ユリ・グリエル
横浜DeNAベイスターズ時代 (2014年7月13日、明治神宮野球場にて) | |
基本情報 | |
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国籍 | ( ハイチに亡命) |
出身地 |
キューバ サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス |
生年月日 | 1984年6月9日(39歳) |
身長 体重 |
183 cm 89 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 三塁手、二塁手 |
初出場 | NPB / 2014年6月8日 |
最終出場 | NPB / 2014年10月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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派遣歴 | |
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国際大会 | |
代表チーム | キューバ |
五輪 | 2004年、2008年 |
WBC | 2006年、2009年、2013年 |
プレミア12 | 2015年 |
この表について
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オリンピック | ||
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野球 | ||
金 | 2004 | 野球 |
銀 | 2008 | 野球 |
映像外部リンク | |
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2009年WBCの対日本戦(2回目) イチローの犠打を失敗させたダイビングキャッチ(MLB.comによる動画) |
映像外部リンク | |
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2013年WBCの対オランダ戦(1回目) レオン・ボイドから放った本塁打 (MLB.comによる動画) |
ユリエスキ・グリエル・カスティーヨ(Yulieski Gourriel Castillo , 1984年6月9日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身の野球選手(内野手)。右投右打。
経歴
キューバ球界
17歳であった2001年に、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの選手として、キューバの国内リーグ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル)にデビューした。
2003年10月に、第35回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。
2004年8月に、アテネオリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出された。
2005年9月に、第36回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では、8本塁打を記録した。
2005-2006シーズンには本塁打・打点の二冠王を獲得したほか、当時国内リーグ史上初の20本塁打・20盗塁を達成した[1]。
3月に、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[2]。この大会では、二塁手として出場し、打率.273・出塁率.342・長打率.515の成績で大会ベストナインに選ばれた。
2006-2007シーズンは本塁打数が半減してしまったが、これはこのシーズンから公式戦で使用されるボールが、ミズノ製のものから自国製のもの(いわゆる「飛ばないボール」)へ変更され、リーグ全体の打撃成績が低くなった影響と見られる[3]。
2006年7月末には「コロンビアで開催されている国際大会に遠征中、エドゥアルド・パレとともに亡命した」とESPNのウェブサイトで報じられ[4]ニューヨーク・ヤンキースが獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した[5]。
2008年8月に、北京オリンピックにおける野球競技のキューバ代表に選出され2大会連続2度目の選手となった。決勝戦では1点ビハインドの9回に1アウト満塁のチャンスで鄭大炫から併殺打を打ち、キューバは韓国に敗北、銀メダルに終わった。
2009年3月に、第2回WBCのキューバ代表に選出され[6]2大会連続2度目の選出となった。
2012年7月に開催された第26回ハーレムベースボールウィークのキューバ代表に選出された。この大会では、出塁率.500を記録、MVPに選ばれた。11月6日には、「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[7]代表入りした[8]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[9]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[10]。
