リー・トレビノ

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 リー・トレビノ 
Lee Trevino
基本情報
名前 リー・トレビノ
生年月日 (1939-12-01) 1939年12月1日(84歳)
身長 170 cm (5 ft 7 in)
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国テキサス州ダラス
経歴
プロ転向 1960年
成績
優勝回数 メジャー:6勝
PGAツアー:29勝
その他:60勝
初優勝 PGAツアー初優勝は1968年全米オープン
賞金王 1970年
賞金ランク最高位 PGAツアー・1位(1970年)
殿堂表彰者
選出年 1981年
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リー・トレビノLee Trevino1939年12月1日 - )はアメリカ合衆国のプロゴルファーメキシコ系アメリカ人の象徴的存在であり、しばしば「スーパーメックス」、「メリー・メックス」と呼ばれている[1]

生い立ち

トレビノはテキサス州ダラスでメキシコ人の血をひく家庭に生まれた。彼は母親のファニータ・トレビノと墓掘り人であった祖父のジョー・トレビノに育てられた。幼い頃に家を去った父ジョセフ・トレビノの記憶は全くなかった。幼児期の生活は時折学校に通い、家族のために働いて金を稼ぐ事から成り立っていた。5歳の時から綿農場で働き始めている[2]

数個のゴルフボールと古いゴルフクラブを与えてくれたおじからゴルフの手解きを受けた。その後近くのカントリークラブに忍び込んではプレーする事に自由時間を費やようになり、ダラス・アスレチック・クラブのキャディを始め、すぐに専任でキャディとして勤めるようになった。トレビノは働くために14歳で学校を辞めなければならなかった。彼はキャディと靴磨きの仕事で週30ドルを稼いだ。キャディ小屋の裏側に3つのショートホールができたため、ゴルフの練習ができるようになり、仕事の後に少なくとも300球のボールを打っていた。17歳の時にアメリカ海兵隊に入隊し4年間務めた。彼の軍隊生活は海兵隊士官とのゴルフに費やされた。トレビノはゴルフのパートナーを務める事が、上等兵への昇進の助けになったと主張している。

プロ転向後

退役の後、トレビノはテキサス州エル・パソのクラブ専属プロになった。彼は一対一の賭けゴルフで臨時収入を得ていた。1967年からPGAツアーに参戦。2回目の全米オープン(1967年)出場で、優勝したジャック・ニクラスに8ストローク及ばないトータル283でまわり、5位でフィニッシュして6000ドルを稼いだ。ルーキーイヤーに26,472ドルを獲得し、PGAツアー年間賞金ランキング45位にくい込み、ゴルフダイジェスト (Golf Digest) によりルーキー・オブ・ザ・イヤーに選出された。

ツアー参戦2年目の翌1968年、ニューヨーク州ロチェスターのオーク・ヒル・カントリークラブで開催された全米オープンで勝利を収めた。トレビノはPGAツアーで6度のメジャー大会優勝を含む通算29勝をあげた。最も好調だったのは1970年代で、ジャック・ニクラスの最大のライバルであった。1970年に賞金王となり、1971年と1972年の2年間で10勝をあげた。この中にはニクラスを18ホールプレーオフの末に下した、1971年の全米オープン優勝が含まれている。この2週間後にカナディアン・オープンで優勝し、更に翌週には全英オープンでも優勝している。1971年、トッププロスポーツマンとしてヒコック・ベルト(Hickok Belt - 1950年から1976年まで年間最優秀プロスポーツ選手に与えられた記念品のベルト)を授与された。またスポーツ・イラストレイテッド誌のスポーツマン・オブ・ザ・イヤー、ABC「ワイド・ワールド・オブ・スポーツ」のスポーツ・アスリート・オブ・ザ・イヤーの称号も獲得した。

