ヤマハ発動機

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ヤマハ発動機株式会社
Yamaha Motor Co., Ltd.
ヤマハ発動機本社(静岡県磐田市
種類 株式会社
市場情報
略称 ヤマ発
ヤマハ発(銘柄略称)
本社所在地 日本の旗 日本
438-8501
静岡県磐田市新貝2500
北緯34度43分22.1秒 東経137度52分44.2秒 / 北緯34.722806度 東経137.878944度 / 34.722806; 137.878944座標: 北緯34度43分22.1秒 東経137度52分44.2秒 / 北緯34.722806度 東経137.878944度 / 34.722806; 137.878944
設立 1955年昭和30年)7月1日
業種 輸送用機器
法人番号 2080401016040 ウィキデータを編集
事業内容 自動二輪車など
代表者 柳弘之代表取締役会長
日髙祥博(代表取締役社長兼社長執行役員
渡部克明(代表取締役兼副社長執行役員)
資本金 857億9700万円(2017年12月末)[1]
発行済株式総数 3億4991万4284株[1]
売上高 連結:1兆6700億9000万円
(2017年12月期)[1]
営業利益 連結:1497億8200万円
(2017年12月期)[1]
純利益 連結:1016億300万円
(2017年12月期)[1]
純資産 連結:6652億3200万円
(2017年12月期)[1]
総資産 連結:1兆4158億4500万円
(2017年12月期)[1]
従業員数 連結:5万3979人
(2018年12月末現在)
決算期 12月31日
主要株主 ヤマハ(株) 12.21%
ステートストリートバンクアンドトラストカンパニー 10.28%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 4.38%
(2016年6月30日現在)
関係する人物 川上源一(創業者)
長谷川武彦
外部リンク global.yamaha-motor.com
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ヤマハ発動機株式会社(ヤマハはつどうき、: Yamaha Motor Co., Ltd.)は、静岡県磐田市に本社を置く、オートバイを中心とした輸送用機器を製造するメーカー。二輪の売上規模は世界第2位[2] であり、船外機やウォータービークルの販売台数は世界首位[3]ヤマハ発動機サッカー部は、サッカーJリーグジュビロ磐田の母体である。

会社概要

第二次世界大戦中に飛行機用のプロペラと関連機器を製造していた日本楽器製造(現ヤマハ)では技術と製造設備の平和利用を目的とし社内でのオートバイ生産を開始、1955年昭和30年)7月1日に日本楽器製造から分離されるかたちで、オートバイ製造販売業としてスタートした。この関係でヤマハと同様の「YAMAHA」ロゴや、円の中に音叉が3つ組み合わさったマークを使っているが、どちらも細部に違いがある(次節で解説)。ヤマハ発動機における2017年12月の売上高構成比は、連結ベースで北米が21.4%、欧州が12.8%、アジアが43.9%、日本が10.2%、その他が11.7%である[4]

2005年度(平成17年度)の決算ではヤマハとの比較でヤマハ発動機の売上高が倍以上の数字となっている。こうした時価総額の関係およびヤマハが持分法適用会社としていることから、間接的買収の対象となりやすい状況にあった。このため2007年(平成19年)5月にヤマハがヤマハ発動機の株式を売却することにより、ヤマハの持分法適用対象から外れた。一方、ヤマハ発動機がヤマハの株式を5%取得することになり、2017年(平成29年)5月現在5.5%を保有している。

一般によく知られているオートバイスクーターなどの自動二輪車部門だけでなく、ボート船外機、漁船、ヨット、マリンジェットなどのマリン製品、スノーモビルバギーサイド・バイ・サイド・ビークルなどのレジャービークル、電動自転車、電動スクーターなどのEV、産業ロボット、表面実装機などの産業機器、ヒロボーとの共同開発による農業用無線操縦ヘリコプター「RMAX」、さらには除雪機、発電機、プール設備など様々な製品を展開している。

自動車関連では、従来よりエンジンの生産請負をしてきたトヨタ自動車の他にも、販路をフォードグループへ拡大。ハイパフォーマンスV型エンジン「SHO」(Super High Output)を開発し、トーラス等に採用している。また、パフォーマンスダンパーと呼ばれる車体性能向上装置や相互連携ショックアブソーバシステムなどを開発している。自社ブランドによる自動車事業への参入も何度か検討され、1992年発表のOX99-11では実際に発売寸前まで事業が進められたこともある。2013年11月には試作車「MOTIV」の公開とともに自動車事業への参入の意向が改めて示された[5]が、2018年、普通乗用車事業参入の凍結が発表された[6]