2013年3月に、第3回WBCのキューバ代表に選出され[11]3大会連続3度目の選出となった。この大会では、オランダとの決勝ラウンド進出決定戦で最終回の表に盗塁走塁ミスを二回繰り返しビクトル・メサ監督に激怒され、裏にエラーをしてそのランナーがホームをふむなど、大会打率.280の不振で終えた。チームはオランダに敗れ、決勝ラウンド進出を逃した。また、国内リーグでは、所属チームをサンクティ・スピリトゥスからレオネス・デ・インダストリアレスに変更している。
2014年2月4日には、MLB.comの取材に対して、「12年間キューバでプレーしてきたが、今は国外でプレーしたい」との意向を示した[12]。
キューバ国外移籍解禁後
2014年5月13日に、NPBの横浜DeNAベイスターズへの入団が発表された[13]。前年末にDeNAの球団社長の池田純がキューバを視察した際に、同国の球界関係者から「優秀な選手を日本に出したい」という意向を明かされたことを背景に、国外でのプレーを望むグリエルの獲得交渉に着手したという[14]。また、キューバ代表監督のビクトル・メサとDeNA監督の中畑清が似たタイプだと聞いて頭を抱えるということが報道された[15]。
5月31日に来日[16]、6月2日に入団記者会見を行い、日本球界へ挑戦する理由に「キューバで長年プレーを続けているうちに、相手投手の配球を読むことの難しさが薄れてきたこと」を挙げたうえで、「横浜DeNAを初めてのクライマックスシリーズ進出に必ず導きます。信じて下さい」と述べている[17]。また、ユニフォームの背ネームは本来の英語表記からOをとった「GURRIEL」。6月3日からは、実戦での調整を目的に、2日続けてイースタン・リーグの埼玉西武ライオンズ戦で先発出場。3番指名打者で出場した3日の試合で、4回裏の第2打席で中崎雄太から来日初本塁打を放った[18]。6月6日に来日後初の一軍出場登録[19]。6月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜スタジアム)に3番三塁手で一軍初出場、3回裏の第2打席で初安打を放ち、3打席連続安打で猛打賞を記録した[20]。6月11日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、6回表の第3打席で適時打を放って一軍初打点を挙げると、8回表の第4打席で佐藤達也からバックスクリーン左へ一軍初本塁打を記録した[21]。
2015年3月19日、キューバ国内リーグで所属するインダストリアレスがプレーオフ準決勝進出を逃したため、2015年3月27日の東京ドームでの開幕戦(対読売ジャイアンツ)までに、この年から同じくDeNAと契約した弟のルルデス・ジュニアとともにチームへ合流できるとの報道が出た[22]。しかし、左腿裏痛の治療をキューバ国内で行うため、兄弟そろって来日が延期になった(弟のユニエルキスは左手首痛)。これに対し、DeNAは日本国内での治療のため、診断書の提出と来日を要求したが、診断書を含めてキューバ政府から明確な返答がなく、球団職員が話し合いのために現地入りするなど均衡状態が続いていた。4月2日、高田繁GMが契約違反のため契約を解除したと発表した[23]。キューバ政府もこれを了承したため、正式に退団が確定した。なお、ルルデス・ジュニアについては、制限選手としての処分にとどまった[24]。2015年度、最初の自由契約選手となった[25]。11月にはWBSCプレミア12にキューバ代表として出場。
2016年2月にはシエゴ・デ・アビラの補強選手としてカリビアンシリーズに出場。準決勝で敗退後に、弟のルルデス・ジュニアと共に開催国のドミニカ共和国内からハイチへ亡命した[26]。三兄弟の長男のユニエスキはカリビアンシリーズに出場していないためキューバ国内に留まっており、「カリビアンシリーズでの最後の試合の後に2人と連絡が取れなくなった。それまでは毎晩連絡を取りあっていたのに。私達もみんなと同じニュースで亡命を知り、2人のことは何もわからない」と語っている[27]。
選手としての特徴
打撃
MLBのスカウトからは「もしドラフトで指名されるならば1巡目だ」と評価されている[28]。
打球のほとんどが左方向に飛ぶプルヒッター[29]。
守備
キューバ国内リーグでは三塁手としてプレー。代表では当初は二塁手だったが、2004年頃から代表でも主に三塁を守るようになった。DeNAへの入団が決まった際には遊撃手としての起用も想定された[30]。入団当初に出場したセ・パ交流戦では、指名打者を採用しなかったパ・リーグ球団主催試合で、石川雄洋に遊撃や外野を守らせることを条件に二塁手として起用されていた[31]。一塁を守っていた主砲のトニ・ブランコが故障で戦線を離れた交流戦の後半(6月中旬)からは、レギュラー三塁手のアーロム・バルディリスを一塁や代打に起用する一方で、もっぱら三塁手として出場した。DELTA社算出のUZRでは、2014年は二塁手では289イニングでUZR-2.6、三塁手では228イニングでUZR-4.8を喫した[32]。
人物
ニックネームは「ユリー(Yuly)」[33]、DeNA時代には主にDeNAファンを中心に応援等で「ユーリ」と呼ばれていた[34]。なお、ユリエスキ自身は来日時の会見で「あだ名はあまりなかったが、キューバでは「ユリー」と呼ばれていたのでそのように呼んでほしい」とコメントしていた[35]。
ホセ・コントレラスやホセ・アブレイユらと同じくキューバ人特有の飛行機嫌いとして知られる[36]。DeNA時代の2014年7月7日には、沖縄県に平成26年台風第8号が接近する状況での飛行機移動に対する不安を理由に読売ジャイアンツとの2連戦(沖縄セルラースタジアム那覇)に向けた遠征への参加を見合わせた。その後に病院で検査を受けたところ、飛行機恐怖症と診断された[37]。
