ワシーリー・サフォーノフ

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ワシーリー イリィチ サフォーノフ
基本情報
生誕 (1852-02-06) 1852年2月6日
出身地 ロシア帝国の旗 ロシア帝国
死没 (1918-02-27) 1918年2月27日(66歳没)
学歴 ペテルブルク音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト指揮者音楽教師作曲家
担当楽器 ピアノ

ワシーリー・イリィチ・サフォーノフVasily Ilyich Safonov (Васи́лий Ильи́ч Сафо́нов), 1852年2月6日 - 1918年2月27日)はロシアピアニスト指揮者音楽教師作曲家

略歴[編集]

カフカス地方でコサックの家系のロシア人将校の家庭に生まれる。サンクトペテルブルクで教育を受け、法学学士号を取得するかたわら、1881年よりペテルブルク音楽院に入学、1885年に大金メダルを得てピアノ科を修了した。テオドール・レシェティツキザレンバにも師事する。

作曲家としては特に成功しなかったが、練達の音楽教師として成功し、1889年にはモスクワ音楽院院長に就任した。ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長も勤めた。ピアノの門弟に、アレクサンドル・スクリャービンヨゼフ・レヴィーンロジーナ・ベッシーニコライ・メトネルらがいる。スクリャービン作品に要求される精妙なペダル操作は、サフォーノフの影響にあると言われる。ラフマニノフとは折り合いが悪かった。

教育界から退いた後、指揮者として有名になり、ヨーロッパのほとんどすべての主要なオーケストラに客演した。決して指揮棒を使おうとなかったために、当時の聴衆は狐につままれたような気分になったといわれる。

ワシーリー・サフォーノフとモスクワ音楽院の彼の生徒たち(左から右に): ロジーナ・ベッシーアレクサンドル・ゲディケエレーナ・ベクマン=シチェルビナ、オリンピアーダ・ダルダショワ、アグライダ・フリードマン

メディア[編集]

  • 彼の肉声を聴くことができる。ジュリアス・ブロック(1854~1934)という商人による大量の録音のうちの1つ。エジソンの蓄音器へ1890年1月録音。15秒より。以下は訳。
    アントン・ルビンシテイン: What a wonderful thing. (素晴らしい機械だ)
    ジュリアス・ブロック: Finally. (やっと入手できた)
    エリザベータ・ラフローフスカヤ: A disgusting...how he dares slyly to name me. (気分悪い。私の名前をこっそり口にしたりして)
    ワシーリー・サフォーノフ : (Sings).(歌う)
    チャイコフスキー: This trill could be better.(トリルはもっと上手に)
    ラフローフスカヤ: (Sings). (歌う)
    チャイコフスキー: Block is good, but Edison is even better.(ブロックもえらいが、エジソンはもっとえらい)
    ラフローフスカヤ: (Sings) A-o, a-o. (歌う)
    サフォーノフ: (In German) Peter Jurgenson in Moskau.(ドイツ語で「モスクワのピョートル・ユルゲンソンです」)
    チャイコフスキー: Who just spoke? It seems to have been Safonow. (Whistles) (いまの誰? サフォーノフだろう)(口笛)

  • うまく聞けない場合は、サウンド再生のヒントをご覧ください。

主な客演先[編集]

ポスト[編集]