レジー・ジャクソン

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レジー・ジャクソン
Reggie Jackson
2010年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州モンゴメリー郡アビントン・タウンシップ英語版
生年月日 (1946-05-18) 1946年5月18日(77歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1966年 MLBドラフト1巡目
初出場 1967年6月9日
最終出場 1987年10月4日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1993年
得票率 93.62%
選出方法 BBWAA[:en]選出
1977年、ヤンキース入団会見時のジャクソン

レジナルド・マルティネス・ジャクソンReginald Martinez Jackson, 1946年5月18日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州モンゴメリー郡アビントン・タウンシップ英語版出身の元プロ野球選手外野手)。愛称は「Mr. October」。本塁打数歴代1位のバリー・ボンズは従弟。

経歴

プロ入りとアスレチックス時代

1966年MLBドラフト1巡目(全体2位)でカンザスシティ・アスレチックスから指名を受け、プロ入り。1967年6月9日のクリーブランド・インディアンズ戦でメジャーデビュー。チームがオークランドに移転し、オークランド・アスレチックスとなった1968年はレギュラーに定着し、29本塁打、74打点を記録するが171三振というリーグワーストも記録する。1969年は6月14日のボストン・レッドソックス戦で5安打10打点[1]、7月2日のシアトル・パイロッツ戦で3本塁打を放つ[2]など、前半戦で打率.287、37本塁打、79打点を記録し、オールスターに初選出され、先発出場を果たす。後半戦は10本塁打に留まるが、打率.275、47本塁打(リーグ3位)、118打点(同2位)、114四球(同2位)、出塁率.410(同3位)、いずれもリーグトップの123得点、長打率.608、OPS1.018、142三振を記録し、MVPの投票では5位に入った。1970年は6月中旬まで打率が2割前後と不振に陥り、打率.237、23本塁打、66打点、リーグワーストの135三振と不本意な成績に終わった。

アスレチックス時代のジャクソン(1973年

1971年も4月は不調だったがその後調子を上げ、4年連続リーグワーストの161三振ながら打率.277、32本塁打、80打点を記録し、チームの地区優勝に貢献。ボルチモア・オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦でジム・パーマーから2本塁打を放つがチームは敗れ、3連敗で敗退した。1972年は25本塁打、75打点を記録し、チームは地区連覇。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは最終第5戦で脚を負傷。チームは41年ぶりのリーグ優勝を果たし、シンシナティ・レッズとのワールドシリーズも4勝3敗で制したが、自身は出場できなかった。1973年は打率.293、いずれもリーグトップの32本塁打・117打点・99得点・長打率.531・OPS.914の好成績で最多本塁打最多打点の二冠を獲得し、チームは地区3連覇。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.143と不振だったが、チームはリーグ連覇。ニューヨーク・メッツとのワールドシリーズでは、王手をかけられた第6戦でトム・シーバーから2二塁打を放ち2打点、第7戦ではジョン・マトラックから2点本塁打を放つなど打率.310・6打点の活躍で2年連続のワールドチャンピオンとなり、シリーズMVPを獲得。MVPも満票で受賞した。1974年は開幕から絶好調で、4月に打率.397、10本塁打、27打点を記録するなど6月初めまで4割近い打率を維持。その後はやや失速したが、打率.289、29本塁打、93打点を記録し、チームは地区4連覇。オリオールズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.167に終わるが、チームはリーグ3連覇を果たす。ロサンゼルス・ドジャースとのワールドシリーズでは第1戦でアンディ・メサースミスから先制の本塁打を放つなど活躍を見せ、史上3度目のシリーズ3連覇の偉業を成し遂げた。1975年は36本塁打、104打点の成績で2度目の最多本塁打を獲得し、チームは地区5連覇。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.417、1本塁打と活躍するが、3連敗で敗退した。

オリオールズ時代

オーナーのチャーリー・O・フィンリーと対立し、1976年シーズン開幕直前の4月2日にドン・ベイラー他2選手とのトレードで、ケン・ホルツマン英語版他1選手と共にオリオールズに移籍。同年は27本塁打・91打点、リーグトップの長打率.502、キャリアハイの28盗塁を記録した。オフにFAとなった。

