モーセ

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モーセ像(ミケランジェロ

モーセヘブライ語: מֹשֶׁה‎、ギリシア語: Μωυσήςラテン語: MoysesMosesアラビア語: موسىٰ‎)あるいはモーゼは、旧約聖書の『出エジプト記』などに現れる紀元前13世紀ごろ活躍したとされる古代イスラエルの民族指導者である。

モーセの実在と出エジプトの物語の信憑性は、論理的矛盾、新たな考古学的証拠、歴史的証拠、カナン文化における関連する起源神話などから考古学者およびエジプト学者聖書批評学分野の専門家の間で疑問視されている[1][2][3]。その他の歴史学者は、モーセに帰せられる伝記の詳細さとエジプトの背景は、青銅器時代の終わりに向かうカナンにおけるヘブライ部族の統合に関わった歴史的、政治的、宗教的指導者が実在したことを暗示している、と擁護している。

新約聖書使徒言行録 によれば、神の目に適った美しい子で、ユダヤ教キリスト教イスラム教およびバハーイー教など多くの宗教において、もっとも重要な預言者の一人。伝統的には旧約聖書のモーセ五書(トーラー)の著者であるとされてきた。『出エジプト記』によれば、モーセはエジプトのヘブライ人家族に生まれたが、新生児を殺害することを命じたファラオの命令を逃れるためにナイル川に流され、王族に拾われて育てられたという。長じてエジプト人を殺害し、砂漠に隠れていたが、神の命令によって奴隷状態のヘブライ人をエジプトから連れ出す使命を受けた。エジプトから民を率いて脱出したモーセは40年にわたって荒野をさまよったが、約束の土地を目前にして世を去ったという。

『旧約聖書』におけるモーセ

ドゥラ・エウロポスシナゴーグから出土した3世紀頃の壁画。モーセがナイル川から拾われる場面を描いている

『旧約聖書』の『出エジプト記』によれば、モーセはイスラエル人レビ族の父アムラムと、アムラムにとって叔母にあたる母ヨケベドとの間に生まれ、兄アロンと姉ミリアムがいた[4]。モーセが生まれた当時、ヘブライ人が増えすぎることを懸念したファラオはヘブライ人の男児を殺すよう命令した[5]。出生後しばらく隠して育てられたが、やがて隠し切れなくなり、パピルスのかごに乗せてナイル川に流された。たまたま水浴びしていたファラオの王女が彼を拾い、水からひきあげたのでマーシャー(「引き上げる」の意味)にちなんで「モーセ」と名づけた。モーセの姉の機転で、実の母親を乳母として王女に雇われることができた[6]

成長したモーセは、あるとき同胞であるヘブライ人がエジプト人に虐待されているのを見て、はからずもエジプト人を殺害してしまう。これが発覚し、ファラオに命を狙われたモーセは逃れてミディアンの地(アラビア半島)に住んだ。ミディアンではツィポラという羊飼いの女性と結婚し、羊飼いとして暮らしていたが、ある日燃える柴のなかから神に語り掛けられ、イスラエル人を約束の地(聖書中では「乳と蜜の流れる地」と言われている現在のパレスチナ周辺)へと導く使命を受ける。神は、みずからを「わたしはある者」と名乗った[7]

モーセの十戒レンブラントの絵画)

エジプトに戻ったモーセは兄アロンとともにファラオに会い、ヘブライ人退去の許しを求めたが、ファラオは拒絶し、なかなか許そうとしなかった。そのため十の災いがエジプトにくだり、最後にはファラオの息子を含めてすべてのエジプトの初子が無差別に殺害された[8]。ファラオはここにいたってヘブライ人たちがエジプトから出ることを認めた。エジプト出発の夜、人々は神の指示通り、子羊の肉と酵母を入れないパンを食べた。神はこの出来事を記念として行うよう命じた。これが「過越祭」の起源である[9]。ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。紅海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って紅海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ[10]

