ミルツ・イフター

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獲得メダル

ミルツ・イフター
陸上競技
オリンピック
エチオピアの旗 エチオピア
1980 モスクワ 5000m
1980 モスクワ 10000m
1972 ミュンヘン 10000m

ミルツ・イフター(Muruse YefterもしくはMiruts Yifter,1944年5月15日 - 2016年12月22日[1])は、エチオピアの陸上競技長距離選手。

1972年ミュンヘンオリンピックの男子10000mで銅メダルを獲得した。5000mにもエントリーしており、出場していれば金も期待されたが最終コール時間に遅れて出場出来なかった。

次の1976年モントリオールオリンピックでは5000m、10000mでの2種目制覇が期待されていたが、アフリカ諸国の大量ボイコットにより出場辞退を余儀なくされた。35歳で迎えた1980年モスクワオリンピックにおいて2種目制覇を達成した。このとき、表彰式後のインタビューで「この金メダルは世界の若者とアフリカ大陸に捧げたい」という言葉を述べた[2]

その走法はレース中、常に後方に控え、ラスト3~400mのラストスパートでトップに立つという勝負に徹したもので「イフタースパート」[3]と呼ばれたが、その走法のため世界記録には縁がなかった。

1978年以降出場した国際レースでは1982年まで負け無しで、ヘンリー・ロノなどと並び70年代後半の最高の長距離ランナーのひとり。

ハイレ・ゲブレセラシェも自身の自叙伝的VTRの中で「彼は僕のヒーローさ。彼の走りを見て陸上を始めたんだ!」と語っている。

記録[編集]

  • 5000m - 13分13秒82(1977年)
  • 10000m - 27分40秒96(1972年)

脚注[編集]

  1. ^ モスクワ五輪2冠のミルツ・イフター氏死去 72歳 日刊スポーツ 2016年12月24日付
  2. ^ 山田一廣『アベベを覚えてますか』壮神社、2004年、P273
  3. ^ エチオピア人の名前においては「ミルツ」が本人の名前、「イフター」はいわゆる「姓(ファミリーネーム)」ではなく、父の名前であるため、本来は「ミルツスパート」と呼ぶべきである。詳細は人名#その他の文化圏における名前を参照。

外部リンク[編集]