ヤンキース時代

バットを振りぬくジャクソン(背番号44・1979年)

1976年11月29日にニューヨーク・ヤンキースと5年総額300万ドルで契約した。

1977年は打率.286、32本塁打、110打点を記録し、チームの地区連覇に貢献。カンザスシティ・ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.125と振るわなかったが、チームはリーグ連覇。ドジャースとのワールドシリーズでは3勝2敗と王手をかけて迎えた第6戦で、全て初球打ちの3打席連続本塁打で5打点を記録する大活躍。シリーズ通算で打率.450・5本塁打・8打点の成績でチームに15年ぶりのワールドチャンピオンをもたらし、2度目のシリーズMVPを受賞。「Mr. October」のニックネームが付けられた。1978年は27本塁打、97打点を記録。チームはレッドソックスに最大14ゲーム差を付けられるがその後に驚異的な追い上げを見せ、最終戦を終わって同率で並ぶ。10月2日のワンゲームプレイオフでは追加点となる本塁打を放ち、地区優勝に貢献。ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.462、2本塁打、6打点を記録し、リーグ3連覇を達成。ドジャースとのワールドシリーズでは打率.391、2本塁打、8打点の成績でシリーズ連覇を果たした。1979年は29本塁打、89打点を記録するが、チームは地区4位に終わった。1980年はキャリア唯一の打率.300、41本塁打、111打点の好成績で5年ぶりの最多本塁打を獲得し、2年ぶりの地区優勝に貢献。ロイヤルズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは本塁打・打点共に0で、チームは3連敗で敗退。MVPの投票ではジョージ・ブレットに次ぐ2位に入り、同年から制定されたシルバースラッガー賞を受賞した。1981年50日間に及ぶストライキで6月にシーズンが中断されるまで打率が2割を切る不調に陥る。再開後は復調したが打率.237・15本塁打に終わる。同年は前後期制の変則日程となり、チームは前期優勝。ミルウォーキー・ブルワーズとのディビジョンシリーズでは2本塁打・4打点を記録。古巣アスレチックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦で負傷し、以後は欠場するがチームは3年ぶりのリーグ優勝を果たす。ドジャースとのワールドシリーズでは第4戦から復帰し本塁打を放つなど打率.333を記録するが、チームは2勝4敗で敗退。オフにFAとなった。

エンゼルス時代

1982年1月22日にカリフォルニア・エンゼルスと契約。同年はリーグワーストの156三振ながら39本塁打・101打点を記録し、ゴーマン・トーマスと並んで最多本塁打を獲得。チームは3年ぶりの地区優勝。ブルワーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦でピート・ブコビッチから本塁打を放つが、その後は不振で打率.111。チームは2連勝で球団創設以来初のリーグ優勝に王手をかけるが、そこから3連敗で敗退した。オフに2度目のシルバースラッガー賞を受賞。1983年は後半戦で打率.173と不振に陥る。終盤は控えに回ることも多くなり、打率.194、14本塁打とルーキーイヤーを除けばキャリア最低の成績に終わった。1984年9月17日のロイヤルズ戦で通算500本塁打を達成。1986年は4月に打率.407を記録するなど6月までは打率3割を維持するが、後半戦は打率.195と不振。9月18日のロイヤルズ戦では17年ぶりの1試合3本塁打。打率.241・18本塁打ながらキャリア2番目の92四球を記録し、チームは4年ぶりの地区優勝。レッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.192と不振。チームは3勝1敗と王手をかけ、第5戦も8回まで5-2とリードするがそこから逆転負けを喫し、第6・7戦も敗れて敗退した。オフにFAとなった。

以後

1986年12月24日に古巣アスレチックスと契約した。

1987年は年齢もあって衰えを隠せず、シーズン初めに同シーズン限りでの現役引退を表明。成績は打率2割前後と不調で終盤は控えに回り、打率.220、15本塁打に終わった。

ジャクソンのヤンキース在籍時の背番号「44」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番1993年指定。
ジャクソンのアスレチックス在籍時の背番号「9」。
オークランド・アスレチックスの永久欠番2004年指定。