その後、モーセは民と共に苦しい荒れ野の旅を続ける。人々は水や食べ物のことでしばしばモーセに不平をいい、モーセはそのたびに水や食べ物を与えて神の力を示した。このとき、神から与えられた蜜入りのウェファースのような味の白い食料を人々は「マナ」と呼んだ[11]。やがて人々がシナイ山に近づくと、神が山上に現れ、モーセは山に登って十戒を受けた[12]。さらに神はヘブライ人と契約を交わした[13]。『出エジプト記』のモーセに関する記述はこれで終わり、後半部(20章~40章)は守るべき掟と儀式に関する詳細な規定の記述に費やされている。

続く『レビ記』『民数記』『申命記』ではさらに詳細な律法の内容が語られ、その合間にモーセの生涯とヘブライ人たちの歩みとについて記している。モーセは石版の破片を入れた『契約の箱』を先頭にシナイ山を出発し[14]、約束の国を目指してカナンを進んだ。その途上ではモーセとアロンへの反逆が行われたり[15]、不平を言う民を罰する民に神が炎の蛇を送り、多くの死者が出たため、モーセが青銅の蛇を示して民を救った出来事などがあった[16]。人々はカナンの人々と戦いを繰り返し、アモリ人らを撃ち、全軍を滅ぼした[17]。さらにミディアン人たちを撃つなど戦いを続けた[18]

モーセ五書の最終巻にあたる『申命記』ではモーセの最期が描かれている。「メリバの泉で神が聖なることを示さなかった」[19]ことにより、約束の国に入ることを許されず、ヨルダン川の手前でピスガの頂ネボに登り、約束された国を目にしながらこの世を去った。120歳であった[20]。モーセはモアブの谷に葬られたが、その場所は誰も知らないとされている[21]

モーセの死後、その従者であったヌンの子ヨシュアが後継者となり、神の民を導いた[22]

イスラム教におけるモーセ

手に杖をもつムーサー(モーセ)(15世紀ペルシア細密画

クルアーン』(コーラン)ではアラビア語でムーサー (موسى Mūsā) と呼ばれる。イスラム教の聖典『クルアーン』では、モーセすなわちムーサーは過去の預言者のひとりにして、ユダヤ教徒共同体アッラーフ)から使わされた使徒として登場する。ムーサーは『クルアーン』においてムハンマドを除く諸預言者の中では最も偉大[要出典]な預言者であるとみなされており、ムスリム(イスラム教徒)はムーサーを「神と語る者(カリームッラーフ)」と尊称する。

ムーサーの名は『クルアーン』中において非常に多くの個所で言及され、特に、第28章「物語」は全編がムーサーの物語になっている。『クルアーン』によれば、ムーサーはエジプトで生まれ育ち、のちに「聖なる谷」で神の声を聞いて預言者となった。また、彼の兄であるハールーン(アロン)もムーサーを補佐するための預言者とされる。ムーサーとハールーンはエジプトのファラオに唯一なる神を信仰するよう求め、神の偉大さを伝えるために杖を蛇に変えるなどの奇蹟を示すが、ファラオに拒絶されたためにイスラエルの民を連れてエジプトを離れた。出エジプト物語は『聖書』と基本的に同じであり、シナイ山(アラビア語ではムーサー山と呼ばれる)で、ユダヤ教徒に対して与えられた啓典であるトーラー(律法)を神から授かったという。

クルアーンのムーサーの物語では、ユダヤ教徒たちがムーサーの言うことを聞かず、時に偶像をあがめたことについて非常に詳細に言及されており、このようなクルアーンの、正しい神に選ばれた使徒ムーサーに従わないユダヤ教徒に対する批判的な言及が、歴史的なムスリムによるユダヤ教徒に対する差別心、敵意の原因のひとつとなったと指摘されることも多い。

ムーサーはイスラム教においてノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)イエス(イーサー)、ムハンマドと共に五大預言者のうちの一人とされる。また、ムーサーという名はムスリムに好まれる男性名のひとつとなっている。

