ワルテル・マッツァーリ

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ワルテル・マッツァーリ
ワルテル・マッツァーリ (2012年)
名前
カタカナ ワルテル・マッツァーリ
ラテン文字 Walter Mazzarri
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1961-10-01) 1961年10月1日(62歳)
出身地 トスカーナ州の旗 トスカーナ州リヴォルノ県
サン・ヴィンチェンツォ
身長 180cm
選手情報
ポジション MF
ユース
1976-1979 イタリアの旗 フォッローニカイタリア語版
1979-1981 イタリアの旗 フィオレンティーナ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1981-1982 イタリアの旗 [デルフィーノ・ペスカーラ1936 26 (4)
1982 イタリアの旗 カリアリ 4 (0)
1982-1983 イタリアの旗 レッジャーナ 12 (1)
1983 イタリアの旗 フィオレンティーナ 0 (0)
1983-1988 イタリアの旗 エンポリ 91 (4)
1988-1989 イタリアの旗 リカータイタリア語版 8 (0)
1989-1990 イタリアの旗 モデナ 21 (0)
1990-1991 イタリアの旗 ノーライタリア語版 30 (3)
1991-1992 イタリアの旗 ヴィアレッジョ 11 (0)
1992-1994 イタリアの旗 アチレアーレイタリア語版 32 (1)
1994-1995 イタリアの旗 トレス 9 (0)
1981-1995 通算 244 (13)
監督歴
2001-2002 イタリアの旗 アチレアーレ
2002-2003 イタリアの旗 ピストイエーゼ
2003-2004 イタリアの旗 リヴォルノ
2004-2007 イタリアの旗 レッジーナ
2007-2009 イタリアの旗 サンプドリア
2009-2013 イタリアの旗 ナポリ
2013-2014 イタリアの旗 インテル
1. 国内リーグ戦に限る。2014年11月16日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ワルテル・マッツァーリWalter Mazzarri1961年10月1日- )はイタリアサン・ヴィンチェンツォ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF

来歴

現役時代

ACFフィオレンティーナの下部組織出身で現役時代はエンポリFCなどのチームを転々としながら主に二部以下のカテゴリーでプレーした。

指導者時代

初期

現役引退後、SSCナポリなどでコーチ経験を積む。2003-04シーズンに、セリエBに所属していたリヴォルノセリエAに昇格させる。

レッジーナ

2004-05シーズンからレッジーナの監督に就任した。レッジーナは毎年のように残留争いを繰り広げるプロヴィンチャであったが、マッツァーリの適材適所の采配が光り、3シーズン連続でセリエA残留に成功した。特にマッツァーリの評価を高めたのは2006-07シーズンのレッジーナの奇跡的な残留である。同シーズン、カルチョ・スキャンダルへの関与が判明したレッジーナは、マイナス11ポイントというペナルティを課せられた。貧弱な戦力で残留争いを繰り広げていたレッジーナからすれば、これは致命的なペナルティであり、降格は不可避であるかに思われた。しかし、シーズン前の予想を裏切り、レッジーナはニコラ・アモルーゾロランド・ビアンキの2トップがゴールを量産。ペナルティがなければUEFAカップ出場権も夢ではない勝ち点をたたき出し、見事に残留を決めた。ビアンキはそれまで大器とされながら停滞しており、マッツァーリの指導の下で才能を開花させたのである。

サンプドリア

2007-08シーズン、実績を買われたマッツァーリはサンプドリアの監督に就任する。当初はチーム構築に手間取ったが、我慢強く起用していたアントニオ・カッサーノが調子を取り戻すにつれてチームも勝ち進み、6位でフィニッシュしてUEFAカップ出場を決めた。カッサーノの他にも、MFのパオロ・サンマルコ、DFのクリスティアン・マッジョウーゴ・カンパニャーロら、期待されながらくすぶっていた選手たちが才能を開花させている。カッサーノはEURO2008に臨むイタリア代表に選出されるほどであった。2008-09シーズン、チームはUEFAカップとリーグ戦との両立で疲弊して13位に終わり、コッパ・イタリアも準優勝となりタイトル獲得はならず、シーズン終了後に退団した。

ナポリ

2009年10月5日ロベルト・ドナドーニの後任としてナポリ監督に就任。ユヴェントス戦での逆転勝利など采配が光っている[1]エディンソン・カバーニマレク・ハムシクエセキエル・ラベッシの3人からなる「トリデンテ」の活躍もあって、2010-11シーズンは3位で久々のチャンピオンズリーグの出場権を獲得。2011-12シーズンは5位に終わったが、チャンピオンズリーグではバイエルン・ミュンヘンマンチェスター・シティビジャレアルと同じ組にもかかわらず突破、そして決勝トーナメント一回戦では優勝したチェルシーを敗退の一歩手前まで追い込んだ。コッパ・イタリアでは決勝まで勝ち進みユヴェントスと対戦。カバーニとハムシクのゴールにより2-0で勝利し、クラブにとって1986-87シーズン以来4回目となる優勝を果たした。2012-13シーズンは「トリデンテ」の一角であるラベッシがパリ・サンジェルマンに移籍したが、リーグ戦はユヴェントスに次ぐ2位と健闘した。シーズン終了後、退団を発表。

インテル

2013年5月24日、アンドレア・ストラマッチョーニ監督の後任としてインテル監督に就任。リーグ9位に終わったクラブを引き継いだ2013-14シーズンはリーグ5位に押し上げ、ヨーロッパリーグのプレーオフ出場権を獲得した。2014年7月2日、クラブとの契約延長が発表された[2]。2014-15シーズンはリーグ第11節終了時点で9位に低迷し、ミラノダービーを控えた2014年11月14日に解任された[3]

チーム造りの特徴

  • 戦術としては3バック採用が多く、守備に人数を割きつつ、サイドからの素早い展開を実践している。レッジーナ時代の2004-05シーズンには中村俊輔も指導しており、カッサーノを始めテクニシャンを重用している。

選手歴

指導者歴

獲得タイトル

指導者

イタリアの旗 ナポリ

脚注

  1. ^ livedoorスポーツ(2009-11-1) 金星のマッツァーリ 「ダトロ投入が決め手」
  2. ^ インテル、マッツァーリと契約延長で合意 Goal.com 2014年7月2日付
  3. ^ インテル、マッツァーリ解任を正式発表 Goal.com 2014年11月14日付