社員による人力飛行機チーム「チーム・エアロセプシー」が存在し、過去に『鳥人間コンテスト選手権大会』(読売テレビ)で彦根市から琵琶湖西岸まで到達する記録を残した。現在は鳥人間コンテストへの参加こそ行っていないがチーム自体は存続しており、2013年には人力飛行機による飛行距離の世界記録へ挑戦する予定がある[7]

また、2008年(平成20年)の中華人民共和国四川大地震における支援活動の功績により、2010年(平成22年)に紺綬褒章を授与されている[8]

クラリベイト・アナリティクス(旧トムソン・ロイター)は「トップ100 グローバル・イノベーター2016」[9] で同社を選出した。6回目となる今回は、日本企業が躍進。分離独立元のヤマハのほか、ソニー富士通オリンパストヨタ自動車など34社が選出されている。

2014年(平成26年)、日本取引所グループ日本経済新聞が「財務や経営が優秀な上場企業の上位400社」として選定しインデックス化するJPX日経インデックス400の構成銘柄に採用される。以降、2017年まで4年連続して構成銘柄として採用されている。

2016年(平成28年)8月1日よりシャープに変わり日経平均株価の銘柄に採用される。

2016年(平成28年)10月5日に二輪車最大手のホンダと国内の排気量50ccのスクーターの生産、開発で提携の検討を始めたと[10] 発表した。2018年をめどに子会社の台湾山葉機車工業で製造している「ジョグ」と「ビーノ」をホンダの熊本製作所でOEM生産に切り替えて製造していくこととしている[11]

2016年(平成28年)12月7日に汎用エンジンにおいて、富士重工業(現・SUBARU)の一部技術資産と米国販売子会社を譲受することを[12] 発表した。2017年(平成29年)9月末でSUBARUの事業が終息するため、譲渡完了は2017年10月1日付けとなる。

2017年(平成29年)4月、産業用ドローンのベンチャー企業との提携、および農機中堅のやまびこと農薬散布ドローンの開発・販売で提携すると発表した[13]

2017年(平成29年)11月7日にヤマハ発動機とヤマハは、産業用ロボットの遠隔管理システムパッケージを共同開発し、2018年度内の発売を目指す[14] と発表した。これにより、ヤマハ発動機はFA(ファクトリーオートメーション)領域におけるIoTビジネスへ本格的に参入するという。

ヤマハ(株)とのロゴタイプの違い

ヤマハ発動機は日本楽器製造(現在のヤマハ)の二輪部門が独立して誕生した企業であり、ロゴタイプに共通点が存在する。ヤマハ(株)とヤマハ発動機(株)のロゴタイプの差異について解説する。分かりやすいのは"M"の字で、真ん中の谷の部分がベースラインまで完全に下がっているのがヤマハ発動機、下げ切らず浮いているのがヤマハ(楽器)である。微妙な違いとしては、各文字のアルファベットの形が完全に左右対称なのがヤマハ発動機、ごく微妙に左右非対称なのがヤマハである。音叉マークは、持ち手が円に被り、マーク全体に立体感が付けられたのがヤマハ発動機、音叉の持ち手が周りの円より内側に入っているのがヤマハである。これにより、どちらが参入している分野か知らなくても、どちらの製品かを見分けることが可能である。

異なる点 ヤマハ ヤマハ発動機
音叉マーク 音叉の先端が外円の内側に収まる 音叉の先端が外円に重なる
「YAMAHA」ロゴ "M"の文字の中央部分が下(ベースライン)に付いていない "M"の文字の中央部分が下に付いている
アルファベットの文字の形が極く僅かだが左右非対称 各アルファベットの文字の形が左右対称
カラー表示
コーポレートカラー
バイオレット薄紫色 赤色

沿革

関係会社

  • 連結子会社112社(国内21社、海外91社)
  • 持分法適用子会社3社
  • 持分法適用関連会社26社[15]

(2017年12月末現在)

