リセ・ルイ=ル=グラン

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Lycée Louis-le-Grand
正面入口
住所
123 rue Saint-Jacques(サン=ジャック通り123番地)
パリ, 75005(パリ5区
フランス
座標 北緯48度50分53秒 東経2度20分40秒 / 北緯48.848056度 東経2.344528度 / 48.848056; 2.344528
情報
種別 公立 (local public Institution, EPLE)[1]
創立 1563年10月1日 (1563-10-01)
開校 1563
校長 Michel Bouchaud[2]
生徒数 1,818人(2009年)
使用言語 古代希語羅語独語英語西語露語アラビア語ヘブライ語越南語中国語
外部リンク

リセ・ルイ=ル=グラン: Lycée Louis-le-Grand、略称: LLG)は、フランスパリにある、古い歴史をもつ公立の後期中等教育機関である。ルイ=ル=グラン高校、あるいはルイ=ル=グラン学院ないしルイ大王学院とも訳す。

ルイ=ル=グランは1563年イエズス会によりパリ大学(ソルボンヌ大学)に附設する学寮(ないしカレッジ)の一つとして、パリの伝統的な学生街であるカルチエ・ラタンの中心に設立された。この地域にはパリ大学の他、コレージュ・ド・フランス等があり、歴史、建築、文化に富んだ、フランスで最も古い名門教育機関が集中する地域である。

後期中等教育課程を教えるリセとしては800人の生徒が在学しており、大学レベルのカリキュラムを教えるPSL研究大学と共同CPGEグランゼコール準備級、Classes Préparatoires aux Grandes Écoles) には900人の生徒が学んでいる。バカロレアに加えてエコール・ポリテクニークパリ高等師範学校などグランゼコールへの合格率の高さで名高い。ルイ=ル=グランの生徒はマニョリュドヴィスィヤン (magnoludoviciens) と呼ばれている。

ルイ=ル=グラン校の中庭。かつてはパリ大学に附設する校舎だった。

ルイ=ル=グランはフランスのエリート教育に主導的な役割を果たしている。卒業生に無数の政治家や外交官、高位聖職者、アカデミー・フランセーズ会員、文学者などを輩出している。「このパリのイエズス会学校は」と、1862年エリ・ド・ボーモンが書いている―「永きにわたり、偉人をはぐくむ国家機関でありつづけてきた」。

モリエールヴォルテールヴィクトル・ユゴーらの他、詩人でネグリチュード運動家のエメ・セゼールがこの学校から巣立ち、偉大な文学者となった。フランス大統領のジョルジュ・ポンピドゥーヴァレリー・ジスカール・デスタンジャック・シラクセネガル共和国初代大統領のレオポール=セダール・サンゴールなどがかつてこの学校で学んでいる。モンテネグロニコラ1世などは留学生としてルイ=ル=グランで学んだ。

出身者[編集]

写真中央、サン・ジャック通りの右手にリセ・ルイ=ル=グランが位置する。左手にはソルボンヌ、右手にはパリ大学法学部旧校舎が位置する。

作家・哲学者[編集]

政治家[編集]

フランス革命期の政治家[編集]

フランスの大統領[編集]

その他の政治家[編集]

画家[編集]

映画製作者[編集]

科学者[編集]

その他の有名な出身者[編集]

関係者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://www.louislegrand.org/index.php/japonais-presentations-72
  2. ^ « Du lycée Montaigne à Louis-le-Grand », Sud-Ouest, 8 mai 2012, consulté sur www.sudouest.fr le 1 septembre 2012

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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