ユーリ・アーロノヴィチ

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ユーリ・アーロノヴィチ (1986)

ユーリ・ミハイロヴィチ・アーロノヴィチ(Юрий Михайлович Аронович / Yuri Mikhaylovich Ahronovitch, 1932年5月13日2002年10月31日)はソ連出身のイスラエル指揮者。日本では、タマーシュ・ヴァーシャーリのピアノと共演したラフマニノフピアノ協奏曲全集の録音で名高い。

レニングラードに生まれ、4歳でヴァイオリンの学習を開始。1954年レニングラード音楽院指揮科を修了。ナタン・ラフリンクルト・ザンデルリングにも師事する。その後はロシアの主要なオーケストラに招かれて、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団ボリショイ劇場管弦楽団などを指揮した。

1964年第2のモスクワ放送交響楽団の首席指揮者に任命され、1972年にイスラエルに亡命するまでその地位にとどまった。ソ連脱出後は直ちに指揮者として各地に客演し、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団ロンドン交響楽団ウィーン交響楽団読売日本交響楽団ミラノ・スカラ座管弦楽団などと共演した。

1975年より1986年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の、1982年から1987年までストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任。ロンドン交響楽団、ウィーン交響楽団、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団とは、数々の初録音も残している。

同時にオペラ指揮者としても活躍し、ロンドンコヴェントガーデン歌劇場シカゴ・リリック・オペラストックホルム王立歌劇場ケルン歌劇場バイエルン州立歌劇場ミュンヘン)で指揮を執った。

ベルゲンブレゲンツカナリア諸島フロリダ州ロカルノルツェルンサヴォンリンナスポレトヴェローナなど、欧米各地の音楽祭にも参加。

1984年よりスウェーデン王立音楽院の教員に加わり、1987年にはスウェーデン国王より受勲する。1988年にはイェルサレムにおいてエッティンガー芸術賞を授与され、イタリアではトリノ大学とラ・スタンパ紙より「1991年度金輪賞(“Arca d'Oro 1991”)」を受賞。

2002年10月にパリ管弦楽団に客演。これが生涯最後の公演となった。


先代
サムイル・サモスード
モスクワ放送交響楽団 首席指揮者
1964–1972
次代
マクシム・ショスタコーヴィチ
先代
ギュンター・ヴァント
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団音楽監督
1975–1986
次代
マレク・ヤノフスキ
先代
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー
ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 首席指揮者
1982–1987
次代
パーヴォ・ベルグルンド