主要な製品

主要製品のうち、汎用エンジン、発電機、レーシングカート、乗用ゴルフカートについては、関連企業のヤマハモーターパワープロダクツに生産・販売が移管されている。

モータースポーツ

二輪

1955年(昭和30年)に日本国内レースである富士登山レース浅間火山レースに出場し、ホンダなどの先行有力メーカーを抑えて優勝を収めた。

ロードレース世界選手権には1961年から参戦を開始し、1964年に250ccクラスでチャンピオンを獲得。以降スズキと並ぶ2ストロークエンジンの雄として、中小排気量クラスを席巻した。1969~1972年にワークス参戦を一時休止した後、1973年から最高峰クラスへ参戦。1975年にジャコモ・アゴスチーニがライダースタイトル、翌1976年にはコンストラクターズタイトルを、いずれも日本メーカーとして初めて獲得する快挙を達成した。またさらに翌年の1977年には、日本人ライダー初のチャンピオン(350ccクラス、片山敬済)も輩出している。以降はホンダスズキドゥカティと激しくタイトル争いを展開し、現在までワークス参戦を続けている。最高クラス(500cc→MotoGPクラス)ではこれまでにケニー・ロバーツエディ・ローソンウェイン・レイニーヴァレンティーノ・ロッシホルヘ・ロレンソがヤマハでチャンピオンとなっている。また日本人では原田哲也が250ccチャンピオンとなった。

市販車ベースのレースでも好戦績を残しており、北米では1970年代に盛んであったフォーミュラ750がTZ750のワンメイク状態になって、シリーズ自体を終焉させてしまったこともある。その後継となるAMAスーパーバイク/MotoAmericaでも、2010年~2020年の11年間に10度のチャンピオンを獲得している。

オフロードにおいても、ダカール・ラリー1990年代ステファン・ペテランセルを擁し幾度もの優勝を遂げた。しかし彼の四輪転向後はKTMの18連覇もあり、ワークス参戦こそ現在まで続いているものの優勝からは長らく遠ざかっている。

四輪

四輪モータースポーツにもエンジンコンストラクターとして参戦経験がある。

1985年(昭和60年)には全日本F2選手権V6エンジンのOX66で参戦した。吸気バルブ3本、排気バルブ2本を備えた5バルブシステムを採用する[18]1987年全日本F3000選手権にはコスワースDFVをチューニングして5バルブ化した、V8エンジンのOX77を投入した。鈴木亜久里らがドライブするマシンに搭載されて活躍したが、1988年から全日本F3000で5バルブが禁止されることもあり[18]、その翌年の1989年(平成元年)からF1にもエンジン供給の形で参戦した(後述)。

レーシングカートについても、1974年(昭和49年)に「ヤマハSLカートクラブ」(現在のSLカートスポーツ機構)を設立して、マシン(フレーム)及びエンジンの供給・レース開催の両面で積極的に活動を行っている。また資本関係のあるトヨタと提携し、『TOYOTA YAMAHA RACING TEAM』としてドライバー育成を行っている。同プログラムはこれまでに片岡龍也中嶋一貴山内英輝らを輩出している[19]。なおカート関連業務については、現在は関連会社のヤマハモーターパワープロダクツが担当している。

2021年にはMiniのワークスチームとして幾度となく総合優勝を果たしているX-Raidとのジョイントにより、YZX1000Rを改造してダカール・ラリーの軽車両部門にも進出を果たしている。

F1

1989年(平成元年)にV8エンジンのOX88をザクスピードへ供給し、亜久里とともにF1に参入した。当初コスワースDFRのシリンダーブロックを使用した5バルブエンジンを開発・供給する予定であったが、コスワースとの折り合いがつかず急遽エンジンを自社製造することになった[20]。そのためかエンジンの信頼性に欠け、予備予選通過もままならぬ有様で、一時撤退を余儀なくされる。

1990年(平成2年)は1年を丸々エンジン開発に充て、翌1991年(平成3年)にブラバムへ5バルブV12エンジンのOX99を供給し復活を果たす。その甲斐あって後半戦に2度の入賞を記録。

1992年(平成4年)はジョーダンへOX99を供給するが、クーリングに問題が出るなどシャーシとのマッチングが上手く行かずに最終戦でようやく1ポイントを獲得するのみと、前年と同様に成績はふるわなかった。シーズン途中からはレーシングコンストラクターのジャッドと提携を開始した。また同エンジンを搭載した市販予定スポーツカーOX99-11を発表するものの、市販の実現には至らなかった。

