月24日 - 会津若松大会を大江戸温泉物語 あいづふれあい体育館で開催。
- 10月1日 - 今井良晴追悼興行(後楽園)に参加[6]。
- 10月27日 - 伊藤薫25周年記念大会を新宿FACEで開催。
- 11月17日 - 道頓堀アリーナ大会を開催。
- 12月15日 - 新宿FACE大会を開催。
2014年
- 2月9日 - 青野敬子20周年記念大会をラゾーナ川崎プラザソルで開催。Xとしてアレクサンダー大塚やコマンド・ボリショイ、Xではないが米山香織や春山香代子などと前所属JWPの選手も数名参戦した。
- 3月9日 - 新宿FACE大会を開催。
- 3月16日 - 新人オーディションを開催し、2名が合格。
- 4月29日 - 3周年記念大会を川崎市体育館で開催。
- 6月28日 - ジャガー横田デビュー37周年記念新宿FACE大会を開催。
- 9月7日 - 道場マッチで公開プロテストを実施、田中盟子が合格。
- 10月5日 - 初の後楽園ホール大会を開催(観衆1,100人[7])。ダブルタイトルマッチと田中盟子デビュー戦が組まれた。また新人オーディションで合格した舩生ゆりやがケガでプロレスデビューができなくなったためこの日からはリングアナウンサー兼スタッフとして活動をする。
- 12月23日 - 川崎市体育館FINAL「川崎伝説」を開催(観衆1,980人)。井上京子 vs 堀田祐美子の一騎打ちは大仁田厚からの承諾を得て女子では17年ぶりとなる電流爆破デスマッチを決行[7]。渡辺智子が退団。
2015年
タイトル
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
WWWD世界シングル王座 | 伊藤薫 | 第4代 | 2 | |
WWWD世界タッグ王座 | 空位 | 第6代 |
所属選手、主要参戦選手
所属選手
定期参戦選手
- 豊田真奈美(フリー)
- ダンプ松本(えりオフィス)
- 下田美馬(CMLL)
- 井上貴子(LLPW-X)
- 藪下めぐみ(FIGHT CHIX)
- 唯我(バトスカフェ)
- ライディーン鋼(JWP女子プロレス)
- 小林香萌(プロレスリングWAVE、ASUKA PROJECT兼任所属)
- 林小雪(信州ガールズプロレスリング)
- 日向小陽(フリー)
限定参戦選手
ディアナ・ワールド
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
役員
代表取締役社長
取締役兼サン プロレス事業部代表
過去の所属選手
フリー、他団体参戦選手
- 高橋奈苗
- バンビ
- チェリー
- 石橋葵
- 松本都
- 豊田真奈美
- 栗原あゆみ
- 倉垣翼
- 阿部幸江
- KAZUKI
- Leon
- コマンド・ボリショイ
- 米山香織
- 勝愛実
- ラビット美兎
- ライディーン鋼
- 藤ヶ崎矢子
- 神取忍
- 井上貴子
- アイガー
- GAMI
- 植松寿絵
- 桜花由美
- 春日萌花
- 里村明衣子
- 水波綾
- 仙台幸子
- DASH・チサコ
- 悲恋
- 花月
- 新田猫子
- 内藤メアリ
- ダイナマイト・関西
- 小松奈央
- 吉田万里子
- 松本浩代
- 朱里
- 真琴
来日外国人選手
施設
駒沢・ワールドアリーナ
旗揚げ当初のディアナの道場兼リング常設会場。「本物をやるには道場が必要」との考えから井上自らが借金して設置した[10]。通常は選手の練習に使用されるが、旗揚げ後は客席を150席程度設置して月に1、2回「アリーナマッチ」と称して定期興行を開く予定であった。ただし、当初設置されたリングは天井が低いため、トップロープ及びコーナーポストからの攻撃はできなかったが、2011年7月3日にお披露目された新リングは高さを50cmに抑え、トップロープからの攻撃が容易になった。
また、地方巡業などで空いている日には他団体や他格闘技、ライブなど各種イベントへの貸し出しも予定していた。
2011年7月21日、道場移転を発表。以降予定されていたアリーナマッチ及び同アリーナでのイベントは全て中止。背景にはアリーナが井上と6月に辞任した籠尾取締役の共同所有であったことが大きいと見られる(アリーナ公式のトップページには連絡先として「籠尾・井上」と記されていた)。
新道場及び新事務局オープンは9月末日と発表されていたが[11]、新たな情報がないまま予定期日を経過している。その後、中止となったアリーナマッチに代わり同区内に所在する北沢タウンホールを主会場として12月より月1回の割合で行っている。
ディアナ撤退後もアリーナは残され、興行開催の話も出ていたが、実現せぬまま閉鎖に至っている。
Dear'S Ring Kawasaki
駒沢・ワールドアリーナ閉鎖から1年ぶりにオープンにした新道場。
2012年8月26日にオープン記念道場マッチが開かれ、10月以降は月1回の割合で道場マッチを開いている。
脚注
- ^ ジャガー横田ディアナ入団!
- ^ “京子が堀田の入団を発表/ディアナ記者会見”. RINGSTARS. (2012年6月3日)
- ^ 当初は4月10日を予定していたが、こちらも震災の為延期。
- ^ 訂正発表とお詫び9.28 最新情報・ニュース 2011年9月28日
- ^ 8月26日道場マッチ
- ^ 10/1(火)今井良晴リングアナ 追悼興行のお知らせ 大日本プロレス 2013年8月26日
- ^ a b “10/5(日)後楽園大会 試合結果”. 2014年10月6日閲覧。
- ^ “【結果】ディアナ1・4道場”. RINGSTARS. (2015年1月5日)
- ^ 当初はプロレスラーとしてのデビュー予定だったがけがのため2014年10月よりリングアナウンサー兼スタッフとして活動をする。
- ^ 1月28日更新ニュース - RINGSTARS 2011年1月28日
- ^ 関係者各位及びファンの皆様へ
外部リンク
- ワールド女子プロレス・ディアナ公式サイト
- ワールド女子プロレス・ディアナ (@w_w_w_d) - X(旧Twitter)
- ワールド女子プロレス・ディアナ (Prowrestlingdiana) - Facebook
- サン公式サイト