日本食が苦手。2013年WBCへの出場で来日した際には、2週間で5kgも体重が落ちたという[38]。また、トマト以外の野菜も食べられないことから、DeNAではグリエルのためにキューバ風の献立を特別に用意していた[39]。
キューバに野球用具を送るというプロジェクト「ペロタDEアニモ」を主催するホリプロのタレントのSHEILAとは友人であり、彼女を通して、BEN社のグローブや当時西武に所属していた中島裕之のバットをもらい愛用していた。
家族
野球一家であり、実父のルルデスは、いすゞ自動車硬式野球部などの社会人野球でのプレー経験を通じて日本の野球事情やプレースタイルを熟知していることを背景に、ユリエスキのDeNA入団を後押ししたとされる[30]。
ユリエスキは三人兄弟の真ん中で、兄弟はいずれも野球選手であり、弟のルルデス・ジュニアも2015年にDeNAと契約。二つ年上の兄のユニエスキも2014年からカナディアン・アメリカン・リーグのケベック・キャピタルズへ派遣されている[40]。
また、叔父のルイス・エンリケ・グリエル[41]、大叔父のホセ・デルガド、いとこのヨアンニ・デルガドも野球選手である。
未婚であり、交際相手のリアネットと婚約中と日本の新聞では報道されている[42]。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2001-2002 | SSP | 87 | 376 | 353 | 59 | 106 | 26 | 5 | 7 | 163 | 50 | 7 | 6 | 4 | 6 | 8 | 1 | 5 | 33 | 3 | .300 | .320 | .462 | .781 |
2002-2003 | 90 | 385 | 333 | 57 | 97 | 20 | 4 | 16 | 173 | 65 | 12 | 3 | 0 | 3 | 45 | 7 | 4 | 41 | 5 | .291 | .379 | .520 | .899 | |
2003-2004 | 55 | 241 | 215 | 49 | 77 | 14 | 7 | 9 | 132 | 42 | 7 | 3 | 0 | 2 | 19 | 0 | 5 | 25 | 4 | .358 | .419 | .614 | 1.033 | |
2004-2005 | 89 | 411 | 370 | 80 | 126 | 16 | 7 | 23 | 225 | 86 | 11 | 1 | 0 | 6 | 29 | 5 | 6 | 47 | 10 | .341 | .392 | .608 | 1.000 | |
2005-2006 | 90 | 413 | 349 | 89 | 114 | 19 | 11 | 27 | 236 | 92 | 21 | 4 | 0 | 6 | 51 | 11 | 7 | 30 | 3 | .327 | .416 | .676 | 1.093 | |
2006-2007 | 88 | 410 | 348 | 65 | 120 | 28 | 0 | 13 | 187 | 46 | 12 | 5 | 0 | 1 | 50 | 13 | 11 | 23 | 13 | .345 | .441 | .537 | .979 | |
2007-2008 | 79 | 359 | 295 | 68 | 89 | 14 | 1 | 22 | 171 | 71 | 3 | 0 | 0 | 7 | 48 | 11 | 9 | 20 | 15 | .302 | .407 | .580 | .986 | |
2008-2009 | 84 | 381 | 328 | 77 | 131 | 22 | 7 | 22 | 233 | 90 | 11 | 5 | 0 | 4 | 48 | 12 | 1 | 23 | 14 | .399 | .472 | .710 | 1.183 | |
2009-2010 | 89 | 407 | 344 | 90 | 125 | 17 | 2 | 30 | 236 | 105 | 5 | 4 | 0 | 3 | 54 | 12 | 6 | 29 | 11 | .363 | .455 | .686 | 1.141 | |
2010-2011 | 87 | 390 | 327 | 74 | 111 | 21 | 2 | 20 | 196 | 81 | 3 | 0 | 0 | 4 | 48 | 9 | 11 | 17 | 12 | .339 | .436 | .599 | 1.035 | |
2011-2012 | 89 | 396 | 321 | 58 | 104 | 18 | 0 | 22 | 188 | 85 | 14 | 4 | 0 | 7 | 61 | 19 | 7 | 34 | 10 | .324 | .434 | .586 | 1.020 | |
2012-2013 | 79 | 333 | 280 | 51 | 91 | 18 | 3 | 8 | 139 | 52 | 8 | 5 | 0 | 3 | 44 | 13 | 6 | 20 | 5 | .325 | .423 | .496 | .920 | |
2013-2014 | IND | 81 | 361 | 297 | 63 | 93 | 21 | 3 | 16 | 168 | 69 | 10 | 8 | 1 | 3 | 54 | 12 | 6 | 31 | 7 | .313 | .425 | .566 | .991 |
2014-2015 | 49 | 206 | 175 | 40 | 60 | 18 | 1 | 7 | 101 | 35 | 11 | 2 | 0 | 2 | 27 | 6 | 2 | 18 | 6 | .343 | .432 | .577 | 1.009 | |