1993年(平成5年)には開発済みだった新しいV12を諦め、ジャッドのV10エンジン(ジャッドGV)をチューニングしたV10エンジンのOX10を開発。片山右京所属のティレルに供給した。エンジン回転数の増加に伴い、ニューマチックバルブを採用した[21]。シーズン当初はそれほどの成績が出せなかったが、1993年の最終スペックのGスペックでは他のワークスエンジンにも見劣りしない程になっていた。

1994年(平成6年)OX10を継続開発し、OX10Bとして投入。右京が予選5位を2回記録した上に、ドイツGPではマシントラブルで停止するまで2位を走行し、チームメイトのマーク・ブランデルスペインGPで3位表彰台を獲得、その他にも度々上位を走行するなどトップチームに肉薄する性能を発揮したが、シーズン後半にはエンジンのパフォーマンスアップを重視した為、エンジンの信頼性をやや落とす結果になった。最終スペックはKスペック。

1995年(平成7年)には、エンジンレギュレーションが3.5Lから3.0Lへ変更された事に合わせボア・ストロークともに見直したOX10Cをジャッドと共同開発。シーズン序盤こそ度々快走を見せるが、他のエンジンに比べて絶対的なパワーが不足していた事とシャーシ側のパフォーマンス不足も合わせ満足行く戦績は残せなかった。

1996年(平成8年)には、当時のF1エンジンとしては革新的なサイズと重量のOX11Aジャッド社と共同開発するも、エンジンに捻れや揺れが発生し、エンジンのパワー不足と信頼性不足に悩み、思ったような成績が残せなかった。剛性不足が原因と判明したのはヤマハがF1活動を終了した後だった。

1997年(平成9年)にはアロウズにOX11Aを供給。ハンガリーGPではデイモン・ヒルの手によって、ラスト1周までトップを快走したが、2位に終わり惜しくも初優勝はならなかった。シーズン終了後の同年12月、アロウズ(当時代表であったトム・ウォーキンショウ)側は1998年に自身が買収したハートエンジンにヤマハのバッヂを付けて出場する事をヤマハ側に提案[注 1] するが、ヤマハ側としては受け入れられずに決別。他の供給先を探すも既に時間は無く、結局この年限りでヤマハとしてのF1活動は終了した。

チーム シャシー 搭載エンジン 出走数 優勝回数 獲得ポイント
1989年 ザクスピード-ヤマハ ザクスピード・891 OX88 16 0 0
1991年 ブラバム-ヤマハ ブラバム・BT59Y
ブラバム・BT60Y
OX99 16 0 3
1992年 ジョーダン-ヤマハ ジョーダン・192 OX99 16 0 1
1993年 ティレル-ヤマハ ティレル・020C
ティレル・021
OX10A 16 0 0
1994年 ティレル-ヤマハ ティレル・022 OX10B 16 0 13
1995年 ティレル-ヤマハ ティレル・023 OX10C 17 0 5
1996年 ティレル-ヤマハ ティレル・024 OX11A 16 0 5
1997年 アロウズ-ヤマハ アロウズ・A18 OX11A 17 0 9

サーキット

1975年(昭和50年)、宮城県村田町にテストコースを建設した。これが現在の「スポーツランドSUGO」となっている。スーパーバイク世界選手権モトクロス世界選手権の開催実績があり、また全日本格式の選手権レースが開催されている。 1990年(平成2年)のF1休止中には、エンジンテスト[注 2] の舞台となった。

事件等

軍事転用可能な無人ヘリコプターの不正輸出事件

2005年(平成17年)12月に軍事転用可能な無人ヘリコプター「RMAX Type II G」の改良型「L181」を、中華人民共和国の航空写真撮影会社である「北京必威易創基科技有限公司 (BVE) 」に不正輸出しようとしたとして、外為法違反容疑でヤマハ発動機は2006年(平成18年)1月に刑事告発を受けた。2007年(平成19年)2月静岡県警福岡県警合同捜査本部は同容疑及び外国貿易法違反の容疑で同社スカイ事業部の社員3名を逮捕した。

また、BVE社はヤマハ発動機側に「人民解放軍が2、3年後までに同型の無人ヘリ約100機の購入を希望している」と伝えていたことが明らかとなっている。この購入の希望は、2004年(平成16年)6月に北京であった両社の商談中に打診された物で、出席したヤマハ発動機社員がメモとして残していた。BVE側は、輸入した無人ヘリを軍関係の他の会社を経由して人民解放軍に流す仕組みをヤマハ発動機側に明かしていた。

