ローマ軍団一覧

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以下に記載されるローマ軍団は、共和政ないし帝政期を通じて編成された軍団である。軍団の名前をローマ数字で表し、それに通称(コグノーメン、「家族名」と同じラテン語)と、動物や伝説上の半神などによる紋章が附随するのが通常であった。

レギオーに帰属を求める習慣が確立されたのはガイウス・マリウスの軍制改革を経た共和政後期からであり、それ以前の王政時代や共和制初期・中期にはあまり見られなかった。よって共和政期の軍団の多くはマリウスの甥であるガイウス・ユリウス・カエサルやその配下によるものが占めている。

共和政末期の軍団[編集]

帝政前期・中期の軍団[編集]

第1軍団(Legio I[編集]

第2軍団(Legio II[編集]

第3軍団(Legio III[編集]

第4軍団(Legio IV[編集]

第4軍団フラウィア・フェリクス70年 - 400年以前)として再編

第5軍団(Legio V[編集]

第6軍団(Legio VI[編集]

ディオクレティアヌスの改革以降の軍団[編集]

変革内容[編集]

ディオクレティアヌスはローマ帝国を4分割にして、大幅な軍制改革を行った。それまで一体であった兵力を国境警備軍と精鋭中央軍とに分けた。このため防衛の戦術は、国境警備が敵を一時食い止め、その間にローマ皇帝ないし高級将校(マギステル・ミリトゥムなど)が指揮する精鋭部隊が現地に急行、敵を邀撃する形に変わった。各軍団は以下の4種類に区分される。

ローマ皇帝の新鋭部隊。従来の親衛隊を解散して新たに創設した皇帝の護衛部隊。
詳細は不明。皇宮の警護部隊かと思われる。「パラティネ・コミタテンセス」など、「パラティネ・~」と続く名称も確認されるため、精鋭部隊とも見る説もある。
野戦部隊。新しく創設された軍団もあったが、多くは従来の軍団がそのまま継承した。
準野戦部隊。従来の軍団から存続しているものもあった。

軍団[編集]

  • 第1軍団(Legio I
    • 第1軍団アルメニカ
    • 第1軍団フラウィア・コンスタンティア
    • 第1軍団フラウィア・ガッリカナ・コンスタンティア
    • 第1軍団フラウィア・マルティス
    • 第1軍団フラウィア・パキス
    • 第1軍団フラウィア・テオドシカナ
    • 第1軍団イリュコルム
    • 第1軍団ロウィア
    • 第1軍団イサウラ・サギタリア
    • 第1軍団ユリア・アルピナ
    • 第1軍団マルティア
    • 第1軍団マクシミアナ・タエバノルム
    • 第1軍団ノリコルム
    • 第1軍団ポンティカ
  • 第2軍団(Legio II
    • 第2軍団アルメニアカ - プセイドコミタテンケス
    • 第2軍団ブリタンニカ - コミタテンケス
    • 第2軍団フラウィア・コンスタンティア - コミタテンケス
    • 第2軍団フラウィア・ウィルトゥティス - コミタテンケス
    • 第2軍団ヘルクリア - ディオクレティアヌスによる創設。小スキシアに駐屯
    • 第2軍団イセウリア
    • 第2軍団ユリア・アルピナ - プセウドコミタテンケス
    • 第2軍団フェリクス・ウァレンティス - コミタテンケス
  • 第3軍団(Legio III
  • 第4軍団(Legio IV
  • 第5軍団(Legio V
  • 第6軍団(Legio VI
  • 第12軍団(Legio XII

参考文献[編集]

  • マイケル・シムキンズ『ローマ軍 カエサルからトラヤヌスまで 』桑原透訳、新紀元社、2000年、ISBN 9784883178339
  • ニック・セカンダ『共和制ローマの軍隊200BC‐104BC―地中海の覇者』鈴木渓訳、新紀元社、2001年、ISBN 9784775300282