1975年のウェスタン・オープンが天候不良で中断されていた時、グリーン脇でキャディバッグに寄り掛かってくつろいでいた彼は、落雷を受けて脊柱を損傷した。トレビノは怪我を負った背骨の椎間板の手術を受けたが、背中のトラブルは彼のプレーを妨げ続けた。それにもかかわらず、1980年のマーク・マコーマックのワールドゴルフランキング(現在のものとは異なる)ではトム・ワトソンに次いで2位にランクされ、1984年の全米プロゴルフ選手権で44歳にしてメジャー6勝目を飾った。

トレビノは20以上の国際大会や非公式のプロトーナメントで優勝した。彼はシニアPGAツアー(現在のチャンピオンズツアー)の初期の成功に尽力した、カリスマ的なスタープレーヤーの1人で、メジャー大会4勝を含む29勝をあげた。1990年と1992年にはシニアの賞金王になった。

1983年から1989年までNBCテレビのPGAツアー中継番組で解説者を務めた。

プレースタイル

彼自身の解説によれば、彼のスタイルはアウト・トゥ・インのスイングから繰り出されるフェードボール(右打ちであれば軽く右にスライスする球筋)が特徴であり、これは慢性のフック(右打ちであれば左にそれていく球筋)病を克服するために考案された。これにより多くの感動的なショットと紙一重の勝利を生み出してきた。

業績・栄誉

  • テキサス州エルパソには彼の名が付けられた街路がある。
  • 1969年・1971年・1973年・1975年・1979年・1981年の6回ライダーカップのアメリカ合衆国代表選手となり、17勝7敗6分けという目覚しい記録を残した。1985年にはチームキャプテンを務めた。
  • 年間最少平均ストロークの選手に与えられるバードン・トロフィーを1970年・1971年・1972年・1974年・1980年の5回獲得している。
  • メキシコ系アメリカ人のために多くの奨学金やその他の資金援助を確立した。
  • 自叙伝『トレビノの破天荒ゴルフ人生』(They Call Me Super Mex) を共同執筆した。
  • 1981年世界ゴルフ殿堂入り。
  • 2000年、ゴルフダイジェスト (Golf Digest) 誌による古今の偉大なゴルファーの14番目にランクされた[3]

人物像・特記事項

トレビノは親しみやすくユーモアに富んだ人物と見なされており、報道機関に言動を引用される事が多かった。キャリアの後期に彼は「私が1967年にツアーに参戦した時には、冗談を言っても誰も笑わなかった。翌年(全米)オープンに勝った時に同じ冗談を言ったら、皆死ぬ程笑い転げたものさ。」と語っている。1971年、全米オープンのプレーオフ開始の際に、彼は相手のジャック・ニクラスにゴム製の蛇を投げつけた[4]。初期にはマスコミの注目は彼が前腕に彫った先妻の名前のタトゥーを隠すために貼っていたバンドエイドに集まっていた。その後このタトゥーはレーザーによる形成外科手術で取り除かれている。

1975年のウェスタン・オープンで雷に打たれた後、記者からコースに出ている時に再び天候が荒れたらどうするか尋ねられると、トレビノは1番アイアンを取り出して空に向ける、と答えた。「神ですら1番アイアンを打つ事は難しいからね。」

またこうも語っている。「私は雷に打たれるという経験をし、4年間海兵隊にもいた。世界中を旅して、君が想像でき得るあらゆる場所に行った。もう奥さん以外恐いものは何一つ無いよ。[5]

トレビノは1996年のコメディ映画『俺は飛ばし屋/プロゴルファー・ギル』(Happy Gilmore)カメオ出演している[6]

戦績

PGAツアーの優勝歴(通算29勝)