なお、警察の捜査の結果、BVE側とのメールのやりとりが削除されていることが明らかとなっている。違法性を認識していたヤマハ発動機側が証拠隠滅を図った可能性もあるとみて、容疑者を追及していたが、2007年(平成19年)3月17日付 読売新聞によれば、輸出が業務の一環だったことも考慮され、元執行役員ら3人については起訴猶予となった。また、違法行為が業務上のものであり、かつ、逮捕された社員に対する監督責任も認めていたため、法人としての同社は略式起訴され、罰金100万円を納付した‪[22]‬。

また、警察の捜査が行われる以前の2006年(平成18年)12月22日に、名古屋税関から「無許可の疑いがある輸出申告があった」との通報を受けた経済産業省もこの件について調査していたが、同日中に同事業部が提出した関係書類は納品書1枚だけで、要求した書類がそろうのに数日かかるなど、対応に不審な点が多かった。

関連会社

脚注

注釈

  1. ^ ヤマハ製エンジンの供給は不要であるが、スポンサーとしてチーム運営資金の出資を要求した。
  2. ^ テストは、F3000のシャシーをF1レギュレーションに合わせて修正し、全日本F3000選手権に参戦する片山右京を起用して1年間継続された。

出典

  1. ^ a b c d e f g 平成29年12月期決算短信” (PDF) (2018年2月13日). 2018年2月13日閲覧。
  2. ^ 業界動向 SEARCH.com
  3. ^ ヤマハ発、マリン事業が稼ぎ頭 2輪車ノウハウ生かす - 日本経済新聞・2013年9月17日
  4. ^ ヤマハ発動機株式会社 企業サイト 財務・業績データ 地域別売上高
  5. ^ ヤマハ発、自動車事業に参入 2人乗り試作車「MOTIV」を披露 - MSN産経ニュース・2013年11月20日
  6. ^ ヤマハ発 1400億円を成長分野に 四輪参入は凍結”. Sankei Biz (2018年12月11日). 2018年12月11日閲覧。
  7. ^ 日本チーム、人力飛行の世界記録に挑戦 - WIRED・2012年12月20日
  8. ^ 「紺綬褒章」受章のお知らせ ヤマハ発動機広報発表資料 2010年4月2日付
  9. ^ 世界で最も革新的な企業・研究機関100社を選出する「Top 100 グローバル・イノベーター 2016」発表 クラリベイト・アナリティクス 2017年1月11日
  10. ^ ホンダとヤマハ発、50cc二輪で提携検討を発表 - 日本経済新聞 2016年10月5日
  11. ^ <ホンダ・ヤマハ発> 二輪車で提携 50ccの生産・開発-毎日新聞・2016年10月5日
  12. ^ ヤマハ発動機と富士重工業の間で 汎用エンジンの一部および米国販売会社の譲渡に関する契約を締結”. ヤマハ発動機プレスリリース (2016年12月7日). 2017年1月8日閲覧。
  13. ^ ヤマハ発、農薬散布ドローンの開発・販売で提携 日本経済新聞 2017年4月26日
  14. ^ ヤマハ、工場用IoT基盤・産業用ロボットの遠隔管理システムパッケージ開発 マイナビニュース 2017年11月7日
  15. ^ ヤマハ発動機株式会社 企業サイト 企業情報 企業概要
  16. ^ 大野雅人 (2018年8月21日). “ヤマハ発動機、実はプールも作っていた…FRPプールでシェア9割、高まる需要その理由”. レスポンス. イード. https://response.jp/article/2018/08/21/313141.html 
  17. ^ 「YAMAHAのコピペ」ってどこまで本当なの? ヤマハ本社に聞いてきた”. i:Engineer 〜だからエンジニアっていいよね〜. パーソルテクノロジースタッフ. 2020年6月25日閲覧。
  18. ^ a b Racing Onアーカイブス Vol.4』三栄書房、2011年、p.115頁。ISBN 9784779612398 
  19. ^ TOYOTA YAMAHA RACING TEAM:カート
  20. ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』三栄書房、2011年、pp.115 - 116頁。ISBN 9784779612398 
  21. ^ 『Racing Onアーカイブス Vol.4』三栄書房、2011年、p.121頁。ISBN 9784779612398 
  22. ^ ヤマハ発動機、ヘリコプター不正輸出事件が終結、社員は不起訴処分”. Response (2007年3月26日). 2019年12月7日閲覧。

関連項目

著名な社員

外部リンク