イスラム伝承ではムーサーはイスラエル民族の救世主としての役割のみならず、さまざまな知的追求も行う人として描かれており、クルアーンにはユダヤ・キリスト教には無い話。知識を求めるムーサーが、従者を連れ賢者に会いに行き、教えを請う物語などもある。エジプト脱出から死去までの時間に開きが大きいのも、その間に知的追求への旅など、イスラエル民族に対する救世主的行為以外にも携わっていたからだと考えられている。

トーラーの記者としてのモーセ

『創世記』からはじまって、『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』までの『ヘブライ聖書』(キリスト教では『旧約聖書』)の最初の五書は、総称して「モーセ五書」と呼ばれてきた。新約聖書にイエス・キリストがモーセを聖書記者として言及している聖句があり、聖書信仰に立つ福音派の教会ではモーセをモーセ五書の記者として認めている[23][24]

これらは聖書自身の記述と古代からの伝承によってモーセの手によるものとされてきたが、ユリウス・ヴェルハウゼンらの文書仮説高等批評によって否定されることになった。福音派はこれらの主張を「信仰の敵」と呼んでいる[25]。「モーセ五書」の別称は「トーラー」であり、日本語訳では「律法」とされることが多い。しかしながら、トーラーは元来「指針」ないし「方針」という意味である[26]

モーセと芸術作品

絵画・彫刻

キリスト教美術においてはモーセは通常老人の姿に描かれることが多い。

中世ヨーロッパ美術においては、ミケランジェロの彫刻やレンブラントの絵画にみられるごとく、モーセはしばしば角のある姿で描かれるが、この理由には二つの説がある。一つは、ヴルガタ訳の描写をもとにしたためだというものである(『出エジプト記』 34:29-30, 35)。元来、ヘブライ語には母音を表す文字が存在せず、ヘブライ語で「角」を意味する語は「輝く」という意味にも解釈可能であり、現在の『聖書』翻訳では一般に後者の意味で訳出されている。もう一つの説は、ヴルガータとは関係なく、モーセの顔が光り輝くのを角のような形で表現したというものである。フランスの美術史家エミール・マールは後者の説をとり、最初典礼劇でそのような表現がなされたものが絵画や彫刻にも影響を与えたと考えている[27]。一方、日本の尾形希和子は前者の説をとりつつも、12~13世紀のイングランドの教会法学者ティルベリのゲルウァシウス英語版の著書中に「モーセの角の生えた顔とは、すなわち彼の顔から輝く光が出ていたから[28][29]」とあるのを紹介している。他の中世人の著作を見ると、クレルヴォーのベルナール『雅歌講解』にも件の場面でモーセの顔が光り輝いたということを前提としている記述がある[30]

異説

聖書学者の関根清三は著書[31]において、そもそも出エジプト記の該当箇所は「角のある」と解釈するのが正しいのだと主張している。

『「光り輝いている」と訳したヘブライ語はカーランという動詞で、用例が「角のある」という意味であることは確かである。カーランはケレンという名詞の派生語と思われるが、名詞の用例は たくさんあって、その意味が「角」であることははっきりしており、牛との関連で使われている詩篇の動詞形の意味も「角のある」といったあたりに自ずと定まるからである。

そこで 出エジプト記の方のカーランも、旧約のラテン語訳・ヴルガータではこれと呼応して cornutus(角のある)と訳しているのである。それに対し、ギリシア語訳・ セプトゥアギンタ(七十人訳)はdedoxastai(光り輝いた、栄光化された)と意訳した。

近代の翻訳も日本語訳を含め、「顔の肌」から角が生えるというのはそれこそ面妖であるので、 みなセプトゥアギンタの方にしたがっているのである。』

なお、牛や山羊や羊などの角は「豊穣=富と子孫繁栄の象徴」であり、(ギョベクリ・テペの遺跡などから推測されるに、おそらく紀元前10000万年の)太古より、ユーラシア大陸の各地に、豊穣神たる「角を生やした(主に牛の)神」への信仰があり、儀式の際に角の被り物をするなど、カーランを「角のある」と解釈することは、むしろ正統な発想である。異形なる角は、善(神)であれ悪(悪魔)であれ、人を超えた、人ならざる神聖な存在であることを示す、表現方法なのである。