引退後の1993年アメリカ野球殿堂入り。同年ヤンキース時代の背番号44』が、2004年にアスレチックス時代の背番号『9』がそれぞれ球団の永久欠番に指定された。

現在はヤンキースでGM特別アドバイザーを務め、後進の指導を行っている。

人物

豪快な性格と歯に衣着せぬ物言いから、常に周囲との問題を引き起こした。アスレチックス時代にはオーナーのフィンリー、ヤンキース時代は当時の主将サーマン・マンソンとグラウンド内外で対立したり、当時の監督ビリー・マーティン、オーナーのジョージ・スタインブレナーとの関係は度々メディアに取り上げられた。特にマーティンとは犬猿の仲であり、1977年6月18日のレッドソックス戦では起用法が原因で激しく口論し、それが全米中継のテレビで放送された。その反面審判に対するマナーは良く、抗議するときは必ず下を向き、睨み付けたりすることはしなかったという。ある審判は「若い頃の彼に『大打者は審判の判定に文句をつけないものだ』と言ったところ、彼は引退するまで審判の判定に一言もクレームをつけなかった。彼のマナーは最高だ」と褒め称えていた。また、ファンの求めるサインには試合前でも可能な限り快く応じた。

ブルワーズのスプリングトレーニングに参加してメジャーに挑戦していた江夏豊と対戦し、センター前にヒットを打ったことがある。試合前に江夏は「自分は日本で反逆児と呼ばれていた。アメリカで反逆児と呼ばれているレジー・ジャクソンから三振を取るのが目標だ」と語っており、それを知っていたジャクソンは試合後にヒットを打ったバットを「good luck」とメッセージを添えて贈った(江夏はその試合で2失点し、開幕前に解雇されたため、メジャー挑戦はそこで終わっている)。

発言

  • ジャッキー・ロビンソン以降、一番重要な黒人野球選手はレジー・ジャクソンだ。間違いない」
  • 「ワールドシリーズが好きじゃない唯一の理由は、自分のプレーが見られないことだ」
  • 「俺に死ぬほど惚れてみろ。俺を殺したいほど憎んでみろ。どの道お前らは俺から離れられないのさ」
  • (オールスターに対して)「プレイしに行くんじゃない。注目されるために行くんだ」
  • (ヤンキース入団に対して)「スターになるためにニューヨークに来たんじゃない。もともとスターなのさ」
  • 「このチーム(ヤンキース)をカクテルとすれば、俺はそれを混ぜるストローだ。マンソン? あいつは下手にしかかき回せない」

映画出演

映画『裸の銃を持つ男』(1988年)に出演し、洗脳されて英国のエリザベス2世女王を銃で狙撃する(未遂に終わる)という役を演じた。マコーレー・カルキン主演の『リッチー・リッチ』(1995年)、『ベースケットボール』(1998年)などにも出演している。また出演はしていないが、『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年、映画の舞台はニューヨーク)では殺し屋が標的の家でジャクソンのサインバットを発見し、興奮の余りレジー・コールを始めるシーンがある。

