ヨハン・バプティスト・シェンク

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ヨハン・バプティスト・シェンク
Johann Baptist Schenk
基本情報
生誕 1753年11月30日
出身地 神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国 ウィーナー・ノイシュタット
死没 (1836-12-29) 1836年12月29日(83歳没)
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国
職業 作曲家

ヨハン・バプティスト・シェンクドイツ語: Johann Baptist Schenk1753年11月30日 - 1836年12月29日)は、オーストリア作曲家である。現在ではベートーヴェンの師として知られている程度だが、生前は高名な音楽家であった。

生涯[編集]

神聖ローマ帝国時代のウィーナー・ノイシュタットに生まれる

作品[編集]

ほか。

ベートーヴェンとの関係[編集]

故郷ボンを離れウィーンへ留学に来ていたベートーヴェンは、ハイドンに作曲を師事した[1]。しかし、ハイドンはイギリス訪問による成功で多忙を極めベートーヴェンに作曲を教える時間がなく、教えるという気持ちもなかった[1][注釈 1]

そこでベートーヴェンはハイドンには内緒で別の人物に作曲を習うことを決め、1793年頃からシェンクに師事し、フックスの『パルナッソス山への階梯』などを元に対位法を学んだ[3]。しかし、ベートーヴェンはシェンクに師事する必要が無くなると判断すると、今度は当時高名な理論家、教師であったアルブレヒツベルガーの下で、より高度な対位法を学ぶこととなる[3]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ ベートーヴェンがハイドンに習い、ある課題に取り組みだしてから「6ヶ月以上にもなっていたのに、依然として最初の課題をやっていた」とシェンクは自伝に記している[2]

出典[編集]

  1. ^ a b ロックウッド 2010, pp. 113–114.
  2. ^ ロックウッド 2010, pp. 114, 741.
  3. ^ a b ロックウッド 2010, pp. 114.

参考文献[編集]

  • ルイス・ロックウッド『ベートーヴェン 音楽と生涯』土本英三郎・藤本一子[監訳]、沼口隆・堀朋平[訳]、春秋社、2010年11月30日。ISBN 978-4-393-93170-7 

外部リンク[編集]