2014 | DeNA | 62 | 258 | 239 | 46 | 73 | 22 | 0 | 11 | 128 | 30 | 3 | 0 | 0 | 2 | 15 | 0 | 2 | 40 | 4 | .305 | .349 | .536 | .884 |
CNS:14年 | 1136 | 5069 | 4335 | 920 | 1444 | 272 | 53 | 242 | 2548 | 969 | 135 | 50 | 5 | 57 | 586 | 131 | 86 | 391 | 118 | .333 | .418 | .588 | 1.006 | |
NPB:1年 | 62 | 258 | 239 | 46 | 73 | 22 | 0 | 11 | 128 | 30 | 3 | 0 | 0 | 2 | 15 | 0 | 2 | 40 | 4 | .305 | .349 | .536 | .884 |
- 2014年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- キューバで通常用いられる個人通算成績はプレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない
記録
- NPB
- 初出場・初先発出場:2014年6月8日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(横浜スタジアム)、3番・三塁手で先発出場
- 初打席:同上、1回裏にトラビス・ブラックリーから遊ゴロ
- 初安打:同上、3回裏にトラビス・ブラックリーから左前安打
- 初打点:2014年6月11日、対オリックス・バファローズ3回戦(京セラドーム)、6回表に西勇輝から左前適時打
- 初本塁打:同上、8回表に佐藤達也から中越ソロ
- 初盗塁:2014年6月29日、対広島東洋カープ12回戦(横浜スタジアム)、8回裏に二盗(投手:中田廉、捕手:會澤翼)
背番号
- 10 (2014年 - 2015年)
代表歴
- 第35回IBAFワールドカップ キューバ代表
- アテネオリンピック野球キューバ代表
- 第36回IBAFワールドカップ キューバ代表
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表
- 北京オリンピック野球キューバ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表
- 第26回ハーレムベースボールウィーク キューバ代表
- サンダーシリーズ
- 侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・キューバ代表
- 2015 WBSCプレミア12 キューバ代表
脚注
- ^ 「キューバシリーズ 2005-2006 ペナントレースの終了、並びにプレーオフ開始、及び個人タイトルについて」 『日本野球連盟』、2006年4月26日。2007年7月29日閲覧。
- ^ 2006 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月15日閲覧
- ^ 「第46回キューバリーグ(06-07シーズン) プレーオフ」 『日本野球連盟』、2007年3月26日。2007年7月29日閲覧。
- ^ ESPN.com news services, "Report: Cuban baseball players defect in Colombia," ESPN.com, July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。
- ^ Enrique Rojas, "Cuban star Gourriel has no interest in deserting," ESPN.com, August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。
- ^ 2009 Tournament Roster WBC公式サイト英語 2015年3月15日閲覧
- ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
- ^ キューバ代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
- ^ Cuba arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan IBAF公式サイト 英語 (2012年11月7日) 2015年4月19日閲覧
- ^ キューバ代表来日 MLB関係者も熱視線 スポニチアネックス (2012年11月15日) 2015年4月19日閲覧
- ^ 2013 Tournament Roster WBC公式サイト 英語 2015年4月15日閲覧
- ^ Jesse Sanchez (2014年2月4日). “Gourriel eyes baseball career outside of native Cuba”. MLB.com. 2014年2月5日閲覧。
- ^ “選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (2014年5月13日). 2014年5月13日閲覧。
- ^ 鉄村和之(日本経済新聞編集委員)『なぜDeNAに? キューバからグリエル獲得の舞台裏』 日本経済新聞 電子版 (2014年6月4日 7:00配信)