その他

  • 日本のテレビアニメ侍ジャイアンツ』で、日米ワールドシリーズで巨人軍と対戦するアスレチックスをモデルにした球団「アスレテックス」に、ジャクソンをモデルにした“ロジー・ジャックス”という選手がおり、主人公の番場蛮の魔球と対戦した。
  • また、1980年から1982年にかけて、ジャクソンはパナソニック(当時は松下電器の米国法人)のテレビ・ビデオレコーダー・カーステレオの現地版CMに出演していた。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1967 KCA
OAK
35 135 118 13 21 4 4 1 36 6 1 1 1 1 10 0 5 46 1 .178 .269 .305 .574
1968 154 614 553 82 138 13 6 29 250 74 14 4 4 2 50 5 5 171 3 .250 .316 .452 .768
1969 152 677 549 123 151 36 3 47 334 118 13 5 1 1 114 20 12 142 8 .275 .410 .608 1.018
1970 149 514 426 57 101 21 2 23 195 66 26 17 2 3 75 11 8 135 10 .237 .359 .458 .817
1971 150 642 567 87 157 29 3 32 288 80 16 10 0 6 63 5 6 161 7 .277 .352 .508 .860
1972 135 572 499 72 132 25 2 25 236 75 9 8 4 2 59 7 8 125 5 .265 .350 .473 .823
1973 151 629 539 99 158 28 2 32 286 117 22 8 0 7 76 11 7 111 13 .293 .383 .531 .914
1974 148 604 506 90 146 25 1 29 260 93 25 5 0 8 86 20 4 105 8 .289 .391 .514 .905
1975 157 669 593 91 150 39 3 36 303 104 17 8 0 6 67 5 3 133 10 .253 .329 .511 .840
1976 BAL 134 558 498 84 138 27 2 27 250 91 28 7 0 2 54 7 4 108 17 .277 .351 .502 .853
1977 NYY 146 606 525 93 150 39 2 32 289 110 17 3 0 4 74 4 3 129 3 .286 .375 .550 .925
1978 139 581 511 82 140 13 5 27 244 97 14 11 0 3 58 2 9 133 8 .274 .356 .477 .833
1979 131 537 465 78 138 24 2 29 253 89 9 8 0 5 65 3 2 107 17 .297 .382 .544 .926
1980 143 601 514 94 154 22 4 41 307 111 1 2 0 2 83 15 2 122 7 .300 .398 .597 .995
1981 94 382 334 33 79 17 1 15 143 54 0 3 0 1 46 2 1 82 8 .237 .330 .428 .758
1982 CAL 153 621 530 92 146 17 1 39 282 101 4 5 0 4 85 12 2 156 10 .275 .375 .532 .907
1983 116 458 397 43 77 14 1 14 135 49 0 2 0 5 52 5 4 140 5 .194 .290 .340 .630
1984 143 584 525 67 117 17 2 25 213 81 8 4 1 0 55 7 3 141 10 .223 .300 .406 .706
1985 143 541 460 64 116 27 0 27 224 85 1 2 0 2 78 12 1 138 16 .252 .360 .487 .847
1986 132 517 419 65 101 12 2 18 171 58 1 1 0 3 92 11 3 115 14 .241 .379 .408 .787
1987 OAK 115 374 336 42 74 14 1 15 135 43 2 1 0 1 33 0 4 97 3 .220 .297 .402 .699
MLB:21年 2820 11416 9864 1551 2584 463 49 563 4834 1702 228 115 13 68 1375 194 96 2597 183 .262 .356 .490 .846
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はメジャー歴代1位。

年度別守備成績



左翼(LF) 中堅(CF) 右翼(RF)




































1967 KCA
OAK
19 30 1 3 0 .912 3 6 0 0 0 1.000 14 20 0 1 0 .952
1968 1 1 0 0 0 1.000 10 12 1 0 0 1.000 148 256 13 12 5 .957
1969 - 10 19 2 1 0 .955 144 265 13 10 2 .965
1970 - 50 119 0 4 0 .967 114 140 8 8 0 .949
1971 - 3 1 0 1 0 .500 145 285 15 6 3 .980
1972 - 92 214 4 5 4 .978 43 88 1 4 1 .957
1973 - 1 2 0 0 0 1.000 144 301 4 9 0 .971
1974 - 3 7 0 0 0 1.000 126 293 8 10 2 .968
1975 - - 147 317 13 12 4 .965
1976 BAL - 16 34 0 2 0 .944 112 248 8 9 3 .966
1977 NYY - - 127 233 7 13 0 .949
1978 - - 104 207 6 3 1 .986
1979 - - 125 275 7 4 2 .986
1980 - - 94 171 3 7 0 .961
1981 - - 61 107 3 3 0 .973
1982 CAL - - 139 197 6 6 1 .971
1983 - - 47 70 5 1 1 .987
1984 - - 3 7 0 0 0 1.000
1985 - - 81 112 6 7 1 .944
1986 - - 4 4 1 1 0 .833
1987 OAK - - 20 29 0 0 0 1.000
MLB 20 31 1 3 0 .914 188 414 7 13 4 .970 1942 3625 127 126 26 .968
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 31(1967年)
  • 9(1968年 - 1976年)
  • 44(1977年 - 1987年)

脚注

  1. ^ Jun 14, 1969, Athletics at Red Sox Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。
  2. ^ Jul 2, 1969, Pilots at Athletics Play by Play and Box Score” (英語). Baseball-Reference.com. 2013年2月24日閲覧。

関連項目

外部リンク