No. 日付 トーナメント スコア ストローク差 2位の選手
1 1968年6月16日 全米オープン -5 (69-68-69-69=275) 4打差 アメリカ合衆国の旗 ジャック・ニクラス
2 1968年11月10日 ハワイアン・オープン -16 (68-71-65-68=272) 2打差 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・アーチャー
3 1969年2月23日 Tucson Open Invitational -17 (67-70-68-66=271) 7打差 アメリカ合衆国の旗 ミラー・バーバー
4 1970年2月15日 Tucson Open Invitational -13 (66-68-72-69=275) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 en:Bob Murphy
5 1970年3月29日 en:National Airlines Open Invitational -14 (69-66-68-71=274) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 en:Bob Menne
6 1971年4月25日 Tallahassee Open Invitational -15 (69-67-69-68=273) 3打差 アメリカ合衆国の旗 en:Jim Wiechers
7 1971年3月30日 Danny Thomas Memphis Classic -12 (66-66-69-67=268) 4打差 アメリカ合衆国の旗 リー・エルダー
アメリカ合衆国の旗 ヘール・アーウィン
アメリカ合衆国の旗 Randy Wolff
8 1971年6月21日 全米オープン イーブン (70-72-69-69=280) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 ジャック・ニクラス
9 1971年7月4日 カナディアン・オープン -18 (73-68-67-67=275) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 アート・ウォール・ジュニア
10 1971年7月10日 全英オープン -14 (69-70-69-70=278) 1打差 中華民国の旗 呂良煥
11 1971年10月31日 en:Sahara Invitational -8 (69-72-73-66=280) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・アーチャー
12 1972年5月21日 Danny Thomas Memphis Classic +1 (70-72-72-67=281) 4打差 アメリカ合衆国の旗 en:John Mahaffey
13 1972年7月15日 全英オープン -6 (71-70-66-71=278) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジャック・ニクラス
14 1972年9月4日 Greater Hartford Open Invitational -15 (64-68-72-65=269) プレーオフ アメリカ合衆国の旗 リー・エルダー
15 1972年9月17日 en:Greater St. Louis Golf Classic -11 (65-68-66-70=269) 1打差 アメリカ合衆国の旗 en:Deane Beman
16 1973年2月25日 Jackie Gleason Inverrary-
National Airlines Classic
-9 (69-69-69-72=279) 1打差 アメリカ合衆国の旗 en:Forrest Fezler
17 1973年3月11日 Doral-Eastern Open -12 (64-70-71-71=276) 1打差 オーストラリアの旗 ブルーズ・クランプトン
アメリカ合衆国の旗 en:Tom Weiskopf
18 1974年3月31日 Greater New Orleans Open -21 (67-68-67-65=267) 8打差 南アフリカ共和国の旗 ボビー・コール、
アメリカ合衆国の旗 ベン・クレンショー
19 1974年8月11日 全米プロゴルフ選手権 -4 (73-66-68-69=276) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジャック・ニクラス
20 1975年3月9日 Florida Citrus Open -12 (69-66-70-71=276) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ヘール・アーウィン
21 1976年3月16日 Colonial National Invitation -7 (68-64-68-73=273) 1打差 アメリカ合衆国の旗 en:Mike Morley
22 1977年7月24日 カナディアン・オープン -8 (67-68-71-74=280) 4打差 イングランドの旗 en:Peter Oosterhuis
23 1978年5月14日 Colonial National Invitation -12 (66-68-68-66=268) 4打差 アメリカ合衆国の旗 en:Jerry Heard
アメリカ合衆国の旗 en:Jerry Pate
24 1979年6月24日 カナディアン・オープン -7 (67-71-72-71=281) 3打差 アメリカ合衆国の旗 ベン・クレンショー
25 1980年3月23日 トーナメント・プレーヤーズ・チャンピオンシップ -10 (68-72-68-70=278) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ベン・クレンショー
26 1980年6月29日 Danny Thomas Memphis Classic -16 (67-68-68-69=272) 1打差 アメリカ合衆国の旗 en:Tom Purtzer
27 1980年9月21日 San Antonio Texas Open -15 (66-67-67-65=265) 1打差 アメリカ合衆国の旗 en:Terry Diehl
28 1981年4月19日 MONY Tournament of Champions -15 (67-67-70-69=273) 2打差 アメリカ合衆国の旗 en:Raymond Floyd
29 1984年8月19日 全米プロゴルフ選手権 -15 (69-68-67-69=273) 4打差 南アフリカ共和国の旗 ゲーリー・プレーヤー
アメリカ合衆国の旗 ラニー・ワドキンス