- ^ http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/273300/
- ^ “DeNAのグリエルが青いシャツ着て来日”. 日刊スポーツ (2014年5月31日). 2014年6月4日閲覧。
- ^ “グリエル DeNA入団記者会見で抱負「全てを出す」”. スポーツニッポン (2014年6月2日). 2014年6月4日閲覧。
- ^ “グリエル 初実戦で本塁打 中畑監督「かっこいいね。あの一振りで十分」”. スポーツニッポン (2014年6月3日). 2014年6月4日閲覧。
- ^ “DeNAがグリエルを1軍登録”. 日刊スポーツ (2014年6月6日). 2014年6月6日閲覧。
- ^ “DeNAグリエル 猛打賞デビュー/詳細”. 日刊スポーツ (2014年6月8日). 2014年6月8日閲覧。
- ^ “DeNAグリエル来日初打点&1発も出た”. 日刊スポーツ (2014年6月11日). 2014年6月11日閲覧。
- ^ “DeNAグリエル開幕OK!キューバ国内リーグ敗退決定で近日中に来日へ/詳細”. デイリースポーツ (2015年3月20日). 2015年4月2日閲覧。
- ^ 2015年度選手契約について(Y.グリエル選手) 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2015年4月2日) 2015年4月3日閲覧
- ^ “DeNA グリエル兄との契約解除を発表、弟は制限選手に/詳細”. スポニチアネックス (2015年4月2日). 2015年4月2日閲覧。
- ^ 2015年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト (2015年4月2日) 2015年4月19日閲覧
- ^ Yulieski Gourriel está con residencia de Panamá en Haití junto a su hermano Lourdesel Nuevo Herald
- ^ Fin de los rumores: Los Gourriel abandonan equipo Cuba de béisbolEscambray
- ^ John Manuel, "World Baseball Classic: Cuba's Yuliesky Gourriel," Baseball America, March 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2008』白夜書房、2008年、205頁頁。ISBN 978-4-86191-374-7。
- ^ a b “DeNAグリエル 父子鷹だ!サポート役の父は日本でプレー経験あり”. スポーツニッポン (2014年5月31日). 2014年5月31日閲覧。
- ^ “グリエルを二塁で起用なら石川を左翼にコンバートも”. スポーツニッポン (2014年6月2日). 2014年6月4日閲覧。
- ^ 岡田友輔、道作、三宅博人、morithy, 蛭川皓平、高多薪吾、Student, 水島仁、神事務、市川博久、大南淳『プロ野球を統計学と客観分析で考える セイバーメトリクス・レポート4』水曜社、2015年、175頁頁。ISBN 978-4-88065-319-8。
- ^ 「Yuly Gourriel, otro millonario cubano gracias al béisbol japonés」 『PanamericanWorld | Linking Canada to the Americas』、2014年5月14日。2015年9月12日閲覧。
- ^ 「【緊急告知】グリエル選手のコールについて」 『ベイスターズ応援日記@星覇会』、2014年6月5日。2015年9月12日閲覧。
- ^ 「グリエル「自分の全てを出してCSへ」“キューバの至宝”DeNA入団会見全文」 『スポーツナビ』、2014年6月2日。2015年9月12日閲覧。
- ^ ナガオ勝司「驚異の新人、現る!」『ベースボールマガジン11月号増刊 メジャーリーグ 2014記録集計号』、ベースボールマガジン社、16-17頁、雑誌07916-12。
- ^ “グリエル 飛行機移動拒否!沖縄2連戦欠場 高田GM「説得したけど…」”. スポーツニッポン (2014年7月7日). 2014年7月8日閲覧。
- ^ DeNA・グリエル 日本行き課題は“投手への対応と日本食” - スポーツニッポン・2014年5月31日
- ^ “【DeNA】グリエル、猛打デビュー!打球も足も送球も速すぎ!キヨシも脱帽”. スポーツニッポン (2014年6月8日). 2014年6月8日閲覧。
- ^ http://www.granma.cu/deportes/2014-07-24/yunieski-gourriel-jugara-beisbol-en-canada
- ^ http://www.ecured.cu/index.php/Lu%C3%ADs_Enrique_Gourriel_D%C3%ADaz
- ^ http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/283914/
関連項目
外部リンク
- Federación Cubana de Béisbol Aficionado - Cronología(キューバ国内リーグ公式)
- Cuban Baseball Career statistics(プレーオフや選抜リーグなども合算したキューバ国内リーグ通算成績)
- 個人年度別成績 Y.グリエル - NPB.jp 日本野球機構