ロニー・ハーモン

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ロニー・ハーモン
Ronnie Harmon
基本情報
ポジション ランニングバック
生年月日 (1964-05-07) 1964年5月7日(59歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ニューヨーククイーンズ区
身長: 5' 11" =約180.3cm
体重: 200 lb =約90.7kg
経歴
大学 アイオワ大学
NFLドラフト 1986年 - 1巡目全体16位
初出場年 1986年
初出場チーム バッファロー・ビルズ
所属歴

受賞歴・記録

NFL 通算成績
ラン獲得ヤード 2,774ヤード
平均獲得ヤード 4.5ヤード
TDラン 10回
レシーブ回数 582回
レシーブ獲得ヤード 6,076ヤード
TDレシーブ 24回
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

ロニー・ハーモン(Ronnie Harmon 1964年5月7日 - )は、ニューヨーククイーンズ区出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはランニングバック。ラン能力よりも、レシーブ能力で知られた。

経歴

プロ入りまで

アイオワ大学に入学、1年次の1982年は8回のランで13ヤード、19回のレシーブで299ヤードを獲得、3TDをあげた。2年次の1983年は、当初テイルバックの控えであったが、その後ウィングバックとして起用され、22回のランで185ヤード(平均8.4ヤード)を獲得、35回のレシーブで729ヤード、5TDをあげた。3年次の1984年には907ヤードを走り11TD、32回のレシーブで318ヤード、1TDをあげて、AP通信UPI通信ビッグ・テン・カンファレンスのファーストチーム、スポーティングニュースからオールアメリカンセカンドチームに選ばれた。4年次の1985年には223回のランで1,166ヤードを獲得、9TD、60回のレシーブで699ヤードを獲得、1TDをあげて、フットボールニュースから、オールアメリカンファーストチームに、AP通信、UPI通信からカンファレンスのファーストチームに選ばれた。アイオワ大学から1,000ヤードラッシャーとなったのは、彼が史上2人目であった。この年、ヘイデン・フライ(Hayden Fry)コーチの元でジャパンボウルにも出場した[1]

1986年のUCLAとのローズボウルでは、1985年シーズン中1回しかファンブルしなかった彼は、前半だけで4回ファンブル、そのすべてがターンオーバーとなり、ボールを奪われた。またイージーなパスを落球し、タッチダウンを逃し、チームは28-45で敗れた[2][3]

NFL

1986年NFLドラフト1巡でバッファロー・ビルズに指名されて入団した。

1987年、第2週のヒューストン・オイラーズ戦では残り57秒にジム・ケリーからの10ヤードのTDパスをキャッチ、34-30でチームは勝利した[4]

この年、485ヤードを走って2TD、56回のレシーブで477ヤード、2TDをあげた[5]

1989年、17回のランで99ヤード、29回のレシーブで363ヤードを獲得、4TDをあげた[5]クリーブランド・ブラウンズとのディビジョナルプレーオフで、第4Q残り9秒にジム・ケリーから逆転TDパスのターゲットにされたが、これを落としチームは30-34で敗れた[3]。 これがビルズでの最後のプレーとなった。

ビルズでは4シーズンで244回のランで968ヤード、3TD、144回のレシーブで1,452ヤード、10TDをあげるとともに、48回のキックオフリターンで1,009ヤード(平均21.0ヤード)の成績をあげた[5]

1990年3月、プランBでサンディエゴ・チャージャーズへ移籍した[6]

1991年、第13週のニューヨーク・ジェッツ戦で10回のランでチームトップの70ヤードを走るとともに、6回のレシーブで39ヤードを獲得した[7]

1992年、第12週のタンパベイ・バッカニアーズ戦では8回しかボールを運ばなかったものの、2TDをあげるとともに、ファーストダウンを3回獲得した[8]。この年、サーマン・トーマスの代わりにプロボウルに選ばれた[9]

1993年、シーズン開幕前ホールドアウトを行ったが、8月下旬にチャージャーズと3年契約を結んだ[10]

1994年には、主に第3ダウンRBとして起用され、58回のレシーブで615ヤードを獲得、1TDをあげた。この年チームは、第29回スーパーボウルに進出、8回のレシーブで68ヤードを獲得したが、26-49でチームは敗れた。

1996年からヒューストン・オイラーズでプレーした。この年のカンザスシティ・チーフスとの開幕戦ではルイス・アギアーのパントをブロックした[11]

1997年12月、ラシャーン・サラームレイモント・ハリスを失ったシカゴ・ベアーズと契約を結んだ[12]

人物

兄のデリック・ハーモン、弟のケビン・ハーモンもNFL選手であった[13]

脚注

  1. ^ Ronnie Harmon Profile”. アイオワ大学. 2014年1月4日閲覧。
  2. ^ UCLA Upsets Iowa; Oklahoma Tops Penn State”. ロサンゼルス・タイムズ (1986年1月2日). 2014年1月4日閲覧。
  3. ^ a b Did Iowa’s Ronnie Harmon Throw The ‘86 Rose Bowl?”. LOST LETTERMAN. 2014年1月4日閲覧。
  4. ^ Kelly Turns Buffalo Into a Winner : Touchdown Pass With 57 Seconds Left Beats Oilers, 34-30”. ロサンゼルス・タイムズ (1987年9月21日). 2014年1月4日閲覧。
  5. ^ a b c Curt Holbreich (1990年3月24日). “Harmon, Three Kickers Among Six New Chargers”. ロサンゼルス・タイムズ. 2014年1月4日閲覧。
  6. ^ Michael Tracz (2011年9月20日). “WHY YOU CAN'T BLAME..RONNIE HARMON FOR COSTING THE BILLS IN THE '89 PLAYOFF”. buffalowins.com. 2014年1月4日閲覧。
  7. ^ T.J. Simers (1991年12月1日). “Chargers Want Raiders Out of Harmon's Way : Pro football: Third-down specialist seeks second straight big game; Chargers go after rare series sweep.”. ロサンゼルス・タイムズ. 2014年1月4日閲覧。
  8. ^ Dave Distel (1992年11月23日). “Harmon Easier Seen Than He Is Harnessed”. ロサンゼルス・タイムズ. 2014年1月4日閲覧。
  9. ^ SUPER BOWL XXVII : The Spotlight : SIDELINED”. ロサンゼルス・タイムズ (1993年2月1日). 2014年1月4日閲覧。
  10. ^ PRO FOOTBALL / DAILY REPORT : AROUND THE NFL : Cowboys Expect to Open Season Without Smith”. ロサンゼルス・タイムズ (1993年8月26日). 2014年1月4日閲覧。
  11. ^ Only 27,725 See Oilers Lose Opener”. ロサンゼルス・タイムズ (1996年9月2日). 2014年1月4日閲覧。
  12. ^ Big Changes Likely for the Cowboys”. ロサンゼルス・タイムズ (1997年12月10日). 2014年1月4日閲覧。
  13. ^ Dylan Butler (2002年8月1日). “Harmon still chased by fix rumor 16 years later”. タイムズレジャー. 2014年1月4日閲覧。

外部リンク

先代
デリック・バロウズ
バッファロー・ビルズ
ドラフト1巡指名
1986年
次代
シェーン・コンラン