ランニングゲイル
ランニングゲイル | |
---|---|
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 青鹿毛 |
生誕 | 1994年3月2日[1] |
父 | ランニングフリー[1] |
母 | ミルダンス[1] |
生国 | 日本(北海道伊達市)[1] |
生産者 | 高橋農場[1] |
馬主 | 高橋秀昌 |
調教師 |
加用正(栗東) →八木正喜 (川崎) →池田孝(川崎) |
競走成績 | |
生涯成績 |
中央競馬24戦4勝 地方競馬8戦0勝 |
獲得賞金 | 1億5265万円 |
ランニングゲイルは日本の競走馬。父が日本競馬における名脇役ランニングフリーであったことやスケールの大きさを感じさせる走りから、ファンの多い馬であった。
なお、馬齢は旧表記で統一する。
戦績
3歳時はデビュー戦から8着、競走中止(ソエによる)、7着、5着とぱっとしない成績が続くが、10月12日、京都競馬の未勝利戦(芝1800m)で武豊を背に勝ち上がる。その後、500万下条件戦の黄菊賞2着を挟み京都3歳ステークスに出走。そこでナリタブライアンの保持していたJRA3歳レコードタイムを破り(1分47秒2)、一躍注目を集める。しかし次走の朝日杯3歳ステークスでは3-4コーナーでマイネルマックスに不利を受け、同馬の4着に敗れる。競走後に武豊は「不利さえなければまだ上位にきていた」と語っている。
4歳初戦の若駒ステークスでは単勝1.3倍の圧倒的な支持を受けていたが、エリモダンディーの末脚に屈し2着に敗退。次走の皐月賞トライアルの弥生賞では、3コーナーからスパートし、4コーナーでは2番手以下を引き離すというマクリ戦法で2着に3馬身差をつけて勝利し、クラシック候補の1頭に躍り出た。
しかし、肝心の本番の皐月賞では、4コーナーでシルクライトニングに前をカットされる不利(審議には至らず)を受け6着に終わる。追い込んで届かずのプリンシパルステークス3着を挟んだ東京優駿(日本ダービー)では5着といいとこなく敗れ去った。東京優駿(日本ダービー)後に放牧先の社台ファームでトウ骨骨膜炎を発症したため、菊花賞への出走は叶わなかった。
以後復帰するも、古馬になってから道新杯(オープン)1着、テレビ愛知オープン2着がある程度で、1999年の京都金杯でトモを骨折[2]。翌年復帰するもふるわず、中央競馬を去り公営川崎に移籍したが、ダート適性はなく1勝もできないまま引退した。
エピソード
1997年クラシック戦線での武豊のパートナーであり、この年武豊は、社台グループ主催のパーティーで吉田照哉に対し、この馬を評して「今年はサンデーサイレンスでもトニービンでもない、ランニングフリーですよ」と語ったほど、この馬にほれ込んだという。
主な勝鞍
血統表
ランニングゲイルの血統(サーゲイロード系(ロイヤルチャージャー系) / Nasrullah5×4=9.38%) | (血統表の出典) | |||
父 ランニングフリー 1983 黒鹿毛 |
父の父 *サーペンフロSir Penfro 1971 黒鹿毛 |
Sir Ivor | Sir Gaylord | |
Attica | ||||
Running Blue | Blue Peter | |||
Run Honey | ||||
父の母 サンマロ1976 黒鹿毛 |
*ステューペンダス | Bold Ruler | ||
Magneto | ||||
*テサロニアン | Milesian | |||
Thetis | ||||
母 *ミルダンス 1982 黒鹿毛 |
Mill Reef 1968 鹿毛 |
Never Bend | Nasrullah | |
Lalun | ||||
Milan Mill | Princequillo | |||
Virginia Water | ||||
母の母 African Dancer1973 鹿毛 |
Nijinsky II | Northern Dancer | ||
Flaming Page | ||||
Miba | Ballymoss | |||
Stop Your Tickling F-No.7-a |
出典
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、KEIBA.GO.JP、JBISサーチ、Racing Post エラー:
|racingpostname=
が未定義です。(参照1・参照2) - ランニングゲイル - 競走馬のふるさと案内所