※ジャック・ニクラスを18ホールのプレーオフの末に下した。スコアはトレビノが68、ニクラスが71であった。

その他の優勝(21勝)

チャンピオンズツアーの優勝(29勝)

太字はメジャー大会

その他のシニア大会優勝(10勝)

  • 1991年 en:Liberty Mutual Legends of Golfen:Mike Hillと共に)
  • 1992年 Mitsukoshi Classic、Liberty Mutual Legends of Golf(Mike Hillと共に)
  • 1993年 American Express Grandslam
  • 1994年 American Express Grandslam
  • 1995年 Liberty Mutual Legends of Golf(Mike Hillと共に)
  • 1996年 Liberty Mutual Legends of Golf(Mike Hillと共に)、Australian PGA Seniors' Championship
  • 2000年 Liberty Mutual Legends of Golf - Legendary Division(Mike Hillと共に)
  • 2003年 en:ConAgra Foods Champions Skins Game

PGAメジャー大会の成績

トーナメント 1966 1967 1968 1969
マスターズ DNP DNP T40 T19
全米オープン T54 5 1 CUT
全英オープン DNP DNP DNP T34
全米プロ DNP DNP T23 T48
トーナメント 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979
マスターズ DNP DNP T33 T43 DNP T10 T28 DNP T14 T12
全米オープン T8 1 T4 T4 CUT T29 DNP T27 T12 T19
全英オープン T3 1 1 T10 T31 T40 DNP 4 T29 T17
全米プロ T26 T13 T11 T18 1 T60 CUT T13 T7 T35
トーナメント 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989
マスターズ T26 CUT T38 T20 43 T10 47 CUT CUT T18
全米オープン T12 CUT CUT DNP T9 CUT T4 CUT T40 CUT
全英オープン 2 T11 T27 5 T14 T20 T59 T17 CUT T42
全米プロ 7 DNP DNP T14 1 2 T11 DNP CUT CUT
トーナメント 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000
マスターズ T24 T49 DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP
全米オープン DNP CUT DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP
全英オープン T25 T17 T39 DNP CUT CUT DNP DNP DNP DNP CUT
全米プロ CUT DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP DNP

DNP = 出場せず
CUT = 予選落ち
"T" = 複数の選手と順位を分け合った(タイ)
グリーン地は優勝、黄色地はトップ10入りを表している。

参考文献

  • Hoobler, Dorothy and Thomas (1994-12-15) (英語). The Mexican American Family Album. オックスフォード大学出版局. ISBN 978-0195094596 
  • Trevino, Lee; Blair, Sam (1982-12) (英語). They Call Me Super Mex. Random House Inc. ISBN 978-0394523361 

脚注

  1. ^ LEE TREVINO” (英語). Golflegends.org. 2010年4月20日閲覧。
  2. ^ Lee Trevino: Golf” (英語). Lycos.com. 2010年4月20日閲覧。
  3. ^ Yocom, Guy (2000年7月). “50 Greatest Golfers of All Time: And What They Taught Us” (英語). en:Golf Digest. pp. pp. 17-18. 2012年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月20日閲覧。
  4. ^ Seitz, Nick (2001年3月). “1971 Ad” (英語). en:Golf Digest. 2012年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月20日閲覧。
  5. ^ Brent Kelley. “Lee Trevino” (英語). About.com. 2010年4月20日閲覧。
  6. ^ Happy Gilmore - IMDb(英語) 2010-4-20 閲覧。

外部リンク