映画

モーセと出エジプトをテーマにした映画も多い。代表的な作品に以下のものがある。

比喩・俗用としてのモーセ

海が割れるエピソードは旧約聖書の中では日本でも比較的有名なエピソードである。

このエピソードから転じて、人だかりなどで混雑している場所においてある人物が現れるとその人のために道を一斉に開けて空間ができる様子などを海が割れている場面に見立てて比喩的にモーセを使うことがある。

脚注

  1. ^ Princeton University Press Press Reviews, retrieved 6th June 2009”. Press.princeton.edu (2011年11月6日). 2012年4月3日閲覧。
  2. ^ The Quest for the Historical Israel: Debating Archeology and the History of Early Israel, 2007, Society of Biblical Literature, Atlanta, ISBN 978-1-58983-277-0.
  3. ^ John Van Seters, "The life of Moses", ISBN 90-390-0112-X
  4. ^ 『出エジプト記』6:19-20
  5. ^ 『出エジプト記』1:22
  6. ^ 『出エジプト記』2章1-10
  7. ^ 『出エジプト記』2:11~3:21
  8. ^ 『出エジプト記』12:29
  9. ^ 『出エジプト記』12章
  10. ^ 『出エジプト記』14章
  11. ^ 『出エジプト記』16章~17章
  12. ^ 『出エジプト記』20章
  13. ^ 『出エジプト記』24章
  14. ^ 『民数記』10:33
  15. ^ 『民数記』16章
  16. ^ 『民数記』21:4-9
  17. ^ 『民数記』21:21-35
  18. ^ 『民数記』31:1-24
  19. ^ 『申命記』32:51
  20. ^ 『申命記』34章
  21. ^ 『申命記』34:6
  22. ^ 『申命記』34:9、以下文語訳聖書より引用「ヌンの子ヨシユアは心に智慧の充る者なりモーセその手をこれが上に按たるによりて然るなりイスラエルの子孫は之に聽したがひ主のモーセに命じたまひし如くおこなへり」(申命記34:9)、「主の僕モーセの死し後 主、モーセの從者ヌンの子ヨシユアに語りて言たまはく わが僕モーセは已に死り然ば汝いま此すべての民とともに起てこのヨルダンを濟り我がイスラエルの子孫に與ふる地にゆけ」(ヨシュア記1:1-2)
  23. ^ 新聖書辞典
  24. ^ 尾山令仁『聖書の概説』羊群社
  25. ^ ケアンズ『基督教全史』聖書図書刊行会
  26. ^ 旧約聖書-モーセ五書(律法)-サルヴァスタイル美術館
  27. ^ エミール・マール『ロマネスクの図像学 上』田中仁彦・池田健二・磯見辰典・成瀬駒男・細田直孝共訳、国書刊行会、1996年11月20日初版、ISBN:4-336-03891-0、p220-221
  28. ^ 尾形希和子『教会の怪物たち ロマネスクの図像学』講談社選書メチエ、2013年12月10日、ISBN:978-4-06-258568-2、p118~119
  29. ^ 邦訳ティルベリのゲルウァシウス『西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇』(池上俊一訳、講談社学術文庫、2008年7月10日初版、ISBN:978-4-06-159884-3)では「つまり、讃嘆すべき光がその顔から(角状に)発して、かれを見つめる者の目を眩ませる」(p241)
  30. ^ 『キリスト教神秘主義著作集2 ベルナール』金子晴勇訳、教文館、2005年12月16日、p62
  31. ^ 『旧約聖書の思想――24の断章』(講談社学術文庫)、1998年9月18日

参考文献

関連項目