ヨハン・クリーク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Championship2006 (会話 | 投稿記録) による 2014年10月12日 (日) 04:55個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (カテゴリ追加)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

ヨハン・クリーク
Johan Kriek
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 南アフリカ・ポンゴラ
居住地 アメリカ・フロリダ州
生年月日 (1958-04-05) 1958年4月5日(66歳)
身長 175cm
体重 76kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1978年
引退年 1994年
ツアー通算 22勝
シングルス 14勝
ダブルス 8勝
生涯通算成績 579勝393敗
シングルス 373勝220敗
ダブルス 206勝173敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1981・1982)
全仏 ベスト4(1986)
全英 ベスト8(1981・1982)
全米 ベスト4(1980)
優勝回数 2(全豪2)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(1981・82・88・89)
全仏 ベスト8(1986)
全英 ベスト8(1985・88)
全米 ベスト8(1985)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 7位
ダブルス 12位

ヨハン・クリークJohan Kriek, 1958年4月5日 - )は、南アフリカポンゴラ出身の元男子プロテニス選手。1981年1982年全豪オープン男子シングルスで2連覇を達成した選手である。自己最高ランキングはシングルス7位、ダブルス12位。ATPツアーでシングルス14勝、ダブルス8勝を挙げた。同国のライバル選手、ケビン・カレンとは年齢も同じ親友である。身長175cm、体重76kg、右利き。

1978年にプロ転向。1981年1982年の2年連続で、全豪オープン男子シングルスに大会2連覇を達成する。当時の全豪オープンは、開催時期も過渡期にあり、1978年から1985年までの8年間は、年末の12月に大会が行われていた。クリークが2連覇を達成したのは、その年末開催だった時代のことである。決勝戦は2年連続で、スティーブ・デントンアメリカ)と対決した。しかし、1983年全豪オープンでは準々決勝でスウェーデンマッツ・ビランデルに敗れ、大会3連覇はならなかった。ビランデルには同じ全豪オープンで、1984年の準決勝と1985年の準々決勝でも敗れ、同じ大会で3年連続の敗退に終わっている。

全豪オープン以外の4大大会シングルスでは、1980年全米オープン1986年全仏オープンで準決勝進出があるが、ウィンブルドンは(全豪2連覇と同じ)1981年1982年のベスト8が最高成績であった。

クリークは全盛期に、1981年から1983年までの3年連続で、男子テニスツアーのシングルスでそれぞれ3勝ずつを記録している。彼のシングルス優勝記録は1987年で終わったが、ダブルスでは1988年まで優勝記録を残している。彼の最後の優勝は、1988年4月に日本東京で行われた「サントリージャパン・オープン」男子ダブルスであった。この時クリークはオーストラリアジョン・フィッツジェラルドとペアを組み、スティーブ・デントンデビッド・ペイト組(ともにアメリカ)を 6-4, 6-7, 6-4 で下して優勝を飾った。

クリークは1994年のシーズンを最後に現役を退いたが、最近では同じ年のライバルであったケビン・カレンとダブルスでペアを組み、ウィンブルドンの「45歳以上の選手による男子ダブルス」部門で3連覇を果たしている。

外部リンク