ムンフバット・ウランツェツェグ

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獲得メダル
モンゴルの旗 モンゴル
柔道
世界柔道選手権大会
2013 リオデジャネイロ 48kg級
ワールドマスターズ
2015 ラバト 48kg級
グランドスラム
2014 バクー 48kg級
2015 パリ 48kg級
2014 パリ 48kg級
2013 東京 48kg級
2012 パリ 48kg級
2013 パリ 48kg級
アジア大会
2014 仁川 48kg級
アジア柔道選手権
2012 タシュケント 48kg級

ムンフバット・ウランツェツェグ(Munkhbat Urantsetseg 1990年3月14日- )はモンゴル出身の柔道選手。階級は48kg級。身長160cm[1][2]。2段[3]

人物

父親がモンゴル相撲の選手だった影響もあり、柔道は15歳の時に始めた[3][4]。 2009年のユニバーシアードでは決勝で浅見八瑠奈袖釣込腰で敗れるが2位となった。世界選手権では2回戦で韓国の鄭貞娟に指導2で敗れた。2010年の世界選手権では初戦で福見友子袈裟固で敗れた。その直後のワールドカップ・タシュケントでは国際大会初優勝を飾った。2011年の世界選手権では初戦でルーマニアのアリナ・ドゥミトルGSに入ってから総合負けを喫した。2012年2月のグランドスラム・パリでは福見に縦四方固で敗れたが3位となった。4月のアジア選手権では準決勝で伊部尚子を有効で破るなどして優勝を飾った。7月のロンドンオリンピックでは準々決勝でドゥミトルに技ありで敗れると、敗者復活戦でもアルゼンチンのパウラ・パレトに指導2で敗れて7位にとどまった[1]。パレト戦では試合の最中に、相手がムンフバットの柔道衣とその下に着用していたTシャツを掴んで離さなかったために、右側の乳房が曝け出されてしまうハプニングも起こった[5]。2013年2月のグランドスラム・パリでは準決勝で浅見に指導2で敗れるが、3位決定戦ではロンドンオリンピック金メダリストであるブラジルのサラ・メネゼスに一本勝ちした。続くヨーロッパオープン・オーバーヴァルトでは52kg級で優勝を飾ったように、普段の国際大会では度々52kg級にも出場している[6]。8月にリオデジャネイロで開催された世界選手権では、準決勝で地元のメネゼスを破ると、決勝では浅見を腕挫十字固で破って優勝を飾り、モンゴル女子としては史上初の世界チャンピオンとなった[7]。2014年8月の世界選手権では3回戦で近藤亜美に有効で敗れて2連覇はならなかった[8]。9月のアジア大会では決勝で山岸絵美を技ありで破って優勝した[9]。2015年のワールドマスターズでは決勝でパレトを破って優勝した[10]世界選手権では3回戦で浅見に指導2で敗れて、前年に続きメダルを獲得できずに終わった[11]

また、2007年にはクラッシュの世界選手権48kg級、2010年と2014年にはサンボの世界選手権48kg級でもそれぞれ優勝している[12][13][14]

IJF世界ランキングは3410ポイント獲得で1位(16/4/11現在)[15]

主な戦績

(出典[2]JudoInside.com)。